迷子探し



「ねー、いいでしょ?」
 ヨランダはテーブルに精一杯身を乗り出した。
「だって、もう頼れるの、あんたしかいないもん」
 アーネストは、肘杖をついたまま、怪訝な顔で、目の前のシーフを見つめた。
 ヨランダが、酒場で飲んでいるアーネストの所へやってきたのが少し前。聞けば、シーフギルドに属する一人の少年が、朝方森に入ったきり戻ってこないという。夕方近くになってからシーフの面々で手分けして探したが見つからず、森の奥に行ってしまったのだろうと言う結論に達した。森の奥は魔物や獣がうろうろしていて、シーフたちだけでは危険なのだ。そこで、護衛をつけるために戦士ギルドへ来たが生憎みんなが出払っており、仕方なく、最寄の酒場に探しに来たのである。
「いいでしょ、どうせお酒飲めるほど暇なんだし。スペーサーは相手してくれないし。あんたしかいないのよ! ちゃんと報酬は払ってあげるから」
 猫背になるくらい、ヨランダは真剣な表情でアーネストのほうへ身を乗り出している。その際に見える豊かな双子の丘に目を奪われるところだが、状況が状況であるだけにそんなところを見ている場合ではない。
 アーネストは、果実酒を飲み干した後のグラスを手の中でこねくり回していたが、やがて立ち上がった。

 夕日がくれて、辺りはすっかり闇に閉ざされている。光の届きにくい森は、外に比べてより一層暗かった。光がなければ足元も見えない状態だ。そして夜行性の獣が多いこの森を、夜間に通るのは命知らずのやることだ。戦士ギルドの皆はそれをよく知っている。
「こんなところへ、何しに入ったんだよ」
 アーネストは、背中の鞘から長剣を抜く。ヨランダはカンテラで道を照らしながら、首を振った。
「わかんないわよ。森に行くって言ったきりだもの。何も話してくれなかったわ」
 夜行性の動物は光が苦手である。とはいえ、光があるという事はそこに獲物があるという事を知らせるのと同じ。アーネストはいつもより一層神経を尖らせて警戒していた。しかしヨランダはその森の恐ろしさを知らないため、カンテラであちこちを照らしている。
「どこなのー、出てらっしゃい!」
 近くの茂みがガサガサと音を立てる。
「あ、まさか」
 ヨランダは近づこうとするが、その襟首を、アーネストが引っつかんだ。
 うごめく茂みから、勢いよく獣が飛びかかってきた。ヨランダを素早く脇へ寄せ、アーネストは長剣を振りかぶって獣の脳天を叩き割った。
「無防備にも程があるぞ、お前!」
 獣が死んだことを確認してから、アーネストはヨランダに言った。ヨランダは足が震えている。獣が来るとは思っていなかったようだった。
「しっかりしろ! 依頼人がこんなんでどうする!」
 ヨランダを叱咤し、アーネストは歩き出す。ヨランダはアーネストにしがみつくような格好で、後を追う。
 どれくらい奥へ歩いたのか。アーネストでさえ道を忘れてしまいそうなほどだ。暗くて狭くなる。時折現れる獣を斬り、更に奥へ進む。そして、
「あっ」
 ヨランダは思わず声を上げる。前方の大きな樫の木の洞の中に、いたのだ。
 彼女の探していた、ギルドの少年が。
 獣を避けるためなのか、洞の中に落ち葉を敷き詰めて、小さくなって頭を抱えている。どうやら獣達に怯えているようだ。
「あっ」
 しかしカンテラの光とよく知った顔を見て安堵したようだ。洞から飛び出し、ヨランダに飛びついた。
「こわかった、こわかったよお……」
「よかった……。けど、あんたってば、一体なんでこんなところへ入ったのよ!」
「再会を喜ぶのは後にしたほうがいいぜ」
 アーネストはまわりに素早く視線を走らせ、長剣の血を素早く振り落とす。そして、振り向いた。
「血の匂いにつられて、やってきやがった」
 闇の中からカンテラの光に照らされたのは、ナイフのように鋭い牙を剥いた、巨大な虎に似た魔物だった。獲物を食べたばかりなのか、口の周りには血糊がついている。
「そこから離れるなよ!」
 アーネストの言葉と同時に、魔物が爪をぎらつかせる。そして、地を蹴って飛びかかってきた。勢いよく突き出される前足の爪。アーネストは、爪の一撃をかろうじてかわした。爪は、鎧の肩当てに当たったので体をかすらなかったのだ。
 狭い森の中では、刃渡りが人の背丈ほどもある長剣は振り回しにくい。今までは道がそこそこ広かったので振り回せたのだが――アーネストは自分の武器の長所と短所を知り尽くしていた。リーチの長さが売りの剣だが、長すぎて狭い場所で振り回すには不向きなのである。横なぎに払う攻撃よりも、上段に振りかぶって脳天を叩き割る攻撃の方が向いている。
 魔物がまた飛びかかる。今度は一撃で仕留めるつもりのようだ。大きくジャンプして、落下の体重をかけてくる。あの大きな魔物の下敷きになってしまえばそう簡単に逃げることは出来ないだろう。よけたところですぐに攻撃態勢に移る。空中にいる間に迎え撃つしかない。だが、どうやって攻撃すればいいのか。
「そうだ!」
 とっさに閃く。そして、アーネストは、長剣を魔物の腹めがけて投げつけた。
 断末魔の咆哮と同時に、あたり一面に血の雨が降った。

 少年が森の奥へ入ったのは、自分が弱虫ではないという事を証明するためだったという。普段から夜が嫌いで、夜間行動を嫌う彼は、森の中に入って肝試しをすれば自分が弱虫ではないことを証明できると考えたのである。結果、奥へ行き過ぎて迷子になり、獣達が活動を始める頃になると、隠れてやり過ごすしかなくなったのである。
 シーフたちは少年が戻ってきたことに安堵したが、一歩間違えば魔物に殺されていた無茶な行為に対して怒りを覚えていた。それでも勝手な行動をとった少年を許してくれた。
「じゃ、今夜はありがとね」
 ヨランダは、別れ際、アーネストに言った。振り向き様に、コインを一枚投げてよこす。
「アタシ、人に借り作るの嫌いだから。それに、あんたの暇な時間を潰しちゃったお詫び。お酒代はそれで払って頂戴」
 月光に照らされてキラキラ輝いて落ちてくるそれを、アーネストは受け止めた。月明かりで見てみると、それは、金貨だった。
「へー、後で難癖つけて報酬はらわねえシーフにしちゃ、珍しいな」
 アーネストは、本物かどうか確かめた後、金貨を大事そうに財布の中へと入れた。
「さて、もう一杯飲み直すか」
 月明かりに照らされながら、アーネストは、酒場へと戻っていった。