医務室事情



 スペーサーが第一ステーション勤務となってから、地球時間で一ヶ月が過ぎた。第二ステーションの正式な勤務医となったイルシアは孤軍奮闘を強いられていると思われがちだが、結構通信でスペーサーに助けを求めている事が多い。そのせいでか、いちいち通信回線を開くのが面倒になったスペーサーは回線を開けっぱなしにしておくことにした。各ステーションの連携をとるために医務室や管理室などの重要な設備では回線の切断が出来ないせいだ。本当なら回線を切って通信を断ちたいところなのだが……。
「全く。自分の仕事に集中出来やしない!」
 モニター自体の電源を切った時は必ず愚痴をこぼすのだった。

「もう少し、先輩に依存する回数を減らすべきよね……」
 開けっぱなしの回線。モニターには、第一ステーションの医務室の壁が映っているだけ。スペーサーは普段、モニターを別方向に向けている。常時モニターを自分の方に向けるのは嫌なのだろう。監視されているのと同じだろうし。
 イルシアはためいきをついた。正式に勤務医として認められたのだから、一人で診察してもよかろうに。今も、別ステーションに勤務している先輩に頼りっぱなしなのだ。アシスタントロボットのほうがずっとマシな診察が出来るとステーションでひそかに囁かれている噂、これは嘘ではない。ステーションの住人は、今まで以上に作業や体調管理に気を使い、医務室の世話になるまいと頑張っているのだ。診察嫌いのスペーサーがまだ勤務しているなら、患者が減るのは彼にとって喜ばしい事。しかしイルシアにとってはがっかりする事。
「自分が一人前になるには、たくさん診るしかないのに……」

 第一ステーションの、前任の勤務医は地球本部に呼び戻されて一時的に本部に配属された。そのため、スペーサーが代わりを務めることになった。
「第一ステーションの医務室は静かだなあ。それだけ皆が大人しく働いているということか」
 ステーションの住人のカルテをまとめながら、スペーサーはひとりごちた。このステーション自体が大きく、他にも勤務医はいる。しかしコンピューターが作業のほとんどを行う、彼の担当する区域にはめったに人が来ないのだ。開発途中の第二ステーションはあわただしく、たいていの作業は人力で行われている。だがここは既に完成されたステーション。作業は機械に取って代わられている。
 スペーサーにとってはそれがありがたかった。仕事の邪魔をされずに済むのだから。が、
(あの馬鹿が四六時中回線の向こうで悲鳴を上げているようではなあ……)
 何かあるとイルシアがモニターごしに助けを求めてくる。これでは第二ステーションにいた時と何も変わらないではないか。
(いい加減私の助けをあてにするのはやめてほしいもんだな。とはいえ、あれの腕前はとんでもなく未熟だし……)
 デスクに肘杖をついて、スペーサーはうなった。
(この状態だと、本部がなんと言うか……。また私を第二ステーションへ再配属なんてことになりかねん)
 またあのやかましい第二ステーションへ……考えただけでも身震いがする。地球本部の上層部がそれを考えたりしないようにするには、イルシアが一人前となるしか方法がないのだが……。
『せぇんぱあい!』
 情けない声がモニターから聞こえる。スペーサーは、そっぽを向いているモニターを自分の顔に向けた。イルシアが薬瓶を手に、何やらあわてている。いつものことだ。
 あわてているイルシアにあれこれ指示を出してから、スペーサーは頬づえをついたまま、だらしない格好でモニターに目を向ける。日々厳しく指導したおかげで、イルシアのほどこす怪我の処置は、ごく軽い擦り傷や捻挫、脱臼や骨折なら何とかなる。が、彼女は薬を扱うのを苦手としており、それに関してはやたらと助言を求めたがる。いっそアシスタントロボットに診てもらえと何度も言っているのだが、彼女は聞き入れない。
(なんでモニターごしに診察を見てやらねばならんのだ。全く……)
 診察が終わる。スペーサーは診察に対し、七五点をつけた。
「いっそ薬はアシスタントロボットに全部やらせて、お前はそれ以外のことをすればいいだろうが」
『でも、本部からの辞令ですし、早く一人前になってどんな手当てもできるようになりたいんです。先輩だって、何でもできるじゃないですか』
「なんでもできるわけじゃない。私にも苦手な治療はある」
 モニターの向こうの後輩の目が丸くなった。
「元々、私は手先がそんなに器用な方じゃない。自分でメスを使う切開手術は、医学学校時代から大の苦手だった。何度も人工血管をひどくきりさいては無駄な出血をさせていたもんさ。で、卒業する前に何とか克服してやろうと、ひとりであらゆる努力をした。今でこそ普通にメスを手に持てるが、あの頃はひどいもんだった。お前も、簡単な怪我なら普通に治療できるんだから、そのうち普通に手術もできるようになるだろ」
 何か言いたそうな後輩の顔に構わず、スペーサーはモニターのスイッチを切った。ちょうど医務室の扉が開いて、怪我をした作業員が五名、担ぎ込まれてきた。ロボットのメンテナンスの最中にうっかり部品を破壊してしまい、壊れた部品の破片で怪我をしたのだ。彼はアシスタントロボットたちに器具を持ってこさせ、診る。飛び散った金属破片が体内に突き刺さっている。大至急手術してとりださねばならない。血管の内部にもぐりこんで血液の流れに乗ってしまう前に。
「さて、ひさしぶりの手術だ。これなら傷が浅いから何とかなるかもしれんな」
 イルシアには言わなかったが、本当は血も苦手だった。が、見ても吐き気を催さない程度まで克服したのだ。
 ロボットたちは患者を静かに手術室へ運んで行った。

 最後の言葉と同時に、ブツンと通信の切れる音。
「せんぱっ――」
 モニターは真っ黒になった。向こうがモニターのスイッチを切ってしまったのだ。
 イルシアは、モニターの前でふくれっ面。
「もう、先輩ったら」
 めったに人が来なくなった医務室で、彼女の独り言は大きく響く。
「そりゃいつかは出来るようになるかもしれないけど……」
 医務室の自動ドアが開いて、運搬作業中に怪我をした管理課が何人か入ってくる。できれば入ってきたくなかったという顔つきだが……。イルシアは、先ほど先輩と交わした言葉通り、「苦手なことを克服すべく努力する」事を実行に移そうと診察を開始した。今回は絶対に頼らない!

 一時間後。第一ステーション医務室に入った緊急連絡。スペーサーは、破片除去の手術を終えたばかり。イルシアからだろうと思ったが、彼女は一度も緊急連絡を入れてきたことがない。一体誰なのだろうと思いながらも通信のスイッチを入れてみると――