眠れない



「またエアコンが壊れたって?」
 スペーサーはあきれ返った声をあげ、万年筆をインクつぼに突き刺した。
「夏に修理したのに、もう壊れたのか……」
 寝間着姿のヨランダは頬をふくらませた。
「そうなの! 壊れちゃったの! この寒いのに」
 窓の外では、強風が窓をひっきりなしに叩いている。さらにその風に乗じて雪が地上を白く染め上げていく。
「アタシの部屋、北側にあるから日があんまり入らないのよね。だから冬の間は温度があんまり上がらないの」
「うん」
「だから冬はエアコンがないと過ごすのがつらいのよねえ」
「うん、それで?」
「それでって、ねえ!」
 ヨランダは、彼女に背を向けて原稿用紙に向き直ったスペーサーに詰め寄る。
「あなた何とも思わないわけ!?」
「いや、思ってるとも」
 万年筆を原稿用紙に走らせながら、彼は続ける。
「エアコンが直るまでの間、私の部屋を貸せって言いたいんだろう?」
「そうよ。どーせあなた日中いないでしょ」
「あいにく、それは出来んな」
「どうして」
「明日から大学は休みだから」
 ヨランダはうめいた。
「そうだったわね……でもいいじゃない、一日くらい。修理は一日あればいいんだし、原稿書くくらい居間でもできるでしょ」
「そういうわけにはいかんのだ。原稿は今夜中にあがるが、次は学会に出す研究資料の作成をしなければならない。研究資料作成に使う文献は全部この部屋の中にあるし、持ち出すのは重労働だぞ。だから、貸せない」
「ひっどい! こんな身を切るような寒さの中、冷たい布団の中で眠れって言うの?」
「湯たんぽをやまほどつめれば問題ないだろ」
「むっか〜! ひとでなし!」

 ゴネとおして、今夜だけ部屋を貸してもらえることになった。暖房はちゃんと効いていて温かく、水のたっぷり入った加湿器は部屋の隅で静かに動いている。安眠できそうだ。とはいえ、スペーサーが原稿を書いている間中、万年筆がカリカリ言う音と原稿用紙をカサカサ動かす音と部屋の明るさに耐えなければならないのだが。
 スペーサーは徹夜に慣れているので一夜寝なくても問題はなく、欠伸一つせず万年筆を原稿用紙に走らせ続けている。時々原稿用紙を読み返し、駄目だと判断したものはその紙を丸めてそばのゴミ箱へ放り込む。一心不乱、わき目も降らずにそれらの動作を続ける。その様子はまるでプログラムの完璧なロボットのようにも思える。
(うう、やっぱり寝づらいわ……)
 布団の中に包まっているヨランダは、眠れずにいた。自室のベッドと比べて布団が固く感じる。枕が替わると眠れないので自分のを持ってきたのだが、それでも眠れない。窓に叩きつけてくる強い風の音はどうでもいいのだが、それよりも紙の上を走る万年筆の音や紙をこすり合わせるカサカサという乾いた音のほうが気になってしまう。
(あ、そうか。いつも壁が音を防いでるから聞こえてないんだっけ)
 まぶしい。だが、電気を消してくれと頼むことも出来ない。彼の机には電気スタンドがない上に――手元だけ明るいのが嫌なのだとか――作業に没頭している彼に声をかけてもなかなか気づいてもらえないのだから。
 枕もとの時計を見ると、すでに夜中の一時を過ぎている。布団に潜ったのが十時すぎ。眠れずに布団の中で転寝と目覚めを繰り返している間にそれだけ時間がたっていたようだ。眠りたいのに眠れない。かといって自室に戻れば、寒くて余計に眠れないだろう。我慢我慢。ここで寝たいとゴネたのは自分なのだから。
(夜が明けるか、アタシが眠るか、どっちが先なのかしら)
 羊を数えるも五十匹数えたところで飽きてやめてしまった。全然眠くならない。目を閉じてもなかなか眠れない。カリカリ、カサカサと、作業の音だけが響く。いっそのこと、相手に部屋を移ってもらえないか頼もうとも思ったが、それはさすがにずうずうしすぎるので止めた。
 転寝を何回繰り返したか忘れてしまったころ、さすがに彼女のまぶたも本当に降りてきて、そろそろぐっすり眠れそうだった。同時に、原稿が終わったスペーサーが欠伸をして背伸びする。そして、デスクの隅っこにおいてある時計を見る。
「あー、まだこんな時間なのか」
 つられて彼女も時計を見ると、時計の針は六時半を指していた。
「うそっ! もう六時……?!」
 思わず飛び起きたヨランダを、スペーサーは振り向いた。
「やあおはよう」
「おはよう、じゃないでしょ! もう六時すぎなのよ! アタシ全然寝てないわ……」
「ほー、寝られなかった? そりゃご愁傷様」
 彼は同情などカケラも示さず、原稿用紙の束を封筒につめてから暖房のスイッチを消すとさっさと部屋を出て行ってしまった。一晩寝ていないのに、欠伸以外に眠そうな様子を全く見せていない。
「やっと眠れると思ったのに、もう朝だなんて信じられない……!」
 朝だと分かった途端、強い眠気が一気に襲い掛かってきた。そうして十五分ほど経ってスペーサーが自室のドアを開けたときには、彼女は今度こそ布団の中で夢の世界へ旅立ってしまっていたのであった。

