縫物



「いたっ、またやっちゃった……」
 ヨランダは、縫い針をさしてしまった自分の左手を生地から離した。厳しい師匠の、呪術師の老婆は、言った。
「またやっちまったのかい、小娘! ナイフを使うのはうまいのに、なぜそんなちっぽけな針を扱うのは下手なんじゃ?」
「しょうがないじゃないの……。針の使い方だって色々あるんだから。縫物だけに使うわけじゃないのよ……」
 針一本でも、使い方は他にもある。彼女の属するシーフギルドには、針一本に毒をぬりつけて急所を突きさして殺す、専属の暗殺者がいるのだ。その男から多少の手ほどきを受けて毒針を使う事は出来るのだが、縫物の針を使う事は、出来ないのだった。用途が全く違うのだ。おかげで、老婆に何度も叱られてばかり……。
「言い訳は聞きたく無いわい。その分解しちまった服を縫いなおせるまで、今夜は帰さんからな!」
「えー、そんなあ」

 いつもは器用なヨランダだが、それは盗みを働く時に限られており、日常生活を送るための器用さとは全く正反対。トラップ解除のためにナイフを使ってきたのに、料理のためにナイフを使うと何度も手を切ってしまう。暗殺のために毒針を握ってきたのに、裁縫のために縫い針を使うと何度も自分の手を刺してしまう。
「同じ道具なのに、使い方が違うだけで、こんなに扱いづらくなるなんて、考えた事もなかったわねえ。あいたっ」
「喋っている暇があったら、手を動かさんか、小娘!」
 老婆も手を動かしており、セラの、ほつれたスカートを縫っている。老婆も喋っているのだが自分の手を刺す事は一度もなかった。
「喋っておるから、注意力がなくなるんじゃ。もっと左手の位置を変えてみい! そうすれば少しは刺す回数が減るじゃろうて」
「はーい」
 ヨランダは、自分で分解してしまった自分の服をちまちま縫っていた。本当はほつれを縫うためだったのだが、何を間違ったのか、糸を切ってしまい、服を分解してしまったのだった。
「今は苦しくても、いつかは自分の結婚衣装を自分で縫える日が来るんじゃぞ。それを想うと、手がはかどるじゃろう?」
「おばあさんたら。アタシは結婚する気なんて全然ないんだから!」
「行き遅れても知らんぞい。わしがお前くらいのころはもう結婚しておったでな。その年になっても独身の者の方が珍しかったわい」
「昔と今は違うのっ。アタシは結婚なんてしませんってば! そりゃ誰かの服を縫ってあげたりすることもあるでしょうけどね、アタシは家庭人むきの人間じゃないの。結婚して家族の面倒を見ているよりも、ひとりで気ままに飛び回っているほうが、ずーっと性にあっているわよ」
「しかし一人で飛びまわるんだったら尚更、自分の事は自分で何もかも世話できねばならんぞい。わかっておるのかえ。誰かに頼めない状況に陥ったら、頼れるのは自分だけなんじゃからな」
「わかってます……」

 細切れ肉のパイで食事を済ませた後、ヨランダはまたしても、裁縫の続き。老婆はほかにも繕いものがあるようで、自分の替えのローブや、端切れなどを目の前に積み上げている。ヨランダは自分の服を縫うだけで手一杯なのに。
「ほれ、ぐずぐずするでないぞ、小娘! そいつが終わったら、こっちの繕いものも頼みたいからのお」
「ま、まだあるの……」
 ヨランダは肩を落とした。老婆はわざとらしく間延びした口調で言った。
「冬になったら、お前さんに編み物も教えてやろうと思うのじゃがなあ、嫌かのう?」
「嫌じゃないわよ、そりゃあ。あったかなものを自分でも縫ってみたいし、経費の節約にもなるしね」
「だったら文句など言わないで、手を動かすことじゃな」
 こうして、ヨランダが自分の服と、端切れの切れ端の縫い合わせによる枕を作った時には、もう夕方だった。セラと一緒に食事を作り、三人で食べる。しょっちゅうヨランダは自分の左手の痛みを気にせねばならなかった。何度も針で刺したのだから。
「おや、小娘どうかしたのかえ」
「やっぱり裁縫って難しいのねって思ったの」
「慣れるまでは何でも難しく感じるもんじゃわい。このくらいで音を上げるなど、何と言う軟弱な娘じゃ。それでは嫁の貰い手がないぞい」
「だから結婚なんかしないって言っているのに、もう!」

 夜遅くにシーフギルドの自室へ戻った彼女は、ランプに明かりをつけ、部屋を明るくする。
「また今日もこってり油をしぼられちゃったわね」
 ベッドに腰掛ける。
 ランプの明かりで、自分の左手を見る。針で刺した小さな赤い点がいくつも浮かび上がってきている。一体何回刺したのだろう、その回数も思い出せない……。
(縫物の修行を始めて、二ヶ月目かあ。ちっとも上達したとは思えないわね、この刺し傷を見る限りでは。やっぱりアタシは家庭人には向かないのね)
 ため息が出る。しかし、彼女は思っていた。自分の手で何でも作れたら素敵な事に違いない、と。既製品を買うより、材料をそろえて自分で作る方がずっと安上がりになるかもしれない。
(何でも作れるようになりたいわね。やっぱり、裁縫は続けましょう。いつかきっと上手くなれるはずだもん!)
 油をしぼられてきたので、くたびれていたヨランダはそのまま眠りに落ちた。彼女はあっという間に夢の世界に旅立った。
 夢の中まで、彼女が延々と終わらぬ裁縫をし続けていたことを除けば、ぐっすり寝ることは出来いた……。