ちいさなミミック



 高さ三十センチほどの箱。まあ、外見は宝箱に見えなくも無いが、それにしては、若干血なまぐさい。
 スペーサーは、研究所の入り口に置かれたその箱を、しばらく凝視していた。
 杖の先で、箱を突いてみるが、反応は無い。それでもしつこく小突いていると、やっと箱が動いた。
「……」
 次の瞬間、杖の先から、いかずちがほとばしって箱を直撃した。
 ガパッと箱の蓋が開いて、ガチガチと、蓋が自分で開閉した。
「やはり、小型のミミックだな」
 スペーサーはミミックを蹴飛ばして追いはらい、研究所のドアを乱暴に閉めた。

 ガチガチという音はしばらく続いていた。その音を聞きつけ、使い魔のカラスが心配そうに主を見る。古文書を紐解いている主は、カラスに、ほっておけと言い、黙々と作業を続けた。
 ガチガチという音は、十分ほど経ってからピタリとやんだ。しばらく静かになった。
「どこかへ行ったらしいな……」
 が、スペーサーの安堵はすぐに打ち消された。
 ドアを直接かじる音が、聞こえてきたのだ。ガリガリ、ガリガリと。
 スペーサーはドアに術をかけ、ドアの硬度を強化する。が、ミミックの噛み付きはしつこかった。スペーサーはうるささに耳をふさぎ、裏口から出て表へ回る。
 彼の姿を見たミミックは、ドアをかじるのをやめ、彼のほうへピョンピョン跳んできた。襲う気はないように見えるが、ミミックには顔が無いので、口の中にある目を見て判断するしかない。箱のふちにズラリと並ぶ鋭い歯の内部にある、青白い眼球は、太陽の光を反射して不気味に光っている。やけにぎょろぎょろと、落ち着き無く様々な方向を見ている。
「何の用だ」
 高い知能を持つわずかなミミックは人語を解するので、もしかしたらと思い一応問うてみる。ミミックはしばらくガチガチと蓋を開閉させていたが、急にピタと蓋を閉じてしまった。数秒後に再び蓋を開けたが、その箱の内部にある目は、妙に潤んでいる。何かを訴えたいらしい。大きく蓋を開け、彼に迫ってくる。
「ん? 中を見てほしいのか?」
 喰われぬように用心しながら、彼はミミックの内部を覗きこんだ。ぎょろりとした目玉のすぐ近く、箱の隅の部分に何かが光を反射しているのが見えた。おそるおそる手を突っ込んでそれを引っこ抜いてみると、釘だった。
「なんだ、釘じゃないか。もしかして、これを外してほしかったのか?」
 釘を外されたミミックは、嬉しそうに蓋をガチガチ開閉させる。もう用は済んだろうと思い、彼はそのままミミックに背を向け、研究所へと戻った。

 数日後。またガリガリと扉をかじる音が聞こえた。ドアを開けると、勢い良くミミックが飛び込んで、スペーサーの胴に体当たりした。思わず床に背中から倒れた。カラスが心配そうに飛んできて、次に、ミミックに敵意を示してくちばしでつつきはじめる。
「い、一体何だというんだ!?」
 やっと起き上がり、スペーサーはミミックを押しのける。しかし、ミミックはまた飛び込んでくる。もう釘は外してやったはずなのだが。
 しつこくすりよるミミックを押しのけていたが、スペーサーは、頭の中でふいに浮かんだ考えを、払拭できなくなった。
 まさか、ミミックに気に入られた?!
 使い魔のカラスはやかましく鳴き喚き、ミミックにくちばしを突きたて、爪でひっかく。しかしミミックはひるまずにスペーサーに体当たりを仕掛けている。
 スペーサーはカラスにやめろと言い、続いて、ミミックの蓋に手をかけて乱暴に蓋をこじ開ける。内部の目が、彼を見つめ返した。ミミックの目は、人間で言うところの、顔にもあたる。目を見ればミミックが何を考えているかだいたい分かる。顔に出るのではなく、目に出るというわけだ。
 潤んでいる。彼だけを見つめている。獲物を見る目とは違うようだ。しかしミミックが人間に懐くなど聞いた事がない。どんな文献を紐解いても、そんな事柄は載っていない。
「私を喰うつもりはないんだな?」
 ミミックはガチガチと蓋を開閉した。頷いているらしい。
「私を気に入ったんだな?」
 またガチガチと蓋を開閉した。
「……一緒にいたいのか?」
 一番聞きたくなかった質問だが、ミミックとしては、一番聞かれたかった質問のようだった。
「……ふむ」
 嬉しそうに彼を見つめる目玉を見つめ返し、スペーサーはポンと手を叩いた。
「使えそうだな」

 後日。
「あ、これは新しい箱ね!」
 ヨランダは嬉しそうに、研究所の地下室入り口に置かれた箱を見る。しっかりと閉じられた箱には何が入っているのだろう。薬草のにおいはしないので、空の瓶でもつめてあるのかもしれない。
 スペーサーは、風邪薬を調合しているので、彼女に背を向けている。グツグツとたぎる薬の音が邪魔をして、彼女の立てるわずかな音は聞こえていないはずだ。
(何かしら? ひょっとしたら新しい薬の調合方法でも書いた紙でも――)
 悲鳴が地下室に響き渡ったのは数秒後だった。
 箱は、ミミックだったのだ。
 ミミックは彼女の手に噛み付いて離さない。牙が丸く削られているとはいえ、それでも噛み付きの力は全く衰えていない!
「ちょ、ちょっと何よこれ! キャー! 箱が動くなんて! ちょっと何とかしてよ!」
 慌ててミミックを振りほどこうとするヨランダの後ろには、できた薬の入った瓶を片手に大笑いするスペーサーの姿があった。