昔の記憶
「ねえ、おばあさん」
ヨランダは、薬草いりの水割り酒をちびちび飲みながら、問うた。呪術師の老婆は、麦がらの多いエールを深い皿から飲んでいた。孫のセラはすでに料理の特訓で疲れ果ててしまい、早くも寝床の中。
「何じゃ、小娘」
「実は、昔話を聞きたいのよ」
「ほお」
老婆の眉根がつりあがる。
「どんな話じゃ？」
「そーねえ。アタシが生まれるよりずっと前の話。何十年も前の戦争の時の話なの」
「ほお、なぜそんな昔話を聞きたいんじゃ」
「知りたいからよ。あの戦争で何が起こってたのか。この国と隣国が壊滅状態になったのはいったいどういうわけなの？ おばあさん知ってるんじゃない？」
老婆はしばらく目を閉じていた。
「わしゃ、確かにあの戦争を知っておる。あのころはお前と同じくらいの歳じゃったからよく覚えておるとも。小娘よ、これからわしの話すことを頭ごなしに否定するようなことは一切してはならんぞ！」
「……わかりました」
ヨランダの言葉に、老婆は皿にエールを注ぎたし、一口飲んでから話し始めた。
後世にも知られる大戦争。二つの国の半分ずつが壊滅状態となったもの。当時、魔術師が兵士として珍重されており、彼らの操る魔術と結界術は攻撃と防御に用いられていた。魔術師たちは国の後ろ盾を受けて術の研究に励んだ。古代の文献を紐解いて、あるいは既存の術を組み合わせて、新しい魔術を作ろうと励んだ。
大戦争として知られる、八十一年前の戦争。両国の力はほぼ互角。だがこの国の魔術師部隊に属する者の一人が、寝食を忘れて研究に没頭した末に完成させたばかりの古代術を、戦闘開始と同時に試し撃ちした。
術の詠唱が完了してわずか五秒で、その魔術師以外の兵士すべてと、自国敵国の半分が消し飛んでしまった。
「たった一人の魔術師が、そんなことをしたの……？」
ヨランダは木のコップを手にしたまま、呆然としている。老婆はエールを一口飲んで渇きをいやした。
「そうじゃ。やつは他の魔術兵よりもはるかに抜きん出た才能と自負心を持っておった。だからこそ寝食を忘れて研究に没頭した結果、あの忌まわしい術を使えたんじゃよ」
「でもおばあさん、よく無事だったわね」
「わしゃ斥候の護衛をしておったんじゃ。だから術の力が届かん場所にいたんじゃよ。わしが無事なのはそのせいじゃて」
「で、その魔術師はどうなったの？ あの戦争はすぐに条約結んでおしまいになったけど……」
「あの魔術師は師匠から破門されたそうじゃよ。わしはその場にいなかったのでくわしくは聞いておらんがな」
「で、その後はどうなったの、そのひと」
「さあのう」
老婆は遠くを見やる。
「どこかでのたれ死んだのかもしれんし、他の国の研究所に雇われたのかもしれんし……わしにはわからんわい」
「そう……」
ヨランダはスペーサーの言葉を思い出す。「何十年も前の話を今頃蒸し返して……」と言っていたはずだ。
「その魔術師って、結婚とかして細々と一般人として暮らしていたとか？」
「さあのう」
老婆はもう一杯酒を飲んだ。
この老婆は本当に知らないのだろうか。単に忘れてしまっているだけなのか、嘘をついているのか、ヨランダにはわかりかねた。それから、ヨランダは泊めてもらった。よくほぐした藁を積み上げて厚手の布をかけただけの簡単な寝台はなかなか気持ちのいいものだった。
（話を蒸し返したってことは、スペーサーはあの戦争のことを知ってるのよね。でもあの時代に生きてたはずはないし、きっとあの人のお父さんかお爺さんが戦争に参加してたんだ、きっと。それで、親子代々過去の罪を語り継いでるから、過去の話を蒸し返したって言ったんだわ）
酔いが少し回ってきて、ヨランダは眠りに就いた。
翌朝、ヨランダはセラと麦の粥を一緒に作らされる羽目になった。食後、呪術師の家を出てからギルドへ戻った。
「あーあ、ギルドマスターは今日もいないのね」
ギルドマスターの年齢は分からないが、とにかく歳をとっている事は知っている。どのくらい歳をとっているのかはさすがに分からない。
「ギルドマスターも何か知ってるかもしれないのになー」
ギルドマスターはあいにく留守だった。隣国へ出かけたらしい。いつ帰るかは、ギルドの誰も知らない。この町には図書館がないので、当時の本を見ることもできない。複雑なスペルでなければ何とか読めるのだが……。スペーサーの研究所に本がないだろうか。だが、何と言って本を見せてもらえばいいのだろうか。シーフ嫌いな彼のことだから、読書にかこつけて何か盗むつもりかと勘繰られるのがオチだ。それ以前に、一度だけ本を山ほど読まされたことがあったが、あの中には歴史関係の書物などなかった覚えがある。ずっと前から建っている研究所なのだから、歴史書が一冊くらいあってもおかしくないと思ったのに。
「あれ？」
ヨランダは違和感をおぼえた。
「あの建物、いつから建ってたの……？」
覚えている限りでは、彼女が子供のころから建っていた気がする。だが、その建物は研究所として使われていなかったような気がする。
「スペーサーっていつからこの町に住んでるんだっけ……？？」
可能な限り記憶をたどってみるが、どうしても思い出せない。彼の親を見たこともなければ、子供時代の彼を見た覚えがない。五年か六年前くらいしかさかのぼれない。越してきた覚えもない。
「変ね、どうしてはっきり思い出せないの？」
思い出そうとすればするほど、記憶の中にもやがかかっていった。
彼女の苦悩する様子を、窓からカラスが覗き込んでいた。
研究所に戻ってきたカラスの報告を聞き、スペーサーはため息をついた。
「術の効果が薄れてきているな。さっさとまた町中に広めねば……」
研究所の地下に巨大な魔法陣がすでに描かれている。彼が長い時間をかけて術を唱えると、魔法陣から光が放たれ、陣ごと消えた。ぜえぜえ荒く息をついて座り込み、彼は安堵のため息をついた。
「フウ。これでしばらく持つだろうな」
町中に降り注いできた微弱な光は人々の頭の中に入り、記憶を少し混乱させ、忘れさせた。
「私が姿を変えてわずか五年か六年にしかならないことを嗅ぎつけられては困る……」
使い魔のカラスはカアと心配そうに鳴いた。
「あっ、そうそう思い出した。十年以上前からいたんだった！ で、薬屋兼研究所として、あの建物に住み込んでるのよね」
ヨランダは思い出せたことに対して嬉しそうに手をたたいて喜んだ。
「あー、きっと両親が早くに死んじゃったからあの研究所の後を継いだのね。だとしたら、やっぱりあの大戦争に直接かかわってたわけじゃないんだわ。両親から聞かされたことをそのまま自分のやったことみたいに思ってるだけなんだわ！」
作られた偽の記憶が浮かんだことで、ヨランダは納得していた。