臨時勤務



「あーあ、全然片付かないい」
 イルシアは、目の前に散らばる栄養剤のチューブと錠剤を、元の箱に一つ一つ詰め直しながらも、愚痴をこぼした。さきほど、火傷の薬を取ろうとして、うっかりひっくりかえしてしまったのだ。箱の中に入っていたものは、床の上に派手に散らばってしまった。小物ばかりなので、拾い集めるのが面倒くさい。
「よー、頼まれてた薬持ってきた」
「はーい、ありがとーございますー」
 医務室のドアを脚で押しあけ、アーネストが肩に箱を担いで入ってきて、この医務室の床の散らかり具合を見るなり、呆れた顔をする。
「また散らかしてんのかよ……」
「ちょうどよかった。片付け手伝ってもらえます?」
「いや、悪いけど、俺まだ仕事あるしさ……」
「そんなこと言わずに五分だけでいいですからー」
 泣きつかれ、アーネストはとうとう折れてしまった。
 そして五分後、彼が手伝った範囲だけは、薬剤が綺麗に片付いていた。が、イルシアの周りはほとんど片付いていない。彼は特に薬剤の多く落ちているところを片づけていたのだが……。
(やっぱりあいつが帰ってきた方がいいかなあ)
 その時、医務室の緊急コールが鳴った。イルシアは飛び上がったが、足元の箱につまずいた。アーネストが支えてやらなかったら、彼女は片付けたばかりの薬剤の中に派手にダイブしていたところだろう。
「ありがとうございますっ。あっ、急患だわ、急がないと!」
 診察用のカバンを持って医務室を飛び出したイルシアの背中を、アーネストはため息をつきながら見送った。
 十分後、もどってきたイルシアは、医務室の床が綺麗になっているのに驚いた。散らばっていたものは皆揃って綺麗に片づけられて、箱が全て医務室の隅に積み上げられている。
「あ、あの人がやってくれたの? 十分くらいしか経っていないのに! すっごいわあ」
 彼女は目を丸くした。だが、すぐに気を取り直して、怪我をした患者の診察を始めた。スペーサーに頼らず一人でやってみようと最近は彼女なりに頑張っているのだった。それが成功したためしは、ほとんどないと言ってよかったのだが……。
「ええっと、この傷は確かこの薬をすりこめばいいんだわ。それから消毒薬をすりこんで、あら逆だったわね。まずは消毒して、傷の破片を取り出してから、傷薬を――」
「どうでもいいから、早くしてくれよお」
 診察台に寝かされた、患者である管理課のひとりが泣きそうな声をあげた。だがイルシアはそれを無視して、あれこれ呟いていた。

 第一ステーションの医務室の一室にて。
「これで終わり」
 スペーサーは、カルテのまとめを終えて、一息ついた。アシスタントロボットが静かにやってきて、彼の足もとに散らかった紙屑を集めていく。
「やっとまとめが終わったぞ。後は、イルシアからの通信攻撃が無ければ、ゆっくり休めるところなんだがなあ」
 言い終わるや否や、通信モニターが、通信を受け取ったことを示すピピピというアラームを鳴らした。またイルシアだろうと思いつつ、スペーサーはスイッチを入れた。
「おい、今度は一体――」
 が、その言葉は最後まで出てこなかった。
『おい、藪医者』
 モニターの向こうにいたのは、アーネストだった。
「その腹立たしい呼び方、久しぶりだな」
 スペーサーはむっつりした顔になり、デスクに肘杖をついた。
「で、私に何の用だ? 医務室はイルシアに任せてあるつもりだが?」
『それだよ、藪医者』
 アーネストは言いにくそうに、それでも何とか言葉を紡ぎ出しながら、言った。
『いちんちだけ、こっち来いよ。そうしたら医務室がどうなってるか、見せられるから』
 最近はイルシアが通信をしてこない。その方が助かっているのだが、半分だけスペーサーは不安でもあった。アーネストの言葉を聞いて、それが現実となったのを知った。
「行きたくない」
『あ、それ無理だぜ』
 ちょうど、医務室のポストに投げ込まれる通信文。スペーサーはそれを採って、ちぎるように書類を開く。その文に目を通したとき、
「はあ? なんだこれ」
 すっとんきょうな声をあげた。地球の本部から送られてきたものだった。堅苦しい文章を全て抜きにすると、内容は次の一文にまとめる事が出来る。
 一日、第二ステーションの臨時勤務を命ずる。

 一日だけの勤務のためだけに、スペーサーが、かつて勤務していた第二ステーションに降り立った時、なぜかこのなつかしのステーションに安堵の空気が漂い始めたのを知った。
「ちっとばかし見ない間にずいぶん雰囲気が変わったものだなあ」
 懐かしい通路を歩く。出会う、ステーションの勤務者たちはそろって歓迎のまなざしを投げてきた。
「さて、医務室は――」
 懐かしの医務室のドアが開いた。たとえイルシアが薬を散らかしたとしても、アシスタントロボットが片付けてくれているだろうと思いつつ、中を見る。
「……」
 絶句した。なぜって、
「せんぱーい、やっと帰ってきてくれましたねー」
 イルシアが、医務室全体にぶちまけられた薬剤の中から顔を出し、スペーサーの姿を見るなり嬉しそうに両手を振った。
「お前、一体何をした……?」
「積まれてた薬を片づけようと思ったんですけど、全部ひっくり返しちゃって……」
 直後、イルシアが長々と説教されたのは当然の事。スペーサーが、第一ステーションに異動する前に、イルシアでも見分けがつくようにと整頓しておいた薬剤の箱を、全部ひっくり返されてしまったのだから……。

 スペーサーは第一・第二ステーションおよび地球本部に書類を提出し、地球時間で一週間、第二ステーション臨時勤務を願い出た。目的は、イルシアが診察してきた患者の再診察と、ちらかりすぎた薬剤の片づけであった。