ラフレシア



「ぎゃふん」
 と、誰もが言いたくなるだろう。
 ぎゃふんと言わせてやる、という言葉があるのだが、目の前に置かれたそれを見て、アーネストは思わずその「ぎゃふん」という声をあげてしまった。
 二階建ての家ほどもある高さの、巨大なラフレシアが、目の前にそびえていたから。
「突然変異のラフレシアでして……繁殖力が強い上にものすごい悪臭を放つので今駆除をしているところなのですが」
 汗を拭き拭き、植物園の園長は申し訳なさそうに言った。
「とても手が追いつかないので、《危険始末人》にもお願いすることにしたのです」
「すげえでかい花だな」
 アーネストは茫然とした顔のままでつぶやく。確かにラフレシアはにおいを放つが、今は防弾ガラスでへだてられているので、においは届かない。
「そういや、悪臭って、どのくらいにおうんだ?」
「およそ一キロ先までですね。風が吹いているとその倍の距離までにおうはず」
「やっぱり、ラフレシアだから、くさいのか?」
「当然です。近くで嗅いだら、嗅覚が一瞬にして破壊されます。鼻がひんまがる、どころの話ではないでしょうねえ」
 淡々と話す園長。逆にアーネストの顔はどんどん青くなる。
「じゃあどうやって駆除すればいいんだよ?! 悪臭の中を突き進んで燃やせってのか?!」
「いえいえ、それには及びませんよ。駆除用の装置がありますんで」

「装置があるなら先にそれを言えばいいのに」
 アーネストはぶつくさ言って、植物園の、温室の中へ入る。が、その手には「装置」ではなく「兵器」が握られている。火炎放射器……。
「うぐっ」
 吐き気がこみ上げ、彼は温室から飛び出し、ドアをバタンと乱暴に閉めた。園長がそれを不思議がる。
「どうしたんです、早く駆除してくださいよ」
「く、くせえ……この世界のあらゆるゴミをいっしょくたにしたような、すげえにおい……」
 ほんのわずかにその悪臭が鼻に入っただけなのに、アーネストは強烈な吐き気を覚えたのだ。
「ガスマスクとかねえのかよ! ほかの奴らはどうやって駆除してるんだよ?!」
 そこで園長はポンと手をたたいた。

「結局あるんじゃねーかよ、最初から渡してくれればいいのに」
 ガスマスク。強烈な花の香りや花粉をふせぐために作られた、植物用のガスマスクだ。一見するとただのガスマスクにしか見えないが。
「とはいえ、植物園なのに、火炎放射器なんか使って大丈夫なのか? ラフレシアが他の植物に混じって展示されているのに、他の植物に燃え移らないように工夫してないのかな?」
 防具をつけたアーネストは再び温室に入り、火炎放射器を手に、家ほどのサイズもある巨大なラフレシアまで歩み寄る。目の前のラフレシアは建物のようにそびえている。
「お前事体に罪はねえけど、こっちは仕事なんだよ」
 火炎放射器を構え――
 温室の中に設置されている暖房が、フーッと温風をかけてくる。ラフレシアの風下に立つアーネストに、ラフレシアの花から舞い降りてきた大量の花粉が落ちてきた。黄色の花粉が火山灰の如く降り注ぎ、ガスマスクのレンズ部分は瞬く間にふさがれてしまう。慌てて彼はレンズをぬぐって花粉を払ったが、体を動かしてしまった拍子に、ラフレシアへ向けている火炎放射器の発射口をよそへ向けてしまった。
 まずいと思った時は既に遅し。すぐ火の噴射を止めたが、火は既にラフレシアの茎の一部と他の植物をその熱い舌で舐め始めていた。
「やべえ!」
 彼はとっさに、消火栓を探す。すぐそれは見つかったが、ちっとも手入れされていなかったのか嫌な音を立てる扉を開けると今度は汚れたホースが目に飛び込む。しかし文句を言っている暇など無い。彼が壁からホースを引っ張っている間にも炎は植物を舐め取っていく。
 天井にはスプリンクラーがついているのだが、なぜか煙が登っているのに全く稼働しない。
「スプリンクラーすら稼働しねえのかよ!」
 やっとのことでホースをひきはがし(しかもなぜかヌルヌルの手触り)、彼は放水する。ドロのような濁った水が大量にホースから噴射される。本当はそのくさった水からも悪臭がでていたのだが、ガスマスクをつけている彼にはただの汚い水にしか見えなかった。
 五分の放水で、鎮火した。
「ふー、おさまった」
 アーネストは汗をぬぐうためにガスマスクを外す。しかし、鎮火したばかりの温室の中は、予想以上に熱かったので、よけい汗だくになった。
「うおえっ」
 ラフレシアの悪臭と腐った水の悪臭がまじって絶妙なハーモニーをかなで、彼の五臓六腑を刺激する。彼が嘔吐していると、先ほどの鎮火騒動を聞きつけてか、人が集まってくる。ガスマスクをしているところからして、ラフレシア駆除にあたっている者たちだろう。ここまで時間がかかったのはこの温室が非常に広く、いくつもの区画に分けられているせいであろうか。
 嘔吐が終わった所で、園長が大慌てで温室の扉を乱暴に開け、飛びこんできた。
「あああああ! な、何が起こったんだああああ?!」
 アーネストは嘔吐の気持ち悪さが残る中、その絶叫を聞くなり、とっさに頭を回転させた。この場は、明らかに自分に過失がある。しかしそれを何とかごまかすには……!

 植物園の園長は逮捕された。
 園内の火災対策の設備が、見事なまでに不備だらけだった。稼働しないスプリンクラー、手入れされていない消火栓、消火器の設置数はゼロ。さらに、ラフレシアを駆除するのに火炎放射器を用いた事についても、罪が加わった。園内で火災が発生した時の脱出経路等についても何も案内図がない状態。
 園長曰く、経費節約のため、だとか……。

「あー、とにかく助かったぜ」
 アーネストは、自分の小型宇宙艇に乗って基地へ帰る途中、安堵の息を吐いた。
「本当は俺が全部悪いんだけどな。でもかえってよかっただろ、植物園の隠してた不備がいろいろと表に出てきたんだからよ」
 通報した園長がアーネストの非を責め立てる前に、彼は園長や警察に、植物園なのに火災対策がなっていないことについて早口でまくしたてた。スラム街で生き延びてきたときの、とっさの頭の回転が役に立ってくれた。スラムを脱してからは、「それはしてはならないこと」と知ったのだけれど……。
「どうせ報酬はゼロなんだし、差し引きなんてねえだろ」
 若干のむなしさを抱えつつも、彼は基地へと戻ったのだった。