ケルピーに認められたい



 ケルピーは、嬉しそうにいなないた。
 池の水が、みるみるうちに満ちていく。
「このくらいでいいかな」
 スペーサーはふうと息を吐いた。雨乞いの術を完了し、水不足になっていた辺り一帯に大雨を降らせたのだ。貯水池は雨を受け止め、その身を雨水で満たす。
 術の終了と同時に、町を覆っていた雨雲はゆっくりと晴れていく。そして青空が広がった。
 ケルピーはスペーサーに鼻面をすりよせる。
「ああ、よしよし」
 撫で返した後、彼は研究所へゆっくりと戻った。薬草畑にも雨が降り注いだのだ、マンドラゴラが枯れずに済むだろう。あとで、雑草を抜きに行かねば……。

 ケルピーが池から顔を出したのは、それから数時間ほど後の事。
「よー、出てきてくれたな」
 池のふちに立つアーネストを見て、ケルピーは馬鹿にしたように鼻を鳴らす。それでも姿を見せたのは、相手を見下してやるためか。
「そろそろ背中に乗せてくれねーか?」
 ケルピーはいつものように、アーネストを見下ろす。が、ふとケルピーの視線が、アーネストの顔から肩へと移動した。ケルピーには見えたのだ、彼の方に乗っている少女が。
 アーネストは、ケルピーの視線を追って一旦ふりかえったが、後ろには誰もいなかった。が、すぐに気がついた。ケルピーが何を見ているか。
「お前も、見えるのか?」
 水の精は答えず、じっとその肩に視線を注ぐだけ。
 アーネストの肩の上に乗っている少女は、ケルピーを見つめ返し、それからアーネストの首に抱きついた。少し息苦しくなったのは、それだけ少女が力を込めたせいだ。
 ケルピーは、馬鹿にするようにブルルと鼻を鳴らす。実際、馬鹿にしているのだ。幽霊が生身の者に恋をするなど、無意味な事を……!
 どうやら少女の方でも自分が馬鹿にされたとわかったらしく、むっとした。アーネストの肩への重みがより一層かかる。彼女が激情を抱くと彼の肩がだんだんと重くなるのだ。彼が憑依されてから肩は若干重くなっていたが、少女が力をかけると、彼の両足では支えられないほど重くなる。肩が外れかねないほどに!
「おい、どうしたんだよ!?」
 アーネストの言葉で、少女はハッとした。肩の重みが急にひいていき、アーネストはほっとする。
 ケルピーは身をひるがえすと、また池の中へと戻っていく。
「あーあ、今日も乗せてもらえなかった」
 アーネストはがっくりした。今日こそ、乗せてもらえると思ったのに……。
「あ、そんなことしてる場合じゃねえや。用事があったんだっけ」

 研究所で薬草をもらってきてほしいというのが、呪術師の老婆の依頼であった。一覧表を渡されていたので、アーネストはスペーサーにそれを渡して、それらを揃えてもらう。
「ところでよ」
 薬草の束を受け取り、アーネストは言った。
「池に、ケルピーがいるだろ?」
「ああ、それがどうした」
「あれに乗る事ってできるか?」
 しばし、スペーサーは相手の顔を見つめた。その表情は、呆れ。使い魔のカラスが、まるでアーネストを笑うかのように、派手に鳴いた。
「……ケルピーに認められれば、乗ることはできると思う」
 それだけの言葉をスペーサーが絞り出すまで、どのくらいの時間を要したのやら。
「で、認められるにはどうしたらいいんだ? お前、いつもケルピーに会ってるんじゃないのかよ」
「うん、会ってはいるが、私は背中に乗ったことなど無いぞ。乗馬の経験などない」
 伝説としては、ケルピーに馬具をつける事が出来ればとても有能な軍馬としての働きが期待できるといわれている。だが、アーネストとしては、別にケルピーを軍馬として使役したいのではなく、ただ好奇心から乗ってみたいだけなのだ。
「でもどうしてお前に懐いてるんだよ」
「ケルピーの住む池が涸れかけたとき、雨を降らせて満たしてやったからな。どこかの盗賊どもと違って、恩をちゃんと知っているのさ」
 どこかの盗賊ども。シーフギルドの連中だと、アーネストはすぐピンときた。最近はシーフたちの活動がだいぶおとなしくなっているが、何かわけがあるのだろうか。
「ということは、ケルピーに認められる方法ってのは、ないんだな?」
「私の知る限りでは、そんなものは知らないぞ」
「そっか……。やっぱり毎日会うしかないのか……」
「ケルピーはプライドの高い妖精だ。簡単には相手に心を開かないぞ。毎日行ったところで、馬鹿にされるのがオチだろうが」
「でも、俺あの背中に乗ってみたいんだよな」
 スペーサーはその返答に呆れかえるしかなかった。この男は、あくまでケルピーの背中に乗るだけのために、ケルピーに認められる方法を聞きに来たのか……と……。

 アーネストは、研究所からの帰りにも、ケルピーの住む池に立ち寄った。
「おーい!」
 呼びかけると、水の精は顔を出し、馬鹿にしたように鼻を鳴らして、さっさと池の中に引っ込んでしまった。
「ちえー。全然だめだな。でも、めげねえぞ。いつかその立派な背中に乗ってやるんだからな!」
 アーネストは失望どころか、逆に意気込んだ。肩の上の少女は、不安そうな顔で、アーネストを見つめていた。