ケルピーに会う



「よしよし、ケルピー」
 久しぶりに訪れたスペーサーを、ケルピーは嬉しそうに出迎えた。研究所の裏手にある小さな池に住む、馬の姿をした水の精霊ケルピーは、そのたくましい首を横に向けて、鼻面をスペーサーにこすりつけてきた。
 スペーサーはその馬面を撫でてやる。馬の姿とは言え、水の精なのだから、冷たい感触なのは仕方ない。
「今年は雨が多かったから、池の水が干上がらなくてよかったな」
 干ばつの兆しが見える頃になると、国中の魔術師がそろって降雨の儀式を行い、国全体に雨を降らせるのである。この小さな町にも雨は届くのだが、ケルピーの住む池を満たすには不十分だった。スペーサーはケルピーの池の水が一定以下になると必ず術で池の水を満水にしてやり、ケルピーの住処を干さぬようにしてやっているのだ。別に彼はケルピーを懐かせようとしているわけではない。
「水の精霊が近くに住むと、水源が決して濁る事はないからな」
 単に生活上の都合によるものだ。
「さて、水を汲んでおかないと……」
 老若男女を問わず、水汲みは、骨の折れる仕事だ。だが、水が無ければ生活できない事を考えると、やらねばならない。
 そうして数時間後、
「ふー。久しぶりにやると、腰が痛い……」
 スペーサーは、痛み止めを調合し、飲み干した。ヨモギの味がする薬だが、腰痛などの痛みを治すにはこれが一番だ。
「明日は、筋肉痛で動けないだろうな。もう、歳だし……」
 使い魔のカラスが心配そうにカアと鳴いた。
 研究所の裏手の池で、ケルピーのいななく声が聞こえてきた。

 池にすむケルピーは、ふと誰かの気配を感じ、姿を現した。
「あれ、こんなところに馬なんて住んでたっけか?」
 ケルピーの目の前にいるのは、炎のように赤い髪と瞳を持つ、屈強な体つきの男。
「でも馬が水の中から出てくるなんてことはないはずだし、ヒレがついてるってことは、馬じゃないってことだよな。毛だってないし、透明すぎるし」
 アーネストは、上から下までケルピーを眺め、ぶつぶつ言った。
 ケルピーは、アーネストを上から下まで眺め、ブルルとバカにしたように鼻を鳴らした。自分の事を知らないのだとわかったのだ。
「ま、いいや。この変な馬は後でまた調べてみっか」
 アーネストはケルピーに背を向ける。元々彼はギルドへ戻ろうとしていたところなのだ。たまたま池で動く何かを見つけたので、その正体を見極めるために、近づいただけの事。ケルピーはアーネストに危害を加えるような存在ではないので、それだけわかれば、今のところは充分。
 ケルピーは、アーネストが去っていくのを、馬鹿にしたような目つきで眺め、それから池に戻っていった。

「ケルピーっていうのか、あの変な馬」
 その夜。アーネストは酒場にて、隣席に座っていたヨランダから、研究所裏手の池の中に住んでいる不思議な馬について聞いたのだった。
「あれ、水の精なのよね。子供の内臓を食べるんですって。話で聞いただけで直接見たわけじゃないんだけど……」
「で、子供の内臓なんか喰う水の精が、何であの池に住んでるんだ?」
「知らない。でも、精霊が住んでいると、その近くの水源は濁る事が無くなるっていうから、住んでいてもいいんじゃないの? 井戸水が濁って井戸さらいをするよりは、ケルピーに住みついてもらって水源を綺麗にして貰う方が、お得ってもんじゃない」
「うーん。でもそこらへんの子供を喰ったりとかは――」
「そんな話は今のところは聞いてないわねえ」
 色々な情報が集まるシーフギルドに情報が入っていないと言う事は、ケルピーは子供を食べていないのだろう、今のところは。元々あの研究所は、用事が無ければ子供は近づかないのだ。やんちゃ坊主がたまに忍び込んで、スペーサーかカラスに追い返される事はあるが。
「餓死しねーのか?」
「精霊の胃袋なんてしらないもん。とにかくもうアタシはケルピーにかかわるのはイヤよ。本当にもう!」
 ヨランダはそう言って、空になったグラスをカウンターに置き、バーテンに代金を払って酒場を出ていった。

 その翌日。アーネストはまた池にやってきた。ケルピーはすぐ顔を出す。が、明らかにその顔はアーネストを馬鹿にしきっている。
「お前、ケルピーって言うんだってな」
 アーネストは、ケルピーに近づいた。水の上に全身を現したケルピーはアーネストよりもはるかに大きく、普通の馬と比べてはるかに体つきが頑丈だった。
「馬に似てるけど、やっぱりどこかが馬じゃないよなあ」
 改めてしげしげと眺めてみると、馬に似ていながら馬ではないとはっきりわかる。じろじろ見てくるアーネストに、ケルピーは馬鹿にしたように鼻を鳴らした。そして、アーネストがそれ以上何もしないのを見て、ケルピーは戻ろうとした。
「あ、待ってくれ」
 アーネストが呼びとめた。
「背中に乗ってもいいか?」
 アーネストは危ういところで、ケルピーのひづめをかわした。ケルピーはブルルと、馬鹿にしたように鼻を鳴らし、さっさと池に潜ってしまった……。
「ちえっ。一度でいいから馬に乗ってみたかったのに。プライドの高い馬ってみんなああなのか?」
 アーネストは頭をかいた。蹴られかけたと言うのに、別にケルピーを怨む様子はない。
「まあいいや、いつか乗せてもらえるかもしれないな。毎日会いに行ったら懐いてくれるかな? さて、仕事仕事……」
 池から去っていくアーネストの肩の上で、幽霊の少女は心配そうな顔をしていたのだった。