カーテンの謎



 蒸し暑い、ある夜。家中に、悲鳴が響き渡った。
「なんだ、どうした?!」
 その日の試験で回収した解答用紙の採点をしていたスペーサーと、ちょうど風呂に入っていたアーネストは同時に飛び出し、悲鳴の聞こえた場所へ走る。
 悲鳴の音源はリビングだった。
 悲鳴の主・ヨランダは、一点を凝視したまま、口を大きく開けていた。視線の先にはカーテンがあり、そのカーテンは、破られていた。
「窓開けてないし、カーテン閉めたときには破れてなかったのよ! きっとドロボーよっ」
 焦りか怯えかわからないが興奮しているヨランダ。カーテンは、真ん中から綺麗に、真っ二つ。刃物で裂いたと思われるような、綺麗な切り口。
「まあまあ、落ち着け」
 スペーサーがいう。部屋から飛び出してきたときのままなので、片手には赤ペンを持ったままだ。
「ドロボーって決まったわけじゃねえだろ」
 彼女の背後からアーネストが突っ込む。ヨランダは抗議のために振り向いて、
「じゃあ何なのよ――」
 視線が下へ移る。そして、別の意味での悲鳴を上げた。
「あんた、最っ低っ!」
 スペーサーも、彼女の悲鳴の理由が分かり、ぎょっとする。アーネストはなぜヨランダが悲鳴を上げたのかわからなかったが、彼女の視線を追ってみて、やっと悲鳴の理由を知った。悲鳴の直後に風呂から飛び出してきたため、自分の下半身に何の対策もしていなかったのだ。
「さっさと風呂場でそのみっともないのを仕舞って来い! ついでに廊下も拭いてこい!」
 スペーサーは、アーネストの、まだ湯で濡れている背中を押し、廊下へ追い出した。
「みっともねえっつうなよ! お前のと比べりゃ立派――へくしょっ!」

 さて、湯冷めしたアーネストがいい加減に体を拭いてから着替えて戻ってくると、早くも、カーテンの大きな裂け目に対する検証が行われていた。
「こんな綺麗な切り傷を作れるのは、刃物しかありえないわよ」
「刃物であると断言するのは避ける」
「あらどうして? それより頭使うの得意なら貴方が推理して頂戴よ、小説の探偵みたいに」
「推測しか出来ない。推理と推測は全く別物だぞ」
 洗濯籠に洗濯物を放り込んでから、アーネストは、裂けたカーテンを見た。綺麗に、刃物でも使ったかのような切り口だ。
「そうだ、カーテン、いつ閉めた? っくしょ!」
 唐突なアーネストの問いに、ヨランダは首をかしげる。
「たしか、六時ごろ。ご飯の前ね。その時には裂け目なんか無かったわね」
 当然だろう、一目見ただけで裂け目があると分かるほど、大きなものなのだから。
 スペーサーは手の中で赤ペンをバトンのごとく器用にくるくる回していたが、カーテンの裂け目付近を更に注意深く見る。
「確かに綺麗な傷口だが、これはどうも、何かで引き裂いたような感じだな。糸が所々引っ張られて、ほつれている。それに――」
 カーテンの布地に手で触れる。
「これだけ厚い生地だ、裂いたなら、それなりに音が聞こえるはず。あるいは刃物で切ったなら、小さくとも音が聞こえてくるはずだろう。静かに破る方法があったら、ぜひ聞かせてもらいたいものだ」
 背後でアーネストがくしゃみする。それから、鼻声で言った。
「あー? 俺てっきり包丁でも突き立てたのかって思ったんだけどよ?」
 スペーサーはアーネストにボックスティッシュを押し付けてから、また入念に裂け目を見た。ヨランダも、彼の脇から、どれどれと顔を近づけた。カーテンの裂け目をよく見ると、糸が引っ張られてほつれているのが傷の上の部分、下の部分は多少引っ張られてはいるものの、わりと綺麗に糸が切れている。何かを突き刺して、下へ裂け目を入れたのだ。
「包丁かどうかは別として、何かを刺したことに間違いないな」
「みたいね。でもそれにあたる刃物って? 包丁は、カーテン閉める前にしまったはず」
「そうだっけ? カーテン閉まる前、台所にゴキがわいたって、お前大騒ぎしてたろ」
 ずいぶんな数のティッシュペーパーをゴミ箱へ放り込むアーネスト。ヨランダはやや間をおいて、あっと声を上げる。
「そういえばそうだったわね。それよりあんたどうしたのよ、妙に冴えてない?」
 新しく、箱からティッシュペーパーを引っ張りながら、アーネストは振り向いた。
「なんらって?」
「熱でもあるんじゃないの? あ、風邪ひいてるのね。じゃ熱があって当然ね」
「そういえば」
 アーネストが何か言い出す前にと、スペーサーが割って入る。
「その、例の黒いムシ、退治したのか?」
 彼の帰宅は、普通、六時を過ぎる頃になる。だが試験のあった本日は六時半過ぎに帰ってきた。解答用紙の回収と、アンケート用紙の取りまとめに時間を食ったのだ。
「そりゃ退治したわよ、貴方の力を借りなくても」
 いつもゴキ退治をスペーサーに押し付けているヨランダは、返答に自信たっぷりだ。だが、
「退治したって言っても、スプレーなんか使ったか? あのヘンな臭いの――」
 横から入ったアーネストの指摘で、ヨランダは、はたと口元に手を当てる。
「そういえば、何を使ったんだっけ? スリッパじゃないし、ハエ叩きでもないし」
「で、そのゴキは、どこへ逃げたんだよ? っくしょ!」
「どこって、カーテンのほうへ這い登って――」
 ヨランダは、ポンと手を叩いた。
「あ、そっか。はさみを使ったんだわ」
「はさみィ?」
 男二人の声が、呆れと驚きの混じったものになる。続いて、二人揃って顔を見合わせる。
「まさかとは思うが――」
 複雑な、なんとも形容しがたい表情で、スペーサーが口を開く。
「その、例の黒いムシを退治するのに――はさみで突き刺したのではあるまいな?」
 ヨランダは、否定しなかった。
「おかげで真っ二つよ」
 しばしの沈黙。
「ってことは」
 アーネストが口を開く。
「カーテン破ったの、お前じゃねえかよ!」
 ヨランダは思わず、はっと口元を押さえる。ゴキを退治した勝利感ゆえに、カーテンに穴を開けたことを忘れてしまったのだろう。そのままカーテンを閉めてしまい、あとで自分の作った裂け目に気づいたのだ。
「なんだよ、事件にも何にもなりゃしねえ、ただのうっかりじゃねえか」
「はさみでムシ退治とは物騒な! ま、泥棒でなくて安心だがな」
「もー、何よ何よ、二人してアタシを責めて! ひどいわ!」

 カーテン切り裂き事件は、終わった。
 湯冷めした風邪の熱ゆえか、見事な冴えっぷりを発揮したアーネストであったが、一晩あけて湯冷めの風邪が治ると、その冴えっぷりは失われてしまった。

「え? 俺そんなに冴えてたっけ? いつもどおりだったんじゃないのか?」