ニィの1日



 ムルムル。
 金属喰いの食性と驚異的な繁殖力から宇宙の害獣と指定されている、耳の垂れた兎に似た姿の、ピンクの長い体毛を持つ小さな生き物である。しかし本来は大人しく、子供の頃から飼えばすぐに人に懐くし、去勢すれば餌を食べても繁殖することはなくなるので、愛好家は生まれたてのムルムルを去勢し、ペットとして飼いならしている。去勢すれば発育速度が遅くなるだけでなく、寿命が十年以上も大幅に延びるのである。

 ニィはまだ子供のムルムルである。生後二ヶ月。握りこぶしくらいの大きさで、体重は軽めだ。本来なら、生まれてすぐに金属を食べて即座に新しく子供を生むことが出来るのだが、去勢されているため、餌を食べるだけである。餌には不自由していない。飼い主のアーネストが、倉庫から金属屑を拾って食べさせてくれるからだ。彼の使っている工具セットも金属で出来ているため、何度か齧ったことがあったが、そのたびに怒られている。
 管理課という職業柄、アーネストはステーションのあちこちを歩き回っている。ニィはいつも肩に乗ったりポケットの中から顔を出したりしているので、ステーションに大勢の人々がいる事を知っているし、慣れている。ただし、ニィがいくら人懐こいと言っても動物であることに変わりはない。ムルムルは縄張りの主張をしないが、自分、あるいは飼い主に敵対的であると判断した相手や生理的に受け付けない相手に対しては懐かずに、精一杯ピンクの体毛を逆立てて威嚇する。いつも機嫌の悪いステーションの若手医師が、威嚇の対象であった。尤も、彼もムルムルを嫌っているのでおあいこなのだが。
 ステーションに勤務する人々は、最初はニィに警戒心を示していたが、今ではペットとして認識するようになった。もっとも、ニィが近くにいるときは、身の回りにある金属製のものを遠ざけるようにしていた。

 ニィの寝場所は、地球から取り寄せた、ペット用のプラスチックケージである。金属ではないのでニィは興味を示さない。ケージの底には、シュレッダーにかけた不要な書類の切れ端の山が敷き詰めてある。なぜかというと、ムルムルは紙の感触を好むからである。
 紙切れの上でぐっすりと眠り、朝になると、起きて餌をねだる。アーネストは寝ぼすけなので、同僚に起こしてもらわないと目を覚まさない。ケージから出してもらった後、ニィは彼の肩に乗り、チイチイと鳥に似た鳴き声を出して耳元で餌をねだる。
「わかったわかった、ちと待ってろ」
 着替えた後、欠伸をかみ殺しながら、管理課用の共同部屋から倉庫へ歩く。倉庫には大小さまざまな金属だけでなく、壊れて修理できない機械も転がっている。彼がニィを放してやると、ニィは勝手に金属屑を選んで食べる。そして満腹すればまた彼の元へ戻ってくる。忙しくない時はこうしているが、忙しい時は適当に金属屑を掴み取り、ニィに手のひらの上で食べさせながら、また部屋に戻るのである。
 共同部屋での朝食が終わった後、管理課の面々はその日の仕事に取りかかる。誰が何をするかはあらかじめ決められており、週ごとにその通知が来る。
「今週はC区画とD区画シャッターの整備か。一番めんどい仕事だぜ。しかも壊れやすい」
 アーネストはぶつぶつ言いながら工具セットをベルトにぶらさげて、ニィを肩に乗せ、出かける。ニィは大人しく彼の作業服の肩に小さな爪を立ててしがみついている。
 アーネストがC区画のシャッターを整備している間、ニィは彼の頭の上に乗ったり、肩の上に乗ったり、ポケットの中を出たり入ったりしている。彼が工具を取り出すときは、振り落とされないようにしっかりと掴まっている。一度床に落ちて気絶してしまい、アーネストがひどく慌てたことがあった。その経験から、ニィは、彼が工具を取り出しているときにはじっとしていることを学習したのである。
 午前の仕事が済むころに、ニィが餌をねだった。アーネストもちょうど空腹であるため、鳴くニィをなだめながら、共同部屋に戻って、同僚たちと一緒に食事する。ニィはテーブルの上に乗って、あらかじめ彼が持ってきていた金属屑を齧る。釘が、ニィの好物だった。もちろん、テーブルを齧られないように、常に誰かがニィを見ているのだが……。
 食事が終わると、彼はまた作業に戻る。今度はD区画へ行き、シャッターの整備に取りかかる。ニィは食後、彼のポケットの中に潜ってうとうとしていることが多い。少しの間昼寝するためだ。
「あー、全く、このパーツはやたらと外れるんだよな。いい加減に新しいのと取り替えればいいのに。開発段階のステーションはやだな」
 アーネストがぶつぶつ文句を言いながら修理に励んでいる間、ニィはポケットの中で転寝していた。ポケットの中でピンク色の毛玉が喉をくうくうと鳴らしながら眠っているのである。見るととても可愛らしいのだが、あいにくアーネストは忙しいため、自分のポケットの中を見る暇はない。
 時計の示すところの夕方になると、ニィは餌をねだる。しかし、アーネストはまだ仕事が終わっていないので、まだ戻らない。
「もうちょっと待ってろよ。まだこの修理が終わってないから」
 アーネストが仕事を終えるまで、ニィは彼の肩の上や頭の上でチイチイと鳴いて餌をねだり続けていた。そのうち、彼の工具セットの柄の部分をかじろうとするので、アーネストはやっと折れる。
「わかったわかった」
 ちょうど修理も終わったので、彼は共同部屋に行く。管理課の同僚達もその日の仕事を終えて部屋に戻りつつあった。共同部屋で食事を取った後、酒場で雑談をする。夕食の際に金属屑を食べたニィも連れて行ってもらうことがあるが、アーネストが雑談をしている間は、彼の肩の上で大人しくしているか、テーブルの上に乗って毛づくろいをしているかのどちらかであった。
 管理課は仕事の都合であまり晩くまで起きていない。九時を過ぎる頃にはもう床についている。ちょうどその頃にニィは眠たがる。共同部屋に戻った管理課の面々が眠りにつく頃、ニィはいつものプラスチックケージの中で、敷き詰められた紙の中で丸くなって目を閉じるのである。
 くうくうと、ケージの中から可愛らしい寝言が聞こえてきた。