新たな勧誘



「あいたーっ」
 ヨランダは悲鳴を上げた。
 牙を削られたミミックに手を挟まれたのだ。
「何よこのミミックは! いつもアタシの手噛みついて」
「盗人にふさわしい罰をあたえたまでのこと」
 スペーサーはそう言って、出来たばかりの薬の入った袋を投げるようにヨランダに渡す。
「安眠剤だ、さっさと失せろ」

 最近寝つきが悪いためにスペーサーに薬を作ってもらっているヨランダは、薬を受け取った後、しぶしぶ研究所を後にした。彼女の背後でドアが乱暴に閉じる音。そこでちょうど、派手な衣服に身を包んだ女とあやうくぶつかりそうになった。
「?!」
 彼女は思わず相手の服装に目をみはる。彼女にぶつかりかけた女の服装は、あきらかに派手すぎた。赤い帽子、赤いローブ、赤いマント、派手な化粧、肩に留めている大きなオウム。手にした杖にすら、ジャラジャラと派手な飾りをつけている。赤く透明なガラス玉だ。
(なに、あの女)
 風に乗って、彼女の鼻孔をくすぐった花のようなかおりは、間違いなく香水。だが、深くそれを吸い込むと頭がしびれそうな、不思議な香り。
 赤い女はヨランダをじろじろと上から下まで見る。そしてフンと鼻を鳴らし、明らかに馬鹿にした表情を浮かべる。
「どいてくださらないかしら。あたくしはこの研究所に用があるんですの」
「え、ああ、すいません」
 高飛車なものいいに、ヨランダは素直に道を開ける。
(こんな女とは係わりたくないわね)
 ヨランダが「何よ、あんた」と女に突っかからなかったのは、本能がそう教えたからだ。馬が合わない、とかそういう問題ではなく、本当に係わりたくない相手だと、彼女の本能が教えたのだ。
 赤い女は彼女に礼も言わず、詫びもせず、さっさと研究所の扉を開けて中へ入り、バンと乱暴にドアを閉めてしまった。
「なによ、もう」
 ヨランダはふくれっつら。だが、あの高慢ちきそうな赤い女がこの研究所に何の用なのだろう。格好から見て、魔術士のようであるが……。
 好奇心がわきおこり、窓からのぞいてみようと回れ右してみた。
「あっ」
 とたんに研究所に結界が張り巡らされ、ヨランダは弾かれてしまった。
「よっぽど見られたくないのね。結界の外し方はアタシじゃ駄目だし。あの呪術師のおばあさんなら……駄目ね、確かおばあさんは腰痛で朝から寝てるんだったわ。おばあさんの為におかゆを作ったものね……。諦めるしかないか」
 結界が解けるまで待っている手もあるのだが、あとでスペーサーに見つかってどやされるか魔術をかけられてカエルか何かの姿に変えられるのも嫌だ。
「あ、そうだ。おばあさんのためにセラと一緒に薬草スープ作るって約束してたわね。早くいかないと」
 用事を思い出したヨランダは、薬の入った革袋を手に、街道を駆けた。
 彼女が駆けだした直後、結界は消えた。

「また来たのか」
 手に持った羊皮紙からろくに目を離さず、スペーサーは冷たい声で言った。目の前に立つ、赤い服の女に。
「ええ、この書きつけがある限り、何度でもくるわ」
 女の手に持っている羊皮紙には、国の魔道研究所の所長のサイン。文章は簡潔。スペーサーを研究所に引き入れるまで説得する事。
(暴力沙汰にはしたくない、と。余計な騒動を起こせば、喜捨はなくなるものなあ)
 スペーサーは文面にさっと目を走らせると、解読しかけの羊皮紙にまた目を落とした。女の事はもう眼中にない、といいたいのだ。だが女は引き下がらない。
「今まであなたを説得しに来ていた研究員は、今は別の研究に追われているから、代わりにあたくしが来たの」
 緑ずくめの服装の女がこれまでスペーサーを勧誘していたのだが、今回はこの赤い女が説得しに来たのだ。
「わざわざ結界を張ったのも、すぐに追い出せなくするためなのだな。だがな、何度来られても返事は同じだ。私はそちらに行くつもりなど無い!」
 彼はピシャリと言ったが、赤い女は聞く耳も持たぬ様子。それどころか、細長い特別な形をしたパイプをどこからか取りだし、魔法で火をつけ、煙草を吸い始めた。薬草を詰めて作った煙草から、薄紫の煙が昇っていく。スペーサーの使い魔のカラスは、ギャアとしわがれた声で鳴き、不快感をあらわにする。
「あらあら、そんな態度とらないでくださるう?」
 女はフッと煙を吹きかけてくるが、スペーサーがパチンと手をたたくと、一陣の風が巻き起こり、机の上の羊皮紙を派手に巻き上げただけでなく、女の吹きつけた煙を即座に押し返した。それを予想していなかったらしい女は「キャッ」という小さな悲鳴と共に、己の吹きつけた煙に飲まれた。
「媚薬を混ぜた煙草の煙か。その手で私を陥落させようなど、甘い」
 相手がせき込んでいる間に彼は小声で詠唱する。オウムが襲ってこようとしたが、カラスがそれを阻んだ。綺麗な色の羽根をひっこぬかれ、オウムは怒り狂ってカラスに鉤づめを喰いこませようと、金切り声をあげた。
「砕けよ!」
 一喝と同時に、女の杖にジャラジャラとつけられた赤いガラス玉が全部パリンと破裂した。結界が消える音。
「な、何をするの……!」
 女は杖を彼に向けてブツブツ唱え出すが――
「消え失せろ」
 彼がパチンと手をたたくと、女とオウムの体が光に包まれ、次には消え去っていた。風は止んで、ハラハラと羊皮紙が舞い落ちる。
「全く、研究の邪魔ばかりが入る」
 彼はブツブツ言いながら、落ちた羊皮紙を拾い集めたが、急に腰に手を当てた。
「いたたた……さすがに、歳だな。腰痛がぶりかえすとは」