迷子
その少女は明らかに、彼の後をついてきていた。倉庫へ行く通路を過ぎて、倉庫に機材を置いてもまだ、少女は彼の後をついてきていた。
「で、何で俺の後をついてくるんだよ」
アーネストは振り向いて、その少女に問うた。背丈は彼の腹ぐらい。浅黒い肌に、長く尖った耳。猫のような目。着ている服は黒いレザーの上下。ライオンのような尻尾。黒髪につけた藍色のリボンで、少女と判別できた。
マトリニア人。地球外銀河の中で知られている中では最も科学力の発達した星である。マトリニアの少女はアーネストを見上げるが、首を傾げるだけ。言葉が通じないと分かったアーネストは何とか意思の疎通を図ろうと、身振り手振りを交えて話す。それでも通じず、彼が悩んでいると、突如付近のドアが開いた。
「さっきから何をべらべら喋ってるんだ。喧しくてカルテの整理が出来ないだろうが」
不機嫌な顔の若手医師・スペーサーである。ここは、医務室の側だったのだ。
「うっせーな藪医者。意思のソツーが成り立たなくて困ってんだよ」
アーネストも不機嫌に返す。スペーサーは、彼の側にいるマトリニアの少女を見ると話しかけた。少女は反応した。
「お前、言葉分かるのか?」
「銀河標準語を忘れたのかね?」
アーネストは驚きのまなざしを向けるも、軽蔑の言葉でもって返された。銀河標準語は、どの銀河に住むものでも話せるように作り出された比較的新しい言語である。それを話せることは、太陽系銀河に存在する地球人でも至極当然であるのだが。
アーネストは、すっかり忘れていたといわんばかりの表情になった。
しばらく話してみると、どうやら少女はアーネストの肩に乗っているニィを見つけて、それが何なのか知りたくてついてきたようだ。ムルムルという生き物だと説明されると、少女は尻尾をぴんと立てた。マトリニア人は、毛だらけの生き物が苦手なのである。ニィを作業服のアクセサリーかなにかだと勘違いしたのであろう。ニィも少女に拒否反応を示し、威嚇のために毛を逆立てた後、逃げるようにして、アーネストの作業服のポケットに隠れてしまった。
マトリニアの少女は、母親の所に帰りたいと言った。地球への観光船から降りて、アーネストについていったために、迷子になってしまったのである。
「簡単じゃないか、発着場へ連れて行けばいい。観光船は格納庫からそこへ運ばれるはずだろう」
スペーサーが言うが、アーネストは首を振った。
「あのなあ、このステーションには分単位でいろんな宇宙船が来るんだよ。どれがなんの宇宙船なのか確認すんの、結構手間どるんだよ! わかってねえなあお前は」
「それが管理課の奴の言う台詞か。それなら、管理室で直接船内に転送すればいいだろうが。船の特定さえ出来れば可能なんだろう?」
医師の指摘に、アーネストはポンと手を叩いた。
アーネストは、マトリニアの少女を連れて、管理室に向かっていた。スペーサーに、彼についていくように言われた少女は、大人しく、彼の後をついてきていた。とはいえ、言葉の通じるものがいないのは不安なのか、無理にスペーサーも引っ張ってきている。しかし、少女は、ニィの隠れているポケットには近づかなかった。ニィのほうも、胸のポケットの中で毛を逆立てたままで、出てこようとはしなかった。
「よー、転送たのまー」
アーネストが管理室のドアを大きく開け放した途端、管理室から奇声が聞こえた。続いてその声の正体を確認する暇もなく、彼は管理室の中から飛び出してきた誰かに、勢いよく衝突され、通路に倒れる羽目になった。かろうじてスペーサーとマトリニアの少女は、彼のボディプレスを免れる。倒れたショックでニィが胸のポケットから飛び出し、アーネストの腹の上に落ちた。
飛び出してきたのは、マトリニア人の女性であった。なぜ女性と分かったかというと、マトリニアの女性は、成長すると顔が猫そっくりに変わるからである。なにやらしきりにまくし立ててきたが、スペーサーの側にいる少女を見るなり、今度はそちらに向かって飛びつき、肩を抱いてなにやらまくし立てる。少女もまた、相手を抱き返した。
どうやらこの女性は、少女の母親らしかった。二人は抱き合い、なにやらマトリニアの言葉で話している。
「何言ってんだ? 二人そろって」
「……再会できて嬉しいんだそうな」
母親は、娘がいなくなったのを知った後、このステーションの管理室へと駆け込んできた。本当はステーションの関係者以外の立ち入りを禁じているのだが、この女性はそれを忘れて無理やり入ってきたのである。そして、娘はどこなのか探してくれと室内にいた管理課の者に頼んでいると、その時に娘を連れてアーネストが入ってきたので驚いたという。しかしながら、娘と再会できたことを喜んでいた。同時に、迷子になっていた娘のほうも母親に会えて、驚くと同時に喜んでいた。
マトリニアの観光船が出発するとき、少女は、アーネストに何かを手渡し、それから母親のほうへと駆けて行った。
見ると、マトリニアの海岸線で取れる、小さな巻貝だった。地球の海とは違う、潮の匂いがする。サザエに似た形の貝殻は、彼の手の中で光を反射し、虹色に輝いた。
「ほー、マトリニアでもめったに取れない、レアものの巻貝だな。マトリニアでは、幸運の印とされているんだ」
巻貝を見て、スペーサーは珍しく感嘆の声を上げる。ポケットからようやく出てきたニィは、巻貝の匂いを嗅いで、垂れた耳をぴんと立てて毛を逆立てる。
「この貝殻、そんなにレアものなのか?」
「ああ。一度見つけたら、その巻貝を手放さないといわれている。しかしその貝を君にやったという事は、それなりに君に感謝しているという事ではないのかな?」
「そーなのか? ま、いっか」
アーネストは、普段はおまじないの類を信じるほうではないというのに、大事そうにそれを、ズボンのポケットに入れた。