懐くミミック
「あのミミック、どうも怪しいのよね」
ヨランダは、シーフギルドの地下酒場で、誰に対してもなく、呟いた。
スペーサーの研究所に、いつのまにかおかれているミミック。最初、風邪薬を作ってもらいに行った時発見した。ただの箱で、何か入っているかもしれないと思って、開けようとしたところ、ミミックだったと判明。噛み付かれて慌てたところで、スペーサーに大笑いされてしまった。
「いつからあそこに置いてあるかわかんないけど、ひょっとしたら何か特別なものをしまいこむために置いたかもしれないわね。それとも、ただのトラップかしらね」
気になってきた。グラスの中の果実酒を一気に飲み干すと、ヨランダは言った。
「あのミミックが何のために置いてあるのか、確かめてこようっと」
シーフギルドの中でも、彼女は変わり者の部類に入っていた。
シーフたちが恐れる魔術師の元へ、堂々と行くのだから。シーフが大嫌いなあの魔術師の手で何人ものシーフやアサシンが消され、あるいは魔法の実験材料にされたか……。しかしヨランダはそれを知っていて、出かけるのである。彼女の肝っ玉ときたら、ある意味シーフたちからの賞賛の的だ。
さて、昼ごろ、ヨランダは研究所のドアを叩いた。小窓から、スペーサーの使い魔のカラスが覗き、嫌そうなしゃがれ声で鳴く。
「うるさいわね! もう!」
石でも投げようものなら、他のカラスも引き連れてきて仕返しをする事は目に見えている。目玉をつつかれ、くりぬかれた者がギルドにいたからだ。ヨランダがそれ以上何も言わず何もせずの状態でいると、カラスは窓の中に引っ込んだ。数秒後に、ドアが開く。ヨランダはすぐに中へ入る。ドアは彼女の背後で、まるで逃がすまいといわんばかりに、バタンと乱暴に閉じた。
入り口から伸びる短い通路を進むと、すぐに古文書やら研究文書やら、本と羊皮紙の束が床から天井までうずたかく積み上げられているのが目に飛び込む。その本の山の奥に机があって、そこも書類やら羊皮紙やら本やらで、半分以上が埋められている。が、その机の主の周りだけは片付いている。来客の顔が見えるように、彼なりに配慮しているのだろう。あるいは、誰かの襲撃を警戒しているのかもしれない。
昼時とはいえ、スペーサーは相変わらず研究に没頭。一体何の研究をしているのかは、ヨランダには理解できない。たとえ説明してもらっても、その研究を通じてスペーサーが得る物がどれだけ貴重で重要なものなのか、ヨランダにはどうでもいいことだろう。
「あら、こんにちは。お邪魔?」
スペーサーは、彼女の声で初めてその存在に気づいたといわんばかりの表情で、本から顔を上げた。
「ああ、別に邪魔じゃないが、いつ来たんだ?」
「さっきよ、さっき。一分も経ってやしないわよ」
「ああそう」
スペーサーは表情を変えないまま、本を机の上において、しおり代わりの紐を挟んだ。
「で、何の用だ? また誰か風邪でも引いたのか?」
「違うわよ!」
ヨランダは頬を膨らませた。
「聞きたいことがあるだけよ」
「そうか」
「あなたのとこに置いてあるミミックなんだけど。あのミミック、何か入れてあるの? お金とか?」
「いや、何も入れてない」
「じゃあどうして、置いてるのよ」
スペーサーは、パチンと手を叩く。すると、どこからかあのミミックが現れ、彼女の頭上に落下した。ヨランダはすんでのところでミミックの攻撃をかわす。ミミックは床の上に落ちた。
「奴が私に懐いているからだ」
ミミックは彼の言葉を裏付けるかのように、彼のほうに向かってピョンピョン飛び跳ねて行き、膝の上に乗った。
「ミミックが人に懐くの?」
ヨランダは仰天した。ミミックは大概、自分をただの箱と勘違いして近づいて来た者をむさぼり喰う、魔物の一種。人間に懐くなど、聞いた事がない。
「信じられないわね」
「私も信じられない」
ミミックはカパカパと口を開閉させる。愛情表現らしい。噛まれても大丈夫なように、牙は丸く削られている。その丸くなった牙で、彼の服を時々噛んでいる。使い魔のカラスは、いつ主人がミミックに食われるか気が気でないらしい。止まり木の上からミミックを見ているのだ。
「しかし、こうして番犬の代わりになってくれるから、置く価値はあるな」
ヨランダは、風邪薬を作ってもらったとき、ミミックに手を噛まれたのを思い出し、思わず赤面した。
(嫌な性格してるわねホントに!)
ヨランダは思ったが、口には出さなかった。口に出したら最後、相手に何をされるか分からないからだ。
「わかったわよ、番犬なんでしょ要するに。おじゃましてごめんなさいね」
ヨランダはそれ以上相手に何か言われないうちにと、慌てて回れ右をした。研究所のドアが勢いよく開いて、彼女が出た直後、閉まった。
直後、ミミックが大きな口をあけたまま、ドアに体当たりした。
もう来るな。そう言っている様だった。