なくし物



 このごろステーションの中で、頻繁に物がなくなる。居住者の私物から客の重要書類に至るまで、あらゆるものが、目をはなしたわずかな隙になくなるのである。ステーションには物をなくさないよう戒厳令が敷かれた。

「なくすなっていわれても困るわね」
 事務室で、デスクの書類と格闘しながら、ヨランダは呟いた。そこへ、アーネストが新しく書類を持って入ってきて、彼女のデスクの側にどさりと置く。彼の肩の上には、ニィという名の、握りこぶしほどの大きさのムルムルが乗っている。毛が長くて耳の垂れた兎に似たこの動物、金属食いの食性と驚異的な繁殖力から害獣と指定されているが、性質は大人しく、子供の頃から飼えばすぐ人に馴れる。そのため一部の愛好家達はムルムルを去勢し、ペットとして飼いならしている。また、去勢されたムルムルは通常よりも発育速度が遅くなるので、何年もかけてやっと大人の大きさ――といっても兎ほどの大きさだが――になる。
「何が困るって?」
「物をなくすなって言われたのよ」
 事務室には彼女しかいない。他のものは皆、それぞれの事務処理の仕事に追われ、ここにはいない。
「でも、目を離した隙になくなるのよ。ここ数日で、何本のペンをなくしたことか」
「ペンならまだ良い方だろ。俺は工具セットなくして、すんげえ大目玉食らった」
「当たり前じゃないの。けどアタシなんか、工具セットやペンとは比べ物にならないくらい大事なものをなくしちゃったんだから……」
「……」
 肩のニィをなでながら、アーネストが事務室を出て行った後、ヨランダはまた事務作業に取り掛かった。一日中走り回る管理課とは違い、事務課は必要な時以外デスクを離れず書類を処理するのである。
 一人でずっと書類を処理し、アーネストの運んできた山のような書類に手をつけようとして、彼女はデスクから身を乗り出した。

 カサ。

 背後から音がした。とっさに振り向くが、そこにはデスクと事務処理用コンピューターがあるだけで、他には何もない。
気のせいかと思い、書類を手にしたとき、先ほどの音はまた聞こえてきた。カサカサと、紙の中で動いているような音。ヨランダはどきりとしたが、音の正体を確かめるべく、音源に向かって、ゆっくりと歩いた。音はまだ聞こえてくる。
 巨大なウチュウゴキブリでもいるのかと、そっとほかのデスクから身を乗り出す。
「あっ!」
 彼女は思わず声を上げる。なぜなら、デスクの側で、置きっぱなしであったペンをくわえて引きずっている生物がいたからである。
 長い体毛のムルムルとは違い、この生き物には体毛がない。大きさは地球の猫くらいである。スフィンクスという種類の、無毛に近いほど毛のない猫がいるが、この生き物はその猫に似ていた。
 その生き物はペンをくわえていたが、彼女に見つかるや否や、飛び上がって駆け出した。ヨランダは弾かれたように、その後を追って事務室を出る。
「あいつが、なくし物の犯人ね!」
 生き物はかなりの速度で走っており、彼女が全力疾走してもなかなか距離が縮まらない。途中、C区画の防護壁の整備を終えたアーネストに遭遇する。彼の側をその生き物が駆けていく。同時に、彼の肩のニィが長い毛と垂れた耳を精一杯立てて、威嚇する。
「どしたんだよ、ニィ」
 そこで、ヨランダが駆けてくるのを見た。
「なにやってんだ、運動か」
「何って、あいつを捕まえて! あいつが犯人よ!」
 ヨランダが指した方向のはるか先に、ペンをくわえた生き物が走っていた。アーネストは走らず、整備を終えたばかりの防護壁のスイッチを作動させ、これから生き物が行くと思われるD区画の通路をシャッターで塞がせた。瞬間的に水色のバリヤーが張られ、通行不可能となる。生き物はその壁にぶつかり、ぎゃっと声を上げた。向きを変えて走ろうとするので、すかさずアーネストは、D区画とC区画の境界線となる場所のシャッターを作動させる。進路、退路ともにふさがれ、生き物はうろうろとうろつくばかりだった。

 その生き物は、地球外第一銀河の第六惑星・エテサに生息する哺乳類であった。名をフマと言い、物を集めることが好きで、目に付いたものを見境なしに集める習性がある。おそらく、エテサの貿易船が立ち寄った際に、積荷の中に紛れ込んでいたのがステーションに侵入したのだろう。
 フマを放してやると、巣へ一目散に逃げていったが、そこはステーションの倉庫であり、いつもアーネストがニィの餌として金属くずを拾っていく場所であった。その倉庫の奥に、皆がなくしたと思われるあらゆる物がためこまれていた。ライトの光も届かないところになくし物が山積みとなっていたのに、死角となった場所にあったせいで、彼は気がつかなかったのである。

 なくし物が戻り、ひとまずこの騒動は落ち着いた。
「よかったわ、なくしたペンがみんな戻ってきて。それに、これも戻ったしね」
 デスクの上に、なくしたペンを並べ、ヨランダはほっと息をついた。彼女がなくしたペンは合計八本。その全部が使いかけであった。おまけに、数日前に彼女がなくしたルビーの髪留めも、無事に戻ってきた。ペン以上に、彼女は何よりもこれが戻ってくることを望んでいた。なぜって、事務員としての給料を半年分引き締めてやっと買えた、彼女の唯一の贅沢品なのだから。