結婚話



「なんですってええええー!」
 ヨランダは仰天した。
「あ、アタシを結婚させるって、どういうこと?!」
「い、いや、ですから――本物でなく偽装結婚ですよ!」
 依頼人の説明は簡潔であった。依頼人の息子は新米の医師で、その依頼人の息子が選挙に出馬予定だが、ある良家の令嬢に手を出しているという噂が飛び交っている。このままでは息子が出馬できなくなるという。そのため、身辺警護をかねて偽装結婚をし、噂が嘘だと知らせなければならないのだった。
「つまり、あなたの息子さんの出馬を良く思っていない奴が噂を流しているということね」
「……息子は確かに女遊びが過ぎているところがありまして、けれど絶対にあの家の令嬢に手など出さないのですよ。そのくらいは分をわきまえていますからね」
 依頼人はすがるように言った。
「ですから、お願いです! 息子の潔白を証明するために貴方と息子との偽装結婚を――」
 ヨランダはあからさまに嫌そうな顔をするが、アーネストは首をかしげたまま。
「つまり、結婚するふりをすれば皆丸く収まるって事か?」
 依頼人は大げさに首を振ってうなずいた。

「偽装とはいえ結婚だなんて。しかも明日だなんて、急すぎるわよ」
 ヨランダは別室でぶつぶつ言った。とりあえず彼女の身長その他を測定し、急遽ウェディングドレスを作ることになったので、今、彼女はそれが出来上がるのを待っている。
「でも、いっぺん着てみたかったのよね、ウェディングドレス」

 翌朝。偽装の結婚式が開催される日である。
 アーネストは欠伸しながら、ヨランダの着付けが終わるのを廊下で待っている。やがて、ドアが開いた。メイドに引き続いて、ヨランダが出てくる。アーネストは興味なさそうに目をやったが、彼女の姿を見て、思わず感嘆の声を上げる。
 純白のウェディングドレス。所々、ダイヤモンドの欠片をちりばめたようなキラキラした光が美しい。必要以上にごてごて飾りをつけず、シンプルだ。だが上品で清楚な雰囲気。
 いつもはキツい言葉を投げつけてくるヨランダが、何だか淑やかに見えた。
「どうかな?」
「ええっと……」
 アーネストは言葉に詰まる。褒めるつもりで言葉を捜すが、なかなか出てこない。
「えっと、馬子にも衣装、だっけ?」
 直後、乾いた音が廊下に響いた。
 別のドアが開く。出てきたのは正装した依頼人。そしてその後ろから、一人の男が現れた。
 ぎょっとするヨランダ。
「やあ、あなたが、ぼくの結婚相手ですって?」
 その男の歳は軽く三十を越えているだろう。背丈はアーネストよりやや低く、肥満気味で、丸い眼鏡をかけ、妙に老けた顔をしている。ヨランダは目を見開き、この男を見つめる。
(こ、こんなのと、偽装結婚……)
 自覚はあるが、ヨランダは面食いである。そしてこの男は彼女の好みとは程遠かった。しかしながら依頼、仕事。偽装結婚とは言えど、こなさねばならない。
「式の準備は整っています。では、そろそろ参りましょう」
 依頼人はどこかすまなそうな笑みを作っている。ヨランダはしぶしぶ、メイドの後をついていった。

 結婚式場は、依頼人の私宅の側にある教会であった。大勢の客人がつめかけても大丈夫であるように、教会の門戸が大きく開放されている。とはいえ、あまり人はいないようだった。
 張られた頬の痛みを気にしながらアーネストが退屈そうに式場の外壁にもたれかかっている間、結婚式が行われていた。神父の長々とした言葉を、ヨランダは上の空で聞いている。
(あーあ、偽装とはいえ結婚式。憧れてたけど、結構退屈なのね。けど、アタシのためのリハーサルだと思えば――)
 その時、十字架の背後に輝くステンドグラスが粉々に割れた。皆は慌てるが、ヨランダだけはとっさに身構える。戦闘訓練を受けている《危険始末人》ならではの反応速度だ。
「なにやってんのよアーネストは! 居眠りでもしてるの?」
 十字架の側で光るもの。飛来した銃弾をヨランダはとっさに身を引いて回避するが、ウェディングドレスでは大幅に動きが制限されてしまう。危うく銃弾が彼女の腿を貫く所だった。
 この銃撃で客はパニックに陥った。我先にと、開放された門戸から飛び出す。
 残っているのは依頼人とその息子、神父、ヨランダだけとなる。前述した二人はどうやら腰が抜けてしまったようだ。だが神父は平然としている。
「あら、どうやら貴方が、騒動の犯人らしいわね」
 神父の手には、銃が握られていた。
「バチあたりなことはしないほうがいいわよ。ま、アタシは神さまなんて信じないけどね」
「減らず口もそこまでにしてもらいましょうかね、そして、花嫁さん、あんたにはあの世へ逝って貰いま――」
 突如、銃声が聞こえ、神父はそのまま床に倒れた。
「地獄には、お前一人で逝きな」
 ステンドグラスの向こうから、アーネストが神父に銃口を向けていた。

「いや、助かりましたよ」
 依頼人は脂汗をぬぐい続けながら、言った。その隣で、息子もぺこぺこしている。だがヨランダもアーネストも機嫌が悪かった。
 神父はアーネストに撃たれたが、あえて彼は急所を外したので、入院の必要な怪我だけで済んでいる。先ほど病院へ運ばれていった。
「依頼内容を偽られると困るのは、こちらなんだけど」
 依頼の内容は、依頼人の息子が選挙に出馬できるよう偽装結婚をすることだった。だが実際は、偽装結婚を行うことで、息子を狙うストーカーを捕えることが目的だったのだ。
 実はこのストーカー、男であったが、恋をしていたのだ。盲目的な愛ゆえにストーカーに走り、ついには周囲の人間にまで危害が及ぶのではないかと思われるほどの言動までもが目立つようになった。
「で、どうして警察に言わなかったのよ」
「じつは、そのストーカーは……警視総監の息子さんなんですよ」
 なるほど、警察にいう事は出来ても、逮捕してくれるとは限らない。むしろ警視総監の息子という立場を逆手にとる恐れもある。だから《危険始末人》に依頼したのだ。偽装結婚をさせるというように依頼を偽らなければ、ストーカーはこちらの目的をかぎつけるからだという。そして、偽装結婚が開始されると、神父に化けて、花嫁を殺そうとしたのだ。
 結局、報酬は提示の倍額も払ってもらえたが、ヨランダは機嫌が悪いままだった。
「いずれにしろ、アタシの立場ってこんなものなわけ? アタシは着せ替え人形じゃないのに」
「俺にはストーカーってモンがさっぱりわからねえけどな。情熱的な愛ってのもだけど」
「無粋なアンタには無縁の話よ」
 アーネストが文句を言ったがヨランダは聞き流した。
(でも、あのドレスは綺麗だったわねえ。やっぱりあこがれちゃう)
《危険始末人》であると同時に、ヨランダは乙女だった。

(いつかアタシも、結婚するのかな……?)
 宇宙艇の窓に映る自分の顔を見ながら、ヨランダは思いをめぐらせていた。