ニィの成長



 ニィの様子がおかしい。
 昨夜から、餌を食べない。鳴かない。縮こまって毛玉のようにまん丸になっている。熱でもあるのかと思ったが、ムルムルの平均的な体温を知らないので、熱があるかどうかも判断できない。
「……医者連れてこ」
 アーネストは、ニィを作業着のポケットに入れて、管理室を出て行った。

 このステーションに、宇宙動物の医者、すなわち宇宙獣医が派遣されてきた。ステーションに、旅行客が様々な動物をペットとして持ち込むので、ペットの具合が悪いときに診てもらう医者が急遽必要になったからだった。それまでは、医務室のスペーサーの元に行かざるを得なかった。彼しか、医者はいなかったのだから。

「うーん、ムルムルの成長だね」
 地球外銀河の惑星出身の獣医は、アリクイともゾウともつかぬ顔にのっけた鼻眼鏡を元の位置へ直しながら言った。
「ムルムルの肉体は生まれてすぐ子供を産める仕組みだから大抵はチビのまんまだ。しかし去勢されていると、子供を産む代わりに肉体が成長する。まあ当然といえば当然だけどな」
「でさ、大丈夫なのかよ。ニィのやつ、何にも食べないんだぜ?」
「大丈夫だよ。ムルムルは成長するときには、まあ年に一度だけだがね、一日二日ほど何も食べないんだ。逆にムルムルが何も食べなくなったら、体が成長するというしるしでもある。まあ、あったかぁく見守ってあげるんだね」
 アーネストの不安そうな顔をよそに、獣医は鼻眼鏡をまたしても元の位置へ戻す。地球製の鼻眼鏡なので、顔に留めておくのが難しいのだろう。鼻眼鏡は明らかに地球人用なのだから。素直に自分の星のをもってこいよと思いつつ、アーネストは頭をかいた。診察台の上のニィは、獣医の持っているボールペンに興味を示さない。金属部分をかじりもしない。成長の兆しがあるとはいえ、何も食べないのはさすがに心配だ。
「しっかし、ムルムルの成長の兆しをこの目で見たのは初めてだよ。基本、ムルムルは駆除される害獣だからね。まさかこの開発途中のステーションに、君のようにムルムルを飼うという物好きがいるとは思わなかった。普通、壁とかかじるだろ?」
「う、まあな」
 ムルムルをうっかりステーションに持ち込んだせいで、その後ステーション中のムルムルを駆除させられる羽目になった記憶が……。
「とにかく、明日の朝ごろまで待ちなさい。そうすると、ムルムルの成長する様子が見られるよ。いつもどおり、金属を食べ散らかしてくれるさ。成長が終わるまで、驚かしたりとか、刺激を与えちゃ駄目だよ」
 獣医はそう言ってアーネストを送り出した。

 ニィはずっと大人しかった。ポケットの中に入って縮こまったまま。指先でつついても、反応しない。わずかに呼吸しているのは分かるが……。本当に大丈夫なのかと、仕事をしながら、アーネストは内心はらはらしていた。
 一方で、ムルムルの成長とはどんなものかとわくわくしてもいた。普通ならば、体が大きくなることを指す。だがニィは、どんなに金属くずを食べさせても太る様子もなく、体が大きくなることもなく、毛も伸びなかった。成長すれば、うさぎと同じくらいの大きさになる事は知っているが。
(明日まで待てって言われてもなあ)
 わくわくしてもいるし、はらはらしてもいる。複雑だ。ニィを気にするあまり作業に身が入らず、終わったと思って点検した後、ミスがいくつも発覚してやり直しをせざるを得なかった。ニィは彼の作業着のポケットの中で、丸まっているだけだった。
 夜になっても、ニィはもぞもぞ動くだけで、おなかがすいたと鳴きもしない。本当に大丈夫なのだろうか。つつきまわすのは良くないとわかっているのにも関わらず、アーネストはピンクの毛玉を何度か指先でつつき、生きているかどうか反応を確かめていた。毛玉はもぞもぞ動いていた。
 就寝時間。ペットケージに入れてやると、ピンクの毛玉は小さく動いた。鳴かない。
「やっぱ、心配だなあ」
 アーネストはベッドに潜り込みながらも、その目を絶えずデスクの上のペットケージに向け続けていた。

 ずっと見ていたつもりだったが、いつの間にか眠ってしまったらしい。目が覚めると、枕もとのアナログ時計は起床時間の三十分前を指していた。欠伸して起き上がり、アーネストは、ペットケージに向