少しは進歩した



「少しはマシになってきたな」
「上達したって言ってちょうだいよ」
「意味は同じじゃねーか」
 ヨランダの運転の特訓を徹底的に行って、やっと普通に道路を運転しても差し支えないというレベルにまで引き上げるのに成功した。とはいえ、まだまだ不安は残る。
「普通に運転させても差し支えない、と思うか? アーネスト」
「いや。あと一年はやらんと駄目だろ」
 スペーサーの問いに、アーネストは何の迷いもなくそう答える。実際、本当なのだから仕方がない。
 どうしても一度公道を走るとヨランダは言う。
「せっかくここまで上達したんだもん。卒業試験ってことでいいじゃないの」
「そうだなあ」
 スペーサーはしばらく考える。
「……そろそろ車検の時期だからな。接触で車体の欠損でも起こしかねんが、どうせみてもらうんだから、いいか」
 車検のために、その店まで運転させることになった。
「大丈夫なのかよ。事故って俺ら全員お陀仏、なんてのは勘弁してくれよな」
 アーネストは後部座席で愚痴をこぼした。
「そうならないように、細心の注意を払って指導すればいいだろう」
 助手席に座ったスペーサーはそう言うが、彼とてヨランダの腕を全く信用していない事は、顔を見ればわかるのだった。

 いつもヨランダの練習として使う、スペーサーの大学の駐車場から、車検のための店は、それほど遠くは無い。直進して角を曲がればすぐだ。
「さあ、行くわよー」
 ヨランダは意気込む。アーネストは全く乗り気ではない。
「道間違えるなよ」
「直進して、最初の角を右へ曲がればいいんでしょ? 間違えっこないってば。信号のある交差点なんだしさ」
「目印としては申し分ねえけどよ、それが余計にこえーんだよ! ひと轢いたりなんかしたら、おおごとだぞ!」
「そうしないように注意するってば、もう! ちょっとはアタシのこと信用してよ!」
「悪いこといわねーから、もっぺん教習所へ戻れよ、おい……」
「悪い事言ってるじゃないの!」
 ヨランダはふくれっつら。しかし口に出しこそしなかったが、スペーサーもアーネストと同じことを考えていたのだった。

 さて、大学の駐車場からゆっくりと車道へ出る。さいわい、この辺りを通過する車は少ない。だがレンガの壁に阻まれて見通しが悪いので、割と事故を起こしやすい。
「さー、行くわよー」
 ヨランダは意気揚々と、アクセルをそっと踏んだ。
 ゆっくりと車体が前進する……。

 三十分後。
「すっげー、怖かった」
 車検の最中、アーネストは店の固いソファにどっかと座って、青ざめた顔で缶コーヒーを一口飲んだ。
「まさか右折の時に、前から来るバイクを身落とすなんて思いもしなかった。フツー、気をつけるだろ、影に隠れてみえねえんだからよ」
「なによう、見落としが原因で事故が起こるなんて良くある事じゃないの。アタシひとりがそれを起こしたわけじゃないでしょ」
「よくある事だからこそ、教習所でみっちりたたきこまれるんだろうが! あれで衝突事故を起こしてみろ、過失はほぼこっちにあるんだぞ!」
 アーネストの隣に座っているスペーサーも、やはり青ざめている。
「とにかく路上教習は本当に一からやり直さないとだめだ、これは……」
「俺もそう思う……。事故らなかったのが不思議なくらいだ」
 男二人はそろってため息をついた。
「なによう! ひとの運転に文句つけて! じゃあ帰りに、お手本見せて頂戴よ」
 ヨランダがふくれっ面でそう言った時、ちょうど車検は終わった。
 ……。
 車検が終わった帰り、スペーサーが自宅まで運転したのだが、助手席に座っているヨランダは、ずっと彼の手元を見たままであった。アーネストが何も言わなかったのは、スペーサーの運転技術を信頼しているが故。
「私の手ばかりじゃなくて、道路の様子も見ろ」
 交差点で止まった時、スペーサーは言った。
「あの交差点の向こう側は大きなバスがあるが、そこから誰かが飛びださないとも限らん。それから、歩道も、たまに信号無視する奴が横切るから、信号が変わったとしても注意して発進する事。あとは、あの大きな街路樹、そろそろ切ってもらわんと信号が見えなくなるんだよなあ」
 途中から愚痴に変わってきていた。
 自宅に到着し、スペーサーは車を車庫に入れる。
「ここは切り返しが難しいから、試すんじゃないぞ。ナナメに車体が入ってしまったら、出すのに苦労するんだからな」
「あら、こないだのこと、まだ気にしてるの」
「当たり前だろうが」
「助手席のドアにでっかいこすり傷つけたんだしよ、根に持って当たり前じゃねえか」
「直したからいいじゃない!」
「修理費は全部私持ちなんだがな……」
 3人はなんだかんだ言いあいながら、家に戻っていった。

 ヨランダが本格的に行動での運転を許されるのは、まだまだかかりそうだった。