透明薬
「断る」
スペーサーはにべもなく言った。
「そこを何とかしてよ〜!」
食い下がるのは、ヨランダ。
「あなたなら調合できるでしょ! どうしても必要なのよ、姿を消す薬が!」
「断る」
事の起こりは昨夜おそく。ギルドに属するシーフたちが、町の地下に作られたギルド専用の酒場で飲んでいたときである。誰かが、「体が透明になれば盗みもしやすくなる」と言った。それがきっかけとなり、どうやったら姿を消せるかをシーフたちが色々議論しあった。数時間の討論の末、魔法の薬を使えば透明になれるのではないかという結論に達した。そしてその透明になれる薬が盗みに役立つかどうかを検証するために、薬を手に入れることにした。もちろん魔法の薬は専門家に調合してもらう必要がある。この町で薬の調合をしているのは、魔法使いであり古代文献の研究者であるスペーサーのみであったため、彼と面識のあるヨランダを薬の調達係として行かせる事にしたのである。
しかしながら、スペーサーは執拗に断り続けている。
「……断るって、いいの? そんなこと言って」
ヨランダは、いきなり身を乗り出した。
「アタシがシーフギルドいちの情報収集の名人だってことは知ってるわよね。だから、あなたの持ってるヒミツの一つや二つなんかも知ってる。それを外にビラまいて教えてあげてもいいのよ?」
文献から目を離さず、スペーサーはパンと手を叩く。すると、ヨランダの体が小さく縮み、変わって、一匹の蝦蟇になる。どこからか彼の使い魔のカラスが飛んできて、蝦蟇を見つけ、嘴でつつこうとする。
「調合させるために脅迫したが、逆に蝦蟇に変えられて脅される、と。このことを町全体に伝えてやろうか? 井戸端会議の連中の、さぞいいネタになるだろうな、裏に潜むはずのシーフギルドが一躍有名になるぞ」
スペーサーの脅迫に、カラスの攻撃から逃れようと床の上でのそのそと動く蝦蟇は、動かない首を必死で動かし、横に振った。
「もー、あったま来た!」
ヨランダは研究所の外で悔しがった。蛙変身をといてもらい、カラスに頭をつつかれながら外へ出た。だが透明になる薬を調合してもらっていない。このままおめおめと帰ればシーフの名折れだ。蝦蟇にされてカラスにつつかれ、結局は薬を作ってもらえなかったなどと、口が避けても仲間には言えない。
「こうなったら、薬を盗み出すまでよ! それか自分で作ってやるわ!」
数時間後、研究所の明かりが消えてしばらくしてから、ヨランダは得意の鍵あけ作業で研究所の鍵を開けてしまい、中へ入る。忍び足で、覆いつきのカンテラを片手に、彼女は周りを確かめながら歩いた。研究用の部屋を通り過ぎ、廊下をさらに行くと、地下への急な階段がある。ヨランダは用心しいしい降りていった。階段をおりきると、そこは広い部屋だった。かまどや草の匂いがする。ヨランダはカンテラの覆いを外し、光を外に漏れさせて周りを見た。乾燥させた薬草が束になっていくつも天井から釣り下がり、その一つ一つに名札がつけられている。別の棚には無数の薬瓶が置かれ、さらに別の棚には大鍋や壷が置いてあった。薬の調合をする部屋であろう。ヨランダは心の中で歓声をあげた。
(ええと、透明になる薬の作り方は……)
自力で調合するために本を探しているとき、うっかり机にぶつかった。何かの瓶が倒れるカタンという音がしたので、彼女は慌てて瓶を元に戻した。薬瓶にはなみなみと薬が満たされている。きちんとふたは閉じられているので、薬はこぼれていない。ラベルを見て、彼女はまたしても心の中で歓声を上げた。ラベルには「透明薬」と書かれていたからである。
得したとばかりに薬瓶を持ち帰ろうとしたが、ふと、かまどから暖かな空気が流れてくるのを不思議に思い、そこに手をかざしてみた。暖かい。かまどの石に触れると、まだ余熱が残って熱かった。念のために、片付けられている鍋に触れてみるとざらざらした手触りがして、自分の手にはきつい薬のにおいがうつる。つい最近、鍋で薬を作ったらしい。
手の中の瓶を見る。
(ひょっとして、調合してくれたのかしら。いやだとか何とか言ってたのに……)
ヨランダは瓶をポケットにしまい、地下室を出た。
翌日。客の依頼で、スペーサーは風邪に効く魔法薬を調合していた。薬が出来て、客にそれを渡したその時、ヨランダが息せき切って飛び込んできた。
「ちょっとあの薬一体何なの……」
息を切らしたまま、ヨランダは話す。昨夜遅く、地下室から持ち帰った薬瓶の液体を仲間の一人が服用してみたところ、いきなりその体が透けて、体の中つまり骨と内臓が見えるようになってしまったというのだ。
彼女の話を聞いたスペーサーは呆れかえって、言った。
「瓶を盗んだのは、君だったのか。透明薬は、姿を消すための薬じゃない。元々体のどこに異常があるかを見るために、つまり医療目的で服用する薬だぞ。体全体を透明にする薬など、調合できる薬剤師はこの世に一人もいないだろうよ」
「ええっ、じゃあどうするのよ、あの透明みたいな変な体……」
「慌てずともじきに治る。体が透明な間は飲食が出来ないから、飲むのは本来一滴くらいなものだ。だから効き目は短い」
彼の返答に、ヨランダは手の中の瓶を見せる。
空っぽだ。
「……解毒剤を調合するから、手伝ってくれ」
肩を落としたスペーサーの後について、ヨランダは地下室へ急いだ。
半日後、ヨランダの持参した解毒剤で、体が透明になった仲間は何とか本来の姿を取り戻せた。そしてこの一件はしばらくシーフギルドの話題となり、やがて、透明になれる薬を使って侵入するというシーフたちにとって実に画期的なアイディアは、現実にそんな薬は存在しないという事実を突きつけられて、やがて忘れ去られることとなった。
「やれやれ、薬の騒動はやっと収まったのか」
使い魔のカラスから話を聞き、スペーサーはため息をついた。地下室で書物を広げ、魔法薬の調合について確認しなおしていたところである。が、カラスの話を聞くと、彼は急に書物のページを一枚破った。
「医療用の薬を置いて正解だったな。これでシーフギルドも、しばらくは馬鹿らしいことを頼みには来ないだろう」
言いながら、服のポケットから薬のなみなみと入った小瓶を取り出す。
「やはりこの薬は必要ないな。透明になれる薬など調合したところで、奴らのような連中に利用されるのがオチだからな」
彼はその瓶を、先ほど破った書物のページごと、燃え盛るかまどの炎の中へ放り込んだ。小瓶は熱で膨張し、パンと音を立てて割れた。中に入っていた透明薬は蒸発し、その作り方の書かれたページはあっという間に焼けて、灰に変わった。
透明薬は、失われた。