医務室の一日



「やっと一段落しましたね、先輩」
「一段落も何も、お前が薬の箱を全部ひっくり返したせいだろうが!」
「すみませ〜ん……」
 ステーションの医務室は、診察室や病室、手術室以外に、薬物を一時的に保管する専用の小さな倉庫がある。傷薬などを保管しておき、すぐ出せるようにしてあるのだが、一時間前、スペーサーに言われて栄養剤を取りに来たイルシアが、棚の上部に乗った箱をひっくり返してしまい、入っていた薬が滝のごとく落ちて床を埋め尽くしてしまった。
 ぶつぶつ小言を言いながらスペーサーも片づけをしているが、その片付けの時間の大半はイルシアへの指示で占められていた。
 ピンポンと、呼び出しのベルが倉庫に響いたので、スペーサーは悪態をつきながら医務室へ向かう。
「ホレ、サボらず続けてろ」
「はいー」
 足元に散らばった包帯箱を拾い上げ、元のケースにつめていく。
「あーあ。まさか栄養剤の箱が積み上げられてたなんて思わなかったなあ。しかも目当てのものが一番下に置かれてたなんて」
 当然、支えとなる箱を取り去ったのだから、積み上げられていたものがバランスを崩してしまう。その結果がこのとおり。
「とりあえず、さっさと片付けないと大目玉ねえ」
 毎日大目玉を食らっているのだが、相手は怒鳴るだけで手を上げる事はない。
「先輩も毎日診察で疲れてるし、ちょっとは怒るのを休めたほうがいいかも。でも怒ってる顔カワイイのよね、先輩って」
 思わず頬が緩む。
「あらいけない。早くつめなくちゃ」
 三箱詰め終わったところで、スペーサーが倉庫に戻ってきた。医務室へ出る前よりも苛々しているように見える。
「全く管理課の連中ときたら、いつもいつもどこかに傷をこさえて!」
 口の中で山ほど小言と悪態をつき、どっかと床にあぐらをかいて近くの空箱に錠剤の袋をつめ始める。こういうときに話しかけるとトンデモナイ事になるので、イルシアは何も言わずに自分の作業を続ける。
 二時間後に、やっと片づけが終わった。必要な栄養剤がようやく見つかり、スペーサーはそれらをまとめてロボットに持たせ、事務室まで運ばせた。緊急コールがデスクの上のモニターからやかましく鳴り響いたので、舌打ちしながらモニターを見る。それから鞄を引っつかみ、
「F区で緊急の怪我人だ。留守番してろ」
「はいー、いってらっしゃい」
 スペーサーが医務室から出た後、イルシアは一人残された。片付けで疲れたので、医務室の患者用ベッドに寝転ぶ。
「お留守番、嫌いじゃないけど退屈なのよね」
 どのみち、十分もたたないうちにスペーサーは戻ってくる。いつもせわしない。
「先輩もちょっとは休んだらいいのに。まあ、そういうわけにもいかないのがツライところよね」
 急患が出れば、寝ていてもたたき起こされる。最近はステーションに出入りする商人たちが海賊に襲われることも多くなってきたせいか、スペーサーは以前よりも頻繁に医務室を留守にする事が多くなってきた。が、イルシアは医務室で留守番してばかり。
「もうちょっと頼ってくれてもいいのにな〜、先輩ったら。いつも置いてきぼりにしてえ」
 イルシアは布団のシーツのしわをなぞった。
「目の届くところでしか診察させてくれないし」
 廊下を何かが走っている音が聞こえてきた。彼女はベッドから起き上がり、入り口を開ける。
「どいたどいた! 突っ立ってるんじゃない、邪魔だ!」
 かなり邪険な言葉を浴びせ、スペーサーは医務室に飛び込んだ。そのすぐ後ろからタンカが四つ運び込まれる。いずれも負傷者が緊急手当てされて横たわっている。怪我の原因は海賊の襲撃などではなく、単にF区のシャッターが一部故障して小爆発しただけのことだ。
「あの、せんぱ――」
「管理課のバカ共の怪我はそんなにひどくない。さっさと火傷用の薬を六瓶もってこい。さっきみたいなヘマはやるんじゃないぞ!」
「は、はい」
 イルシアは大慌てで倉庫へ向かい――
「馬鹿! 医務室の棚にまだ残ってるだろ!」
 後ろから怒鳴られたので、また慌てて棚に向かう。
「ええと、火傷用の薬」
「Cの棚の上から三番目!」
 怒鳴り声が飛んできたので、彼女は慌てて棚から薬を六瓶取った。そしてそれらを持って治療室に飛び込む。
「持ってきました!」
「ほれ、さっさと薬を患部に塗る!」
 スペーサーは彼女に背を向けてアシスタントロボットへ別の指示を出すのに忙しい。イルシアは火傷用の薬瓶を空け、痛みでうめく患者の傷口に薬を塗りこむ。傷口は既に消毒済みであった。
「先輩、おわりました」
「で、次の治療は?」
「えっ?」
「次の治療は?!」
 ようやくスペーサーが何を言いたいか気づいたイルシア。慌てて周りを見回し、別の薬と包帯を取り出して患者の患部に薬をつけて包帯を巻いた。それも終わると、
「治療終わりまし――」
「まだ終わっていないだろうが!」
 スペーサーは怒鳴りながらカルテを彼女に押し付けた。イルシアは慌てて患者たちを診て容態をカルテへ書き込む。アシスタントロボットがウィンウィンと静かなエンジン音を立てて移動するのも目に入らぬほど真剣に、イルシアは患者を診た。
「よし、終わりだ」
 スペーサーの言葉を聴いたとき、彼女はフウと息をはいた。
「ど、どうですか?」
「六十点。要領が悪い。お前ひとりに治療を任すのはまだ先だ」
「あーあ」

「あなたも毎日大変ねえ。こっちは事務課の人手不足から経営課と事務課を兼ねなくちゃならなくなって、アタシの仕事結構増えちゃったけど、あなたのほうがつらいんじゃない? ホラ、医務室で毎日――」
 ステーションの喫茶店にて、ヨランダはイルシアに同情のまなざしを向ける。イルシアはオレンジジュースを飲みながら、それでも首を横に振った。
「そんなことありません。先輩がわたしを一人前と認めてくれるまで、指導してもらうつもりなんです。地球の本部からも、そういわれてます。みっちり指導されてこいって」
「……志が高いのは素晴らしいと思うけど、あなたが持たないわよ。精神的にキツくない? 毎日怒鳴られっぱなしでさ。アタシだったら本部に苦情送って配置換えとかしてもらうけど」
「いいえ、そんなことありません。わたし先輩の下じゃないとダメです、絶対」
「どうして?」
「このステーションに来る前、他の方のところで指導を受けてたんです。でも結局駄目でした。何が駄目かって言うと、わたしに甘すぎるんですよ、皆さん。医師免許とりたてホヤホヤだからか、わたしを結構甘やかしちゃって患者さんを回してくれないんです。見学だけにしろって。結局本部は先輩を地球に呼び出して、わたしの面倒を見てくれって命令したそうですよ。入れ違いにわたしはこのステーションにお邪魔することになりましたけど」
 甘やかされているというより、経験不足だからまわしてもらえないのかもしれない。ヨランダはそう思ったが口には出さなかった。
「先輩は目の届くところでなら診察を許してくれるんです。地球の本部ではありえなかったことですよ? わたしに患者診させてくれるんです」
「そりゃあ経験つんでもらわないと困るハズだし――」
「あっ、もうこんな時間。先輩に怒られちゃう! すみません、お話の途中なのに! お代わたしが払っておきますね!」
 イルシアはヨランダのぶんの伝票も引っつかんであわただしく去っていった。
「彼女が満足しているなら、それでいいとは思うけど」
 ヨランダはちょっとだけ首をかしげた。

 医務室にて、また油売ってたなとグダグダ愚痴のような説教のような長ったらしい言葉を投げつけられながらも、イルシアは今の生活に満足しているのだった。