日記帳を探せ



「絶っっ対に行きたくない!」
 スペーサーは、裏返った、悲鳴にも近い声を上げた。その顔からは血の気が完全に引き、体はブルブル小刻みに震えている。
「そんな事言ったって、依頼主があなたとアタシを指名してるんだから、行かなくちゃ駄目よ」
 ヨランダは彼の目の前に、紙を突きつける。その紙には、以前彼が土星の別荘地にて探し物をしたときの依頼主の名前が……。探し物の報酬として、とんでもない抱擁を受けた結果、半年以上も複雑骨折でベッドから起き上がれなかった。それ以来、彼は中年女性恐怖症に陥っている。そして今回の依頼主も、あのときと同じ……。
「ぃやだ! やだ! やだやだ! 嫌だ! 絶対行かない! 行きたくないったら!」
 拒否はいつのまにか子供じみた駄々のこね方にまで発展した。ほとんど涙声にまで変わった悲鳴だったが、現実は甘くなかった。

 土星には、地球の金持ちたちが別荘を作っている。豪華絢爛なものもあれば、住人の趣味で質素に作ったものもある。モダンもレトロもよりどりみどり。
「へー、ここが別荘地なのね〜。初めて見るわ。なんだか面白そう」
 タクシーにて移動している間、ヨランダは早くも別荘に興味を持ち始める。が、スペーサーはガタガタ震えたまま、青ざめた顔でうつむいている。タクシーを降りた後、ヨランダは彼の腕を乱暴に引っ張って、目的の別荘へとたどりつく。
「さー、仕事仕事」
 インターホンを押す。ポーンという軽い音がして、続いて奥からドタドタとやかましい足音が響いてくる。思わずヒッと声を上げるスペーサーだが、ヨランダは彼の腕をしっかり掴んで放さない。
「あああん! 来てくださったのねえええええええ!」
 ドアが勢いよく開けられ、今回の依頼人が同じくらい勢いよく飛び出してきた。
「ありがとおおお! あっつ〜い抱擁を受け取ってええ!」

 今回の依頼はヨランダ一人で解決しなければならなくなった。なぜかというと、依頼人である女主人の抱擁を受ける前に、スペーサーが気絶してしまったから。執事が懸命に介抱しているというものの、起きる様子はない。「ろっこつが、せぼねが……」とうわごとばかり呟いている。
「あんらあら、一体どうしちゃったのかしらあ。体調が悪かったのかしらん」
 ゴリラにも匹敵すると思われる豪腕の持ち主は、ソファで横になって青ざめたスペーサーを心配そうに見る。ヨランダは、女主人の筋肉美をまじまじと見ながらも、「そうでしょうねえ」と相槌を打った。
「ところで依頼の内容を――」
「あー、そうでしたわねえ!」
 このキンキン声。聞いているだけで頭に針を突き刺されているような……。
「依頼っていうのはですねえ、あたくしの新しい日記帳を探していただくことなんですのお」
 青い表紙のA4サイズ。ごく普通のノートだ。日記を毎晩つけているのだが、昨夜、どこにそれをおいたか忘れてしまったという。
「いつも日記はどこでつけてるんですか?」
「日記はいつもあたくしの部屋でつけてますのん。持ち出したりはしない主義ですわあああん。あたくしの日記ちゃん、どこへ行っちゃったのかしらああ、およよ」
 きわめてオーバーな感情表現。こんな依頼者とは早く縁を切りたいと思いつつ、ヨランダは依頼主の部屋に通された。
「じゃあ、お願いしますわああ。あたくしお茶の会に呼ばれてるから、もう出かけないと駄目なんですのお」
 依頼者はさっさと出て行ってしまった。ヨランダはとりあえずほっとした。
「ホントは、探し物のスペシャリストはアタシじゃないんだけど」
 ヨランダはなぜか遺失物探索専門の《危険始末人》に間違われる事が多い。浮気調査などが本業なのだが……。
「とにかく探しましょう」
 彼女の趣味ではないレトロな調度品が部屋をごてごてと飾り立てている。まずは調度品を退けることから始めたほうがよさそうだった。

「ふう。なかなかないわねえ」
 ヨランダは一息ついて、目の前の光景を眺める。上等のデスクを乗っ取っていた山のような調度品を退けるだけで三十分以上かかっていた。やっとデスクが綺麗に片付くと、改めて日記帳探しに取り掛かる。
「青い表紙のA4ノート」
 探し物の特徴を呟きながら、デスクの引き出しを開けたり、下部を覗いたりする。
「部屋から持ち出した事がないなら、部屋の中にあると思うんだけどなあ」
 背後の人の気配で、振り向く。執事がいる。
「失礼いたします。お茶になさいますか? お疲れでございましょう」
「うーん。そうね。気分転換になりそうだし、喜んで頂くわ」
「かしこまりました」
 ヨランダから見ると趣味は良くないが、最高の素材を使っている椅子に座り、しばしティータイムを楽しむ。紅茶も最高級、茶菓子に使われている材料もなかなかの高級品。昔の生活のためかヨランダの舌は意外と肥えているので、何を使っているのかは口に入れるだけで分かる。
「地球産のアマン地域のお茶ね、これ。久しぶりに飲むわあ。こっちのお菓子は高級なお砂糖も使ってるでしょ。この味大好きなのよねえ」
 執事は深々と頭を下げた。
「よろしかったら、お土産に幾つかお包みしましょうか」
「あらいいの? じゃあお願いするわ。アタシたちが帰るときでいいから」
「かしこまりました」
 執事がキッチン方面へ去った後、ヨランダはちらりとソファを見やる。青ざめた顔で今もうなされ続けるスペーサーが横たわっている。気絶から睡眠に変わっているようではあるが、悪夢を見ているようである。
「これは彼の本分なんだけど、気絶して役立たずになっちゃってたら意味ないのよね」
 たっぷり時間をかけてティータイムを楽しんだ後、ヨランダは立ち上がり、探し物を再開した。

「彼は口癖のように言っていたわねえ。『それが同じ場所で使われるからといって、いつも一箇所にそれが置かれるとは限らない』って」
 デスクを調べ終わったので、調度品を元の場所に戻す。それから彼女は、ベッドを探し始めた。
「寝転んでも、下敷きがあれば文章は書けるのよね。部屋から出していないなら、部屋の中のどこかにあるはず。ま、部屋の中にあるって事は既に分かりきったことなんだけど」
 枕の中や敷布団まで探すが、見つからない。今度は本棚を探す。各種健康法とボディビル指導書が山ほど詰まっている本棚。なるほど、あのムキムキ具合はこの本によるものなのだ。
 本の背表紙を一冊ずつ触っていき、薄手のものがないか確認していく。
「あら?」
 青緑色の薄いものが見つかる。出してみると、それはA4サイズであったが青色ではない。開いてみると、それは日記だった。
「でも、あの人は青って――あっ、そうだった。青と緑をひっくるめて青と呼んでるのね」
 目的の日記帳は、これのようだった。

「んまあああああ、ありがとうねええ! ありがとうねええ!」
 依頼者は、青緑色の表紙の日記を受け取り、甲高い声をはりあげた。ヨランダは耳を塞ぎたくなるのをかろうじて我慢した。
「依頼の報酬のほうはああ、ちゃんと振り込ませておくからあ、安心してちょうだいねえ。ところでえ、あたくしお土産をあなたたちにお渡ししようと思ってるのおお」
「お土産ですか?」
 紅茶でもくれるのかとヨランダはちょっぴり期待した。


《危険始末人》の基地へたどりつく前、スペーサーは道中やっと意識を取り戻し、既に依頼は終わって基地へ向かっている途中だと伝えられると、安堵のあまり泣き出してしまった。
「で、依頼者からお土産もらったのよねー」
 ヨランダの言葉に、泣き止んだスペーサーはまたしてもヒッと声を上げる。
「これ、あなたにだって」
 彼女が見せたのは、ボディビル指南書最新刊の十冊セットだった。
 車内でとんでもない悲鳴があがった。

「あー、おいしー! やっぱりこのお茶菓子最高だわ!」
 基地の自室にて、ヨランダは一人、執事が包んでくれた土産の茶菓子を頬張っていた。
「スペーサーには気の毒だけど、アタシあんなの興味ないし。お茶が楽しめればいいもの」
 紅茶の甘い香りが、部屋の中に満ち溢れた。