喫煙



 今日の仕事が終わると、管理課は酒場でくつろぎ、その日の疲れを吐き出す。
「部品の発注は終わったばかりだからな、来るまであそこは代用品を使うしかないよな」
「それにしても、もっとたくさん予備を送ってくれてもいいのに、何で本部はケチるんだよ? 予算が下りないのか?」
「開発中のステーションだから最新の部品を送ってくれればいいのにな。そしたら発注の手間がはぶけて助かるんだがなー」
「このステーションで最新の部品のテストをしてるんだろ。第一ステーションだともう少し古い型の部品を使ってるらしいけど」
「なんだよ、部品のテスト用にこのステーションは開発されてるのかよ。開発されたての新製品は動作不良とか起こしやすいから、あぶなっかしすぎる!」
 などとくちぐちに言いあっているところへ、酒場へ入ってきた人物。
「なんだ、藪医者じゃねーか」
 すっとんきょうな声をあげたアーネスト。その通り、酒場へ入ってきたのは、スペーサーだったのだ。騒がしさと診察が嫌いで、大抵医務室にこもっているこの医者がわざわざやかましい酒場へ出てくるとは、そうせざるを得ない用事があるからなのだろう。
「健康診断ならこないだ済ませたじゃねーか」
「まだ私は何もいっとらん」
 ステーションの医者は不機嫌に言って、管理課の座っている席を通り過ぎた。喫煙コーナーの独り用の椅子にどっかと腰を下ろすと、白衣の内ポケットをさぐって取りだす。
「へー、お前も吸うんだ」
「吸って悪いか」
 スペーサーが白衣のポケットから取り出したのは、疑似煙草の箱とライター。管理課の面々が目を丸くして見ているのにも構わず、彼は箱から一本抜きとり火をつけて、煙を深々と吸い込んだ。
「医学生の時から吸っていたが、ステーション勤務になってから止めていた。最近ストレスがたまって仕方ないから、ストレス解消がわりにまた吸っているだけだ」
「べ、別に誰が吸おうといいけど、まさかお前が吸うなんてな、藪医者」
 アーネストの言葉に対し、スペーサーは一瞥をくれただけで、自分の喫煙に戻ってしまった。
 医者は一服した後、さっさと酒場を出て行ってしまった。管理課はそれを見送っていた、自分たちの疑似煙草がほぼ燃え尽きていることも忘れて。
「まさかあの医者が吸うなんてな」
「あいつのストレス解消っていったら、ほかの職員に機械を使って八つ当たりをする事だろうに」
「人間らしい一面があるんだなあ、喫煙だなんてよ」
 管理課の面々は口々に、驚きの言葉を口にしていた。

 医務室に入ると、スペーサーは傍のボタンを押した。すると、壁の一角がスライドして扉となり、小さな休憩室がその向こうに現れた。
 スペーサーはその休憩室に入ると、椅子にどっかと腰を下ろした。また懐を探ったが、今度取りだしたのは、先ほどの疑似煙草ではなく、ニコチンやタールを含む、本物の煙草。
「やはり、疑似煙草では吸った気がしないな」
 火をつけて吸う。煙を吐くと、疑似煙草より濃い煙が辺りに昇る。手元のスイッチをおして換気扇をつける。さらに別のボタンを押すと灰皿が飛び出てきた。
 酒場で吸ったのは単に気まぐれ。大学の時は構内で吸っていたのでいつもやかましかった。それを再現してみたつもりなのだが、あの頃とは違い、騒がしい環境の中での喫煙は苦痛に感じた。
「やはり独りで吸った方がいいな。ステーションへ配属されるまでに、だいぶ人嫌いが進行してしまったようだし」
 彼は一人ごちて、煙を深々と吸い込んだ。医学生時代の、人間関係のイザコザ、やたら彼をライバル視していたゼミ生、医師免許と引き換えに大金を要求する教授、後を付いて回るイルシア……。それらが思い出されては、煙の中へと消えていく。
 半分ほど吸ったところで、彼は煙草を灰皿に思い切り押し付けてつぶした。
「さて、仕事仕事」
 彼はすぐスイッチを切り替え、休憩室を出ていった。次にこの部屋に来るのは、地球時間で数日後、管理課の健康診断の再検査の後だった。