モノクロ・パニック



「また逃げた!」
 アーネストは、事務室へ飛び込んだ。
 事務室には、ヨランダしかいないはず。だが、彼女はデスクの側に固まっているだけで仕事はしていない。そして何より、デスクの上に、彼女の体を固くしているモノがいる。
「見つけたぞ! このゴキパンダ野郎!」
 両肩を大きく上下させて荒く呼吸しながら、アーネストはそのモノめがけて捕獲用ネットを投げた。

 事の起こりは三十分ほど前のこと。
 銀河有数の害虫とされる、ウチュウゴキブリ以上の凶悪さを持つ、モノクロゴキブリ。大きさは三十センチ。糞を所構わず撒き散らして辺りを白黒に染め上げる。ほかの特性は地球のゴキブリと変わらないが、糞をまかれると簡単には落とせないのと、自分の糞すらも食料にしてどんどん数を増やす単為生殖を行うことから、ウチュウゴキブリ以上に嫌われる害虫である。
 このモノクロゴキブリが、他のステーションで停泊していた宇宙船の荷物の隙間に紛れ込んで、このセカンド・ギャラクシーまで運ばれてきた。そして、その船が停泊している間に、モノクロゴキブリは這い出して船から逃げ、ステーション中を走り回っているのである。

 捕獲用ネットは標的をはずれ、床に落ちる。モノクロゴキブリはネットに驚いてカサカサと逃げる。
「くそ、逃がした!」
 アーネストがネットを拾って部屋から飛び出そうとすると、硬直の溶けたヨランダが、今頃、デスクの上の文鎮を投げつける。文鎮は見事にヒット。アーネストは頭にダメージを受ける羽目になった。
「何すんだよ!」
 痛む頭をさすって、アーネストは振り向く。
「うるさいわね! 怖くて体が動かなかったのよ!」
 ヨランダは涙目。あのような巨大なゴキブリを見たのだから怖いに決まっている。今になって体が動いたのだろう。
「あんなイヤなの、さっさと退治してよ!」
「今やってるところだ!」
 アーネストはヨランダをほったらかしてそのまま事務室を出た。が、ドアを閉める直前、また文鎮を投げつけられ、アーネストの後頭部にまた命中した。

「おい、薮医者!」
 文鎮を投げられた傷を手当してもらおうと、アーネストは医務室のドアを無理やり開ける。
「ちょっと頭の手当を――」
 同時に医務室から何か黒いものが飛んできて、アーネストの頭上を飛び越える。直後に、刃の出たレーザーメスが飛んできて、アーネストのあけたドアに突き刺さった。
「くそ、逃がした!」
 イラついた医者の声。
「あ? 何してるんだ」
 奥からスペーサーが現れ、ドアの側で立ち尽くしているアーネストを見る。メスを投げつけられたショックで動けなくなったのだ。あと数センチ、アーネストの立ち位置が左へずれていたなら、確実にアーネストの首筋にメスが突き刺さっていた事だろう。
「何してる、じゃねえだろ!」
 硬直のとけたアーネストは、メスをドアから引っこ抜いた医者の胸倉を引っつかんだ。
「いきなりメス投げつけるんじゃねえ! 危うく殺されるところだった――」
「ステーションにモノクロゴキブリの侵入を許すような間抜けに言われる筋合いはないな」
「何だと!」
 それでも頭に文鎮を投げつけられた傷の手当をしてもらい、アーネストはすぐに医務室を飛び出した。
 廊下に点々と、白黒のフンが落ちている。
「あっちだな」
 アーネストは深呼吸して、フンを追った。

 事務室。
「全くもう、あんなイヤなのを入れちゃうなんて。管理課は何やってんのよ」
 ヨランダは愚痴をこぼし、書類の整理に取り掛かる。
 カサ。
 背後から物音。
 とっさに振り向くが、何もいない。
「気のせいよね?」
 自分に言い聞かせて、彼女は作業に取り掛かる。
 カサ。
 とっさに振り向く。
 すぐ後ろのデスクの上に、体長三十センチは優にある、巨大なゴキブリが――

 五分後、彼女の悲鳴を感知した、アーネストを初めとする管理課の者たちが数名、事務室に飛び込んだ時には、事務室に侵入していたモノクロゴキブリは、頭に大型の業務用カッターナイフをはやし、体には重さ十キロにも相当するコピー紙置き台を載せ、周りのデスクや壁にモノクロの体液を撒き散らして、息絶えていた。

 モノクロゴキブリ退治のいきさつは次の通り。
 モノクロゴキブリを見つけたヨランダは、まず体が固まってしまった。が、モノクロゴキブリが触角を動かし、続いて彼女のほうへそっと足を動かし始めた。別に襲ってくるわけではなかった。が、ヨランダの体は反射的に動き、巨大な害虫から身を守らんが為にとっさにデスクの上に手を走らせ、ちょうど刃の出ていたカッターナイフを掴むや否や投げつけたのである。
 しかしゴキブリの生命力はどの銀河へ行っても同じ。極めて強い。頭をカッターで貫かれてもまだうごめいているモノクロゴキブリに対し、恐怖心のあまり考えなど何も浮かばなかった彼女は、体の動くままに任せた。また手がデスクとその周辺を高速で探り、とっさに指先に触れたものを掴む。それが何かも確かめもせず、彼女は本能の命ずるまま、投げつけた。
 ガシャンと派手な音がして、普通ならば片手で持つことすら出来ない重さの金属の台が彼女の片手で投げつけられ、モノクロゴキブリの体をぺしゃんこに潰したのであった。

 モノクロゴキブリのフンを掃除しながら、管理課の者たちは口々に言った。
「女って怖いな」