筋肉痛
「また出られなくなっちゃったわね」
カーテンを開けて、ヨランダはため息をついた。
外は一面の銀世界。
「あれだけ降れば当然だな、まったく」
不機嫌な顔でスペーサーは言った。彼の持っているカップが小刻みに震えている。昨日、一日中雪かきをやらされていたので、筋肉痛なのだ。対して、アーネストは別に手や足の震えなく普通に歩きまわっている。
「いっそかまくら作ろうか。結構いっぱい出来ると思うぜ」
「一人でやれ。私はやらんぞ」
「えー」
「でも、雪かきしないと、外に出られないわよ?」
それは分かっている。
「筋肉痛を治すには動くしかないし、アタシも手伝うからあ」
彼女の言葉に、男二人は顔を見合わせた。
「信じていいと思うかあ?」
「……信じられっかよ」
「何よ何よもう! 二人揃って! いいわよ、アタシが先陣きっていくから!」
ヨランダは足早にリビングを出て行った。
「さ、二人とも、準備して頂戴っ」
男二人はまた顔を見合わせ、同時にため息をついた。
一時間後。時計は十時を指した。家の前から始まった雪かき。ガレージ前、道路前。ガレージ前の雪をどけて、何とか車を出せるほどの道を切り開くことが出来た。
「くたびれた……雪って、重いわね……」
ヨランダは家の壁にもたれかかってうなだれた。アーネストは休むことなく、口笛まで吹きながら除雪作業中。スペーサーは筋肉痛に負けて、ヨランダよりも早くくたばっていた。
「何だよ、もう休むのか?」
作業を中断して、アーネストは彼女を見る。
「だって、疲れた……」
「これしきのことで音を上げるなよな。まだ雪はたくさんあるんだからよ。てーかお前、先陣を切るとか何とか言ってなかったか?」
「確かに言ったけど、最後までそうするとは言ってないもん」
「ひでえな、お前」
それからも作業は続いたが、アーネストが一人でやっていると言っても過言ではなかった。ヨランダもスペーサーも何度も休みを取りながらの作業なので、ちっとも彼らの場所は捗らない。
「あー、さすがに疲れてきた」
しびれた手をさすりながらアーネストがいったん手を止めた時には、もう時刻は昼になっていた。雲は晴れてきて、太陽がまぶしく辺りを照らす。天気がこれで続くなら、雪は徐々に溶けていくかもしれない。
「腹減ったし、メシ食うぞー」
疲れたと言った割には、ずいぶん声は元気だ。対して他の二人は、くたびれはてて返事もできない状態であった。
この日は昼からずっと晴れていた。夜になっても雲は一つも現れず、綺麗な星空に満月が光りかがやいていた。
「こ、腰打った……」
いつもの猫背をさらにひどくして、新聞をとってきたスペーサーは、腰をさすりながらテーブルに片手を載せて支えにする。どうやら、新聞を取りに行った際、溶けて夜の間に凍ってしまった雪で足を滑らせたらしい。
げらげら笑うアーネストに電光石火の平手打ちをひとつくれてやってから、スペーサーは不平不満をつぶやきながら部屋に戻って着替えてきた。
「昨日溶けた雪が凍ったのねえ。いたた」
ヨランダは見事に筋肉痛。動くのも面倒と言った顔で椅子に座っている。
「で、また雪かきやんのかよ」
アーネストは、平手打ちの仕返しとばかりにスペーサーに十字固めをかけながら、ヨランダに聞く。
「今日も晴れてるし、別にいいわよ。今日、動きたくないもん」
何やら言っているスペーサーを締め上げて黙らせ、アーネストは首をかしげた。
「あれ、筋肉痛を治すには動くのが一番だって言ってただろ、お前」
「そーよ、でも今は動きたくないのっ。どうしてもやりたいなら、あんた行ってきなさいよ」
アーネストが出かけるまでもなかった。今日は気温が上がり、どんどん雪は溶けていった。だが、夜になると急激に冷え込みが厳しくなった。夜間も晴れていたために昼間の温かさが逃げてしまったのだ。当然、溶けていた雪はどんどん凍っていく。朝になれば、凍結路面のできあがり。
「今度は氷かきとはねえ」
「雪よりはマシよ! 割って隅っこに寄せておけばいいんだから」
氷の道をひたすら割り、割れたものを端に寄せておくか、排水溝に落せるだけ落とす。たびたび足を滑らせて転んだものの、大した怪我はしなかった。
「なんで二人でやらなくちゃならねんだよ。人手がたりないぜ」
「あんたが、昨日スペーサーをプロレスの実験台にしたからでしょ。寝てたわよ、なんだか恨み言をブツブツ言ってたみたいだけど。彼が回復したら、覚悟しておいた方がいいんじゃない? 力でねじふせても、後でその数倍の仕返しをするのが、彼のやり方だもの。昔からそうよ。わかってるでしょー?」
「嫌なこと思い出させるなよ!」
アーネストは冷や汗をかいていた。昔からスペーサーは執念深い。一度恨みを持つと、何らかの形でそれをはらすのだ。子供時代も、自分をいじめてきた相手に対して必ず報復し、しかもその証拠が残らないように彼なりに知恵を絞っていた。近年はそんなことはしなくなったと思いきや、アーネストに対しては平然とその執念深さを発揮している。証拠を残さずとも、アーネストは、自分やその周囲で何か起これば、スペーサーの報復だとすぐわかるようになった。が、アーネストの辞書には学習能力と言う言葉はない。毎度毎度同じことを繰り返すのだ。
「ま、何が起こるかは後のお楽しみよねえ」
同じことを繰り返すアーネストの受ける報復を、ヨランダは面白がって見ているのであった。
その夜。
「なんだ、珍しいなあ……」
ずきずき痛む関節や筋肉をマッサージしてやるアーネストに、ベッドに寝転がったままのスペーサーは驚きの声をあげた。
「君が私に何かしてくれるとは。どういう風の吹きまわしなんだ?」
「だってお前……その……」
アーネストは言葉に詰まる。まさか仕返し怖さにこんなことしているとはとても言えない。手に力がこもってしまい、痛む関節をぐっと握るはめになった。痛みでスペーサーは思わず声を上げる。
「あ、いや、悪い……」
気が付いたアーネストは力を緩めた。
「全く、どんな下心があるのか知らんが――」
起き上がりながらの言葉に、アーネストの背中を冷たいものが走った。こいつに対してはどんな隠し事も見破られてしまう。
「とにかく、一日痛くて仕方なかったんでね……ありがとう」
肩をコキコキ言わせながら、スペーサーは部屋を出て行った。アーネストはその後ろ姿を、なかば茫然として見送った。だが、やがてホッとした。
たぶん今回は、何も報復はないだろう。