温泉騒動
地下活動によってマグマが地下を流れ、良い温泉がわく事で有名な惑星・オセンセ。温泉好きな地球の観光客を対象に、最近では機械で地質の成分を少し調節して様々な効用のある温泉をわかせている。マグマの動きを制限する事は、星全体の活動を停止させる事と同じであるため、マグマの移動量を制限する事は無かった。
温泉観光地であるその惑星だったが、ある時、温泉を適量わかす機械の一つが、急に故障した。
「実は、この温泉をわかせるための機械の一部に異常が発生したみたいなんです」
「ほお。故障かな」
目の前にある、二階建てのビルほどもある巨大な機械を眺め、スペーサーは軽く返答する。
「機械を直すならば、私ではなくて専用の技師に頼めば――」
「とっくにやっていますよ!」
この温泉宿の経営者であると同時に、今回の依頼の依頼人は涙目になっている。象とヒトを合わせたような姿の、成人の背丈が160センチほどしかないオセンセ人は涙もろいことでも有名である。感情表現は地球人とほぼ同じだが、ややオーバーだ。
「確かに技師はいますよ! でも、機械を修理するためには、部品の到着だけでなくて――」
依頼人は、機械に取り付けられている、ドアと思しい大きさの蓋のかんぬきを外した。
同時に機械の内部から温泉が弾丸のごとき勢いで飛び出した。
依頼人は湯の勢いが弱まるや否や、すぐに蓋を閉じた。
「この通り、蓋を開けるだけで温泉がふきだしてしまって……。ですから、あなたにお手伝いしていただきたいのですよ……聞いてらっしゃる?」
「……聞いてる。いたた」
ちょうど蓋の真正面にいたために、温度45℃の鉄砲玉の直撃を食らって、受身を取る間もなく床に叩きつけられたスペーサーは、ぐっしょり濡れた《危険始末人》の制服の上着を脱いで、湯にまみれた床から立ち上がった。
「しかし、手伝いと言っても……」
いちおうスペーサー自身も機械の扱い方は心得ている。しかし心得ているといっても、さすがに、修理専門の《危険始末人》には負ける。
「いや、手伝いと言いましても」
依頼人は額の汗をぬぐう。この場所は、機械が作動しているだけでなく、温泉がわく場所に直接機械を置いているため、地熱が伝わってきて、より暑く感じるのだ。
「実は、技師たちは皆、部品調達のために出払っていまして。従業員も皆接客で忙しいし……。お湯が噴出しないように、臨時の修理をしてもらいたいのです」
「だから、修理ならそれ専門の《危険始末人》に依頼すれば――」
制服の上着をしぼって湯を外へ出しているスペーサーに、依頼人はまた涙目になった。
「本当はそうしたかったんですが! あまりにも急を要する事態でしたし、依頼を出したときには、専用の《危険始末人》が皆出払っていて――」
「――私しかいなかった、と?」
「そうなんです! お願いします!」
依頼人は頭を下げる。オセンセ人が他人に頭を下げるのは、よほどのことがあったときだけ。それを見たスペーサーは、溜息をついた。
「……しかし」
スペーサーは、額から流れ落ちる湯を手の甲で拭う。
「臨時の修理といわれても、こう頻繁に湯が飛び出してくるようでは――うわっ」
ガタガタと機械の振動を感じた直後、修理部から飛びのいて慌ててふたを閉めた。間一髪、彼が蓋を閉めた奥で湯がドンとぶつかる衝撃が、湯に濡れた手へと伝わってきた。
「くそっ。ドライバーもボルトもまた湯に浸かってしまった」
機械が振動をやめた後、彼は蓋を開ける。湯がザーと流れ出て、作業中の道具が湯の中でぷかぷか浮いている。すぐに拾い集め、彼は蓋の修理に取り掛かった。
修理を始めて三十分経った。作業自体はそんなに複雑ではない。ちゃっちゃと作業すれば十分もあれば済む。だが実際は、そう上手くはいかない。何度も湯を被っているのと、部屋がサウナのように暑いので、ずっとここで作業を続けるとのぼせてしまいそうだ。ぐっしょりぬれた制服の上半身とショートブーツは脱いで部屋の隅に置いてあるが、さすがにズボンはどんなに濡れても脱ぐ気にはなれない……。そのため、今の彼はズボンだけといういでたち。他の《危険始末人》にはとても見せられたものではない格好だ。
「暑い。頭がぼんやりしてきたな――」
体温が上がり、頭がくらくらして思うように作業が進まない。ドライバーを握る手がふらつき、湯の噴出を止めるための蓋をネジ止めするだけの作業なのに、ネジを回す事すら難しくなっていた。
「暑い。もう駄目だ。ちょっと外へ――」
蓋を何とか閉めて、かんぬきを下ろし、彼は部屋の出口へふらつきながら歩いた。そしてドアを開けると、涼しい外の風が部屋に入る。
「ああ、涼しい――」
しばらく涼んでいると、湯で高くなりすぎた体温が下がってくる。が、それに伴って、湯冷めを招いてしまった。
「しまった。冷えすぎた」
ドアを閉めて、また作業に取り掛かる。今度は部屋の中は暖かく感じたが、湯冷めで風邪を引いたようだった。それでも手早くボルトでネジを締め、蓋の壊れかけた蝶番を取り替えると、湯の鉄砲玉をある程度防ぐ事はできた。これで、かんぬきなしでも湯は防げる。
「よし、これでいいな」
片付けようと背を向けたとき、点検後に蓋を閉めるのを忘れたらしく、ちょうど湯が勢いよく噴出してきて、彼の背中にぶつかった。
「いやー、助かりましたよ」
依頼人は、技師達が修理を始めた機械を背に、スペーサーに言った。スペーサーはと言えば、閉めそこなった蓋から飛び出してきた湯の一撃を喰らって、また全身がずぶぬれになっていた。
「技師達も修理を始めましたし、一件落着ですよ」
「そりゃそうでしょ」
大喜びをする依頼人の言葉の後、スペーサーは冷たく突っ込んだ。
ずぶぬれのまま、制服も生乾き、おまけに湯冷めして風邪を引いた状態で、基地に戻ってきたスペーサーを、《危険始末人》の温泉好きたちが出迎える。どうだった、温泉はどんなだったと質問攻めにあったスペーサーだが、それを無視して、自室に戻る。まだ濡れている体を丁寧に拭いた後、生乾きの制服を乾燥機へ放り込む。何度かひどいくしゃみに見舞われ、彼はベッドにもぐりこんだ。
それから数日、彼が湯冷めの風邪に悩まされたのは当然のこと。
ベッドの中で熱にうなされている間、少なくとも彼はこの言葉だけはしっかりと話せていた。
「温泉なんか大嫌いだ!」