「どうしたのかしら」
 ヨランダは首をかしげた。
「あんなに散歩に行きたがっていたのに」
 彼女の目の前にふせっているのは、一匹の牧羊犬。地球のイヌで、体は小さくやや長い体毛を持つが従順である。
 ヨランダは、地球の、ある犬好きの飼い主から犬の世話の手伝いを依頼されていた。犬は嫌いではなかったので、彼女は引き受けることにしたが、その飼い主の勝っている犬の数には仰天したものだった。そこそこ金持ちのやることらしかった。二階建ての家一軒がまるごと犬小屋となっており、部屋の一つ一つに犬がいた。雑種、血統書つき、元ノラなどいろいろいる。犬の数はざっと数えても三十はいるだろう。ブラッシングや洗浄、餌やりなど一通り世話はおわったが、朝早く訪れたのにもう夕方近かった。ヨランダはくたびれてしまったが、休むにはまだ早かった。最後の仕事としてあとは散歩させるだけとなったのだが、一匹だけ、動こうとしないのだった。
「どうして動かないの? 病気なのかしら」
 いざリードをつけようとすると、その小さな牧羊犬はいきなり目の前にふせってしまい、動かなくなった。尻尾を振っているのだが、その顔は不機嫌そうだ。さっきまで、嬉しそうにキャンキャンと吠えていたのに、いきなり機嫌が悪くなったのであった。
「一体どうして?」
 ヨランダは飼い主に問うた。四十路を軽く過ぎた中年の飼い主は、十匹以上もの子犬を散歩させるためにリードをそれぞれつけていたところだ。
「ああ、その犬はね、リードが大嫌いなんだよね。あたしもいっつも苦労させられてるんだよ」
「でも、法律で決まってるから、リードをつけないと散歩できないわ。抱いて散歩させるならとにかく、牧羊犬は動かないとだめなんじゃない? いつもどうやって散歩させていたの?」
「それはね」

「なるほどね」
 ヨランダは、後ろを見た。動かない不機嫌な牧羊犬は、首輪にリードをつけてある。そしてその犬は、スケートボードの上に寝そべって、ヨランダに引っ張ってもらっていたのであった。これなら動かない犬も散歩に連れ出せるのだが、これでは犬が運動した事にはならない。飼い主にその点を確認したのだが、この犬はリードをつけられるのが本当に大嫌いなので、こうするしかないのだ、とのことであった。
「でも、これでは散歩にならない気がするわね。形だけの散歩ってかんじ」
「ううん。それは違うねえ」
 飼い主はヨランダに言った。
「法律の関係でこんなことしなくちゃいけないけど、散歩が終わったら、今度こそうんと動いてもらうようにしてるのさ」
「アラ、どうやるの?」
「この子が動きたがらないのはもうわかっただろ、だったら、嫌でも動くようにしてやるしかないのさ」
「だから、どうやって」
「それはね」

「なるほどね」
 ヨランダは、走り回る牧羊犬を見て、驚きあきれた。この小さな牧羊犬は、ラードのかたまりが乗った皿を見て大喜びしており、それを追いかけている。皿の下には車型のラジコンがつけてあり、これを飼い主が動かして、犬に追いかけさせて運動させているのだ。
「この子はラードが大好物なんでねえ、こうしないと動かないんだよ。それが悩みの種なんだよね。牧羊犬としてどうかと思うけど、ここに引き取られた時からこうだったんだから、仕方ないね。どうやら前の飼い主がラードを食わせていたせいらしいけど」
 依頼人は呆れたように笑っていた。

 依頼人の飼う犬はほとんどが、捨てられた犬か、繁殖には役立たずとみなされ引き取られてきた犬ばかりであった。汚れ、やせ細ってみすぼらしく見える犬は、餌と水を充分にもらい、体を綺麗に洗ってもらう事で見違えるような美しい犬に変身する。引き取られてきた犬たちは繁殖の目的のためだけに檻に入れられる事もなく、のびのびとすごす。
「犬ってのはねえ、それぞれ個性がたっぷりあるんだよ」
 日が暮れてから、依頼人は犬たちに夕飯をやりながら、ヨランダに言った。
「もちろん躾けはしないと駄目だけどね、それでも、好き嫌いがあったり、寝るのが好きだったり、じゃれあうのが好きだったり、一人でいるのが好きだったり、色々いるんだよ」
「へー、そうなの。犬を飼ったこと無いから、知らなかったわ」
 ヨランダは、足元に群がって餌をねだる小型犬たちを押しのけ、大皿に餌を入れる。餌で満たされた皿はすぐ犬たちが群がった。ラード好きの牧羊犬は、唯一、皿に盛られたラードを食べている。犬の健康にはよろしくないのだろうが、それしか食べないと言うのだから、仕方ない。
「こっちも、ただ飼うだけじゃなくて、引き取り手も捜しているんだよ。よかったら、あんたも飼ってみるかね? ただ、ひとつの命を預かるのだから、飼うと決めたならばその犬の最期を看取ってもらうってのが約束だけどね」
「え、でもアタシ、いつも仕事で忙しいし……かまってあげられる時間なんか作れないわ」
「おやそうかい。でも、犬はいいよ。きちんと躾けてほかのひとに迷惑をかけないようにすれば、生涯のいい友達になれるんだからねえ」
 眼鏡をずりあげ、こめかみにしわの交じった依頼人は笑った。
「うーん。考えてみるわ」
 ヨランダは、餌をぱくつく犬たちをみて、言った。
(でも、基地に飼える場所なんてないしねえ……。それに色々と世話をしなくちゃいけないから、アタシひとりではとっても無理ね)
 基地へ戻りながらも、彼女は頭の中で犬の事を考え続けていた。
 地球時間で数日後、この飼い主を、ヨランダは再び訪れた。
「あのー」
「おや、いらっしゃい。でも、世話の依頼は何も出してないはずだろ」
「ええ、そうなんですけど――」

《危険始末人》の基地。
 ヨランダは、一匹の柴犬を連れ帰ってきた。生後数ヶ月の、まだ幼い柴犬は、彼女の腕の中で好奇心で満たされた両目を動かし、基地の中を見回している。
「みんなー、柴犬、譲ってもらったわよー!」
 その一声で、依頼で外に出ている者以外は、彼女の元へ駆けつけてきた。
「やったー、念願の柴犬だ!」
「見せて見せて!」
「へー、これが地球のイヌってやつなんやなあ」
 大勢に取り囲まれても、柴犬は臆する様子もなく、尻尾を振って嬉しそうにワンと鳴いた。
「じゃ、決めた通り、みんなで世話するのよ」
「もちろんだとも!」
 こうして《危険始末人》の基地に、マスコットの柴犬が加わったのだった。