ケルピーに恩を売るには



「ケルピーに乗りたい? また、そのことか」
 スペーサーは巻物から顔をあげて、怪訝な顔でアーネストを見上げる。アーネストは以前にも、彼にケルピーの背に乗る方法を聞きに来たことがあるのだ。
「シーフたちといい、なんで皆ケルピーに乗りたがるんだ、まったく……」
「いいじゃねーか。ちょっと乗ってみたいだけなんだ、乗り心地確かめたらすぐ降りるから」
 アーネストは幼子のように目を輝かせている。彼の肩に乗っている幽霊の少女もなんとなく楽しそうだ。
「俺、毎回毎回ケルピーにバカにされてるんだよな。だから、認められるにはどうすればいいか教えてくれよ」
「知るか、そんなこと」
 魔術師はぴしゃりと返した。
「どうしても乗りたいというのなら、まずは下心なしに、ケルピーに恩を売ればいいんじゃないのか? まあ、ケルピーは人間の邪心を察知する力に優れているからな、君が何かしてもケルピーに蹴飛ばされて終わりだろうけれど」
 いいかげんな答えを押し付けたが、アーネストはどうやらそれで満足したようだった。
「何か恩を売ればいいのか? じゃ、早速試す!」
 電光石火の勢いでアーネストは建物を飛び出してしまった。スペーサーはその背中を見送り、ため息をついた。
「私の話をしっかり聞かなかったようだな。ま、どうでもいいか。どうせ蹴られて帰ってくるんだろうしな」

 ケルピーの棲む池に来たアーネストは、さっそくケルピーを呼んだ。
「おーい!」
 その大声の後、少し経ってから池の中央にぶくぶくとアブクがうきあがり、ザバッと水音を立ててケルピーが池の面へと姿を現した。いつ見てもその美しくたくましい体にはほれぼれする。この馬の背中に乗ったらさぞ乗り心地がいいだろう。
 ケルピーは水面を歩いてアーネストの正面までやってきたが、彼を見下ろすとフンと鼻を鳴らした。毎回毎回、こんなふうにケルピーはアーネストを馬鹿にしているのだ。いつものことだから、アーネストも慣れてしまったけれど。
「よー、ケルピー」
 アーネストは、持ってきた桶から馬の手入れ用の道具を取り出す。
「お前のたてがみってキレイだし立派だろ? だけど櫛を通せばもっとキレイになるんじゃねえか?」
 その言葉に、ケルピーはうさんくさそうに、首を伸ばしてもっと近くで道具をじろじろ見つめる。
「別に変なもの持ってきてねえよ。これでお前のたてがみ梳かすだけだって」
 疑われているのではと危惧したアーネストの言葉。ケルピーは尚もうさんくさそうに道具をじろじろ見つめたが、やがてブルッと鼻を鳴らした。
「えー、梳くの嫌なのかよ」
 相手を馬鹿にする時の仕草で、ケルピーがどうやら手入れ道具を好かなかったらしいと察したアーネストは、一度でいいからやらせてくれと多少食い下がってみた。しかしケルピーはまた鼻を鳴らしただけであった。それどころか、回れ右してアーネストを蹴飛ばそうとしたので、彼は危うい所で後退し、後ろ脚の一撃をよけた。
 そのままケルピーは池の真ん中へひとっ飛びで戻り、水中にザブンと潜ってしまった。
「行っちまった。手入れがそんなに嫌だったのか?」
 アーネストは手入れの道具と、アブクの立っている池の中央を交互に見て、ため息をついた。肩の上の幽霊の少女もため息をついた。

「駄目だった」
 机に臥せったアーネストに、別の巻物を広げているスペーサーは呆れ顔で言った。
「まあ失敗については君を見ればわかるんだが、私にわざわざ報告しに来なくてもいいだろう」
 馬の手入れ用道具を見れば、アーネストがケルピーに何をしようとしたかは明白だ。
「別にケルピーに手入れをする必要はないと思うんだが」
「そうかあ? じゃあ次は何をしたら恩を感じてくれるのか……」
「そんな下心を持ってケルピーに接するから、ケルピーの方でも恩を売ってやろうとする君の邪心を感じとって、逃げ出してしまうんじゃないか?」
「うーん……」
 アーネストは巻物や羊皮紙の散らかった机に臥せったまま、頭をかいて悩んでいる。スペーサーはまた巻物に目を落とし、相手が悩むのに任せている。やがてアーネストは頭をあげた。
「そっか。無理やり恩を売っても駄目なんだな!」
 ようやっと気づいたかとスペーサーが内心ごちて間もなく、
「よし! じゃあ早速次にいくぞ!」
 アーネストはすぐ回れ右して電光石火の勢いで研究所を飛び出していった。
 どうやら、ケルピーの背に乗ることを諦めてはいない様子だ。スペーサーはそれを察して、ため息をついた。
「いいかげん、諦めればいいのに」