裏の会談



「ほー、久しぶりに会うな。二年ぶりかな」
 スペーサーは、目の前に立っている男を見て、懐かしむような口調で言った。
 ここは大都市の裏世界にある、《町》。大きな町ならどこにでもあるギャングやマフィアとは桁違いの力を持ち、政治界にも強いつながりを持つ巨大組織《ファミリー》が取り仕切る。《町》の住人のほとんどが《ファミリー》の一員だ。そして今、スペーサーの目の前にいる男も、《ファミリー》の者だ。
 男は彼を見て、苦々しげな顔になる。続いて、きちんとひげの剃られた綺麗な顎をさすり、上質のスーツから絹のハンカチを取り出して汗を拭った。
「まさかあんたとまたお会いするとはね。ボスに用ですか?」
「そうだが、そんなたいそうな用じゃない」
「しかし今のあんたをボスが……」
「わかってるだろ、私の性格を」
 例え下っ端といえど、裏社会では《ファミリー》に属する者は全て畏怖される。スペーサーが今、目の前にしているのは、幹部クラスの男だ。
「わかりましたよ、あんたにはかないませんね。だが今も思うんですよ。あんたなら、いずれこの《町》を――」
「それは言わないでくれ。今の私は違う」

《町》は静かに、だが確実にある噂を広めていた。
 道を歩くスペーサーは、この噂を早くも耳にしていた。彼独自の情報収集によって。
(この場所ではこれが当たり前。さて、無事に帰れるかどうか)
 往来を行きかう者たちは彼の前に道を譲り、彼の通った後は、ある者は驚愕の表情で背中を見つめ、あるいは半ば喜びの表情で背中を見つめた。
 スペーサーがたどり着いたのは、《町》の中央に位置する、真っ白な建物。一見すると国会議事堂にも見えるが、ここは《ファミリー》の幹部以上の階級の者だけが居住を許される巨大な住宅なのだ。ドアには専用のガードマンが三人いたが、彼の姿を見とめると、半ば驚いた顔をして、それでも彼の為にドアを開けた。
「ありがとう」
 礼を言って建物の中へ入るスペーサーの背中を見送ったガードマンたちは、手に持ったライフルやマシンガンを取り落としかけていた。
 既に噂はこの建物の中にまで伝わっていたと見える。彼が建物のロビーらしき部屋に入るなり、奥から六人の黒ずくめのガードマンが姿を見せた。だがいずれも、武装していない。そのかわり、兵士が上官に敬礼するように、姿勢を正した。
「敬礼の必要はないから」
 スペーサーはそれだけ言って、さっさとエレベーターに乗る。ガードマンたちは何も言わず、その背中だけを見送った。
 エレベーターで最上階へ上がる。この《ファミリー》のボスとその身内だけが住まう事を許される、極上の部屋だ。景色は最高、家具やじゅうたんの素材も最高級品ときている。もちろん、ガードマンの数もその腕前も、階下に比べれば数段上だ。
 そしてガードマンたちは、半ば驚きの顔を隠しもせず、エレベーターからおりた彼を通す。
「ありがとう。この先は、自分で行くから」
 赤い絨毯の向こうに見える、巨大な白い扉を、彼は開けた。

 ドアの向こうには、贅沢を極めた広い部屋がある。広い窓に映る美しい景色、シャンデリヤ、希少動物の毛を使って作られた部屋いっぱいのじゅうたん、よく磨かれた美しいガラスのテーブルには、上等の果物の載った金の鉢が置かれている。
「来たか」
 部屋の隅、暖炉の側で声がする。そこには、極上の絹で作られたスーツを着た男が、入り口に背を向けて、背もたれつきの椅子に腰掛けていた。年代ものの極上のワインを入れたグラスを手にして。
 立ち上がる。やや痩せ型の壮年の男。だがその目には裏社会に住むもの特有の鋭さがある。この男は、《ファミリー》のボスだ。
「部下が伝えてきたんだろう、私が来た事を」
 スペーサーは物怖じせず、相手に言った。裏世界で恐れられている《ファミリー》のボスを相手に、対等な口がきけるとは――
 男は、座れと身振りで示す。スペーサーは遠慮せず、もう一つの椅子に座るが、その目は油断なく相手と周囲に向けられている。
「今更、何の用だ。《危険始末人》の資金源が欲しくなったか」
「はん。金を無心しに来たんじゃない。私がここへ来たのは、別の用があってのことだ」
 彼は言って、脚を組みかえる。
「最近《ファミリー》が目立ち始めたな。《危険始末人》の仕事が少しやりにくくなった。見られず知られず聞かれずの、昔の方針はどうした?」
「方針はまだ守っているつもりだ。先代から受け継いだものだからな。だがどうやら、新米の連中は、外で派手にやらかす事が好きらしくてな。《駒》に監視させてはいるが、手が回りきらんようだ。それより、お前が未だに表の活動を続けているとは――」
「私のような《危険始末人》は裏の仕事にも首を突っ込む。表ばかりとは限らない」
「他の《地区》の連中も何人か、お前の手にかかっていると聞く。ありがたいことだ。《ファミリー》が裏世界を完全に支配する手伝いをしてくれているわけだ」
「そんなつもりはないが、とにかく」
 スペーサーは言葉を切った。
「あんたに言いたいのはこれだけだ。《ファミリー》の下っ端どもの管理を、今まで以上に徹底してくれ。どんな手を使ってもいい。それでも派手に暴れたがるようなら遠慮なく殺せ。そうしないと、時と場合によっては必要以上に裏側に頭を突っ込まざるを得ないからな。《ファミリー》が表にあらわれるのは、双方ともに望んでいる事じゃないはずだ」
 ボスはかんらかんらと笑った。
「そいつはそうだな! お前はやはりわかっておるわい。今のお前はわしに命令できる立場ではないが、あえていう事を聞いてやろう。わしも、《ファミリー》をこの代で潰したくないからな」
「そうか、ありがとう。あんたの事だから、この場で私を始末すると思っていたが、丸くなったんだな」
 スペーサーは立ち上がる。何気ない動作だったが、隙がどこにもない。ボスは葉巻に火をつけ、言った。
「最後に聞くが――お前はまだ『戻る』気はないのだな?」
「ああ」
 スペーサーが部屋を去った後、誰もいない空間に向かって、ボスは言葉を投げた。

「裏世界の暗黙の掟があるとはいえ、既に《ファミリー》を抜けたお前を、わしは待っておる。お前なら、この《ファミリー》を束ねあげるに十分な実力を持っておるし、部下達もそれを望んでおるからな……我が息子よ」