 昨夜の大吹雪が嘘のようだった。快晴。雪は積もっているがまだ凍り付いてはいない。この天気が一日続けば半分は溶けてしまうだろう。
 毎年男二人が雪かきをして道を切り開かねばならない。そして今年もその役割は守られる。
「あとで車貸してくんねー? 俺、行かなきゃならねーとこあんだよ」
「……行くのはかまわんが、燃料をちゃんと満タンにして返せ。あと、事故るなよ」
「わかってらい」
 柔らかな雪を道の脇によせて除雪作業を続ける。雪の量は多かったが、ガレージ脇に雪を積み上げて何とか外へ出るだけの通路を開いた。それから更に車を出せるだけの道幅を作る。その作業が終わってから、修理屋を呼んでエアコンの修理を依頼する。アーネストが車に乗って外出するのと入れ違いに、修理屋が来る。ヨランダの部屋にあるエアコンを修理してもらった後、一度スペーサーは自室のドアを開けるが、中を見ただけですぐ閉めた。
「なんだ、まだ寝ているのか」
 彼女が全然起きてこないのも無理はない。一晩中眠れなかったというのだから。
「とはいえ、寝すぎるのも考え物だなあ。あとで起こすか」

 ヨランダが目を覚ましたとき、時計の針は八時を指していた。
「あれ……? まだ八時過ぎ?」
 起き上がった彼女は、ぼんやりした頭のまま、周りを見る。部屋は明かりがついていて、カーテンが閉まっている。部屋の主はいない。
「まだ八時なのかあ。二時間しか寝てないのね」
 だがなぜカーテンが閉まりっぱなしなのだろう。八時ならとうのむかしに明るくなっているはず。開け忘れているのだろうと思い、彼女はカーテンを開けてみた。
「えっ?」
 外は夜のように暗かった。ヨランダは我が目を疑い、片手に持った目覚まし時計と、窓の外の景色を交互に見比べる。時計は八時を指している。外は真っ暗。
「ま、まさか……夜の八時なの!?」
 彼女がショックから立ち直れないまま部屋の中に突っ立っていると、ドアが開いて、部屋の主が入ってきた。
「やあ、やっと起きたのか」
 ヨランダは部屋の主に飛びついた。
「もう夜じゃないの! なんで起こしてくれなかったのよ!」
「何度も起こしたさ! 十回くらい! だが起きなかっただろうが!」
「起こし方が悪いの!」
 怒鳴って時間が戻るわけでもない、ヨランダはとにかく自分の部屋に戻った。修理の終わったエアコンは快適に動作してくれたものの、今の彼女にとっては、何の慰めにもならないことであった。
「どうしよう……眠くない……」
 長い夜が始まろうとしていた。