寝ても寝足りない



「さっさと起きろ!」
 朝七時きっかりに、スペーサーはアーネストをたたき起こした。ベッドのシーツを引っ張ってアーネストを床に落とすのである。その細腕の何処にそんな腕力があるのかという事は気にしてはならない。
 床に頭から落ちたアーネストは、当然頭をしたたかに打って目を覚ます。痛む頭と寝ぼけ眼を交互にさすりながら、やっと体を起こす。
「あんだよ、もう朝か」
 一応ベッドの上に時計はおいてあるが、目覚まし用のアラームをつけたことなど一度もない。使った事があるとしても、耳元でアラームがやかましく喚きたてても起きない彼のことだから……。
「まだ七時じゃねーか。あと十分くらい――」
「その十分が、一時間にも十時間にも延びるんだ。まったく」
 スペーサーは愚痴っぽく言って、そのまま布団を干しにかかる。アーネストはぶつぶつ文句を言いながら、のろのろと立ち上がった。
「ホレ、さっさと着替えろ。掃除するんだから」

「あ〜あ」
 着替えた直後に部屋を蹴りだされたアーネストは、リビングへ入るなり、大あくびした。
「あら、まだ眠いの? あんなにやかましい音立てて起こされたのに」
 リビングから出ようとするヨランダが、彼を見つける。アーネストは欠伸をもうひとつ出して、どっかりとソファに腰を下ろした。
「眠いもんは眠いんだよ。休みの日だってのにたたき起こしやがって、あの野郎」
「いつものことじゃないの」
 同情のカケラなど全くない口調で、ヨランダは言った。アーネストは口の中で何やら呟いたが、彼女には幸い聞こえていなかった。聞こえていたら強烈な平手打ちを喰らったろうから。
 時計が九時を回るころ、ようやっと掃除が終わったと見え、階上から聞こえる掃除機特有の物音は止まった。代わりに、愚痴が聞こえてきた。休日は毎回こうだ。
 掃除の音が聞こえなくなったのを幸い、アーネストは自室へ戻る。動くのも面倒なほど眠い。その気になれば一日中でも寝ていられそうなほど。
 自室のドアを開ける。きれいに掃除されており、ちり一つ落ちていない。ベッドは不幸なことに布団を干されたばかりであり、寝転ぶには固すぎる。思わず舌打ちする。
「まーいっか」
 自室から出る。寝転べる場所は他にもある。真っ先に思いついたのがスペーサーの部屋であったが、ドアの前にかけられた「入室禁止」の札と室内から聞こえてくる音に、ドアノブに手をかけるのをためらった。どうやら小説の原稿の締め切りが近いようで、必死でペンを走らせ続ける音と愚痴が交互に聞こえてくる。こんな時に部屋に入るのは自殺行為だ。たたき出されるのは目に見えている。
「しょーがねー。諦めるか」
 ヨランダの部屋に入る、という選択肢は初めからアーネストの頭の中にはない。
 階下へ戻ったアーネストはソファで二度寝しようと思ったが、ヨランダに阻まれる。
「買い物連れてってよー。今日はバーゲンセールなんだから!」
「一人で行けよ。どーせ、俺を荷物もち扱いするんだろーが」
「やーねー。一人じゃ荷物を持ちきれないから、あんたについてきてくれって頼んでるんでしょ。それとも、重い荷物をか弱いアタシひとりで全部抱えて持ち帰って来いって言うの? ひっどーい! あんたサイッテー!」
 これには逆らえなかった。女子供に対する己の甘さを自覚しつつも、治しようがない。結局、付き合わされることになるのであった。
 地獄のバーゲンセールへと。

 四時間後。
「あー、いっぱい買っちゃった〜」
 満足いっぱいの顔で、ヨランダは帰宅した。その後ろから、抱えきれないほどの荷物を持たされたアーネストがへとへとになって、ようやっとついてくる。
「何で女ってのは、あんなにおぞましいバケモンになっちまうんだよ……」
 バーゲンセールでのすさまじい熱気に、アーネストは毎度気圧される。自分が子供だったら確実に泣き出していたろう。一つの商品に群がる女たちの群れは、さながら獲物を横取りしようとするハイエナそのもの。会場は熱気にあふれており、近づくこと自体がためらわれるほど。秋なのに、炎天下の真っ只中へ放り出されたような熱気。あれにだけは未だに慣れない。バーゲンセールの壮絶なる戦いを見るたびに、女とは恐ろしい生き物だと実感する。
 買い物が終わった後であったが、アーネストはくたびれきっていた。バーゲンセールの熱気に当てられ、山のような荷物を持たされ、時には何十分も店の中や道路で立たされ続けたのだから。タフな彼でも肉体的かつ精神的に疲れきってしまうのは当然。先に精神的な疲労が来て、続いて肉体的な披露に襲われているのだ。
「もうくたびれた。何が何でも寝て――」
 まだ布団を干していることを思い出した。自分で入れればいいと思い、ベランダに急ぐ。柔らかな日差しを浴びて暖かくなっている布団。が、布団にかけていたシーツがない。洗濯干し場に干してあるのだろう。布団を干すついでにシーツも洗濯してしまうとは……スペーサーの几帳面さには苛立ちを覚える。時には役立つこともあるのだが。
「めんどくせー」
 洗濯干し場に行ってみると、確かにシーツが物干し竿に干され、風にはためいている。触れてみると、もう乾いている。取り込んだ後、ベッドの上に布団を乗せて、その上からシーツをかける。面倒なので、かけただけ。整えもせずに寝転がった。
「あうー、あったけ〜」
 午後ともなると、気温が上がり、日差しを浴びていた布団も暖かい。寝転んだだけで眠気が更に倍増し、彼はすぐに眠り込んでしまった。

 目が覚めた。
「くあああ」
 大あくびして起き上がる。しばらくぼんやりしていたが、そのうち寝ぼけた頭は正常に働き始める。
「ずいぶん寝たなあ――」
 枕もとの時計を見る。六時半を指している。外を見ると、暗くなりかけている。
「あ、もう夕飯……?」
「正しくは、朝飯だな」
 聞こえてきた声に、アーネストは仰天した。慌てて部屋の中を見回すと、ちょうどドアのところに、スペーサーが立っているのが見える。片手にフライパンを持っているところからして、食事の準備でもするつもりのようだ。
「朝飯って、どういうことだよ」
 アーネストはベッドの上に座ったまま問うた。スペーサーは妙に冷たい目を投げかけてきた。
「昨日の昼から今朝に至るまで、ずーーっと眠りっぱなしだったということだ!」
 昨日の昼から今朝に至るまで?
 思考停止。
「てことは、俺、むちゃくちゃたくさん寝てたってことかよ?!」
「正確には、午後二時過ぎから翌日の午前六時まで寝ていたわけだから、およそ十六時間だな」
「!?」
 アーネストの目が点になった。
「じ、じゅうろく……」
 が、すぐに、
「初めてじゃん! 俺が好きなだけ眠れたのって! 十六時間も眠れたなんて信じられねーよ! こんなことって奇跡的な――」
 ぱかーん! と軽い音を立て、フライパンが脳天を直撃した。
「そんなに眠りたいんだったら、もう一眠りするんだな」
 スペーサーは同情のカケラも見せず、気絶してベッドの上にのびているアーネストを残して部屋を出て行ったのだった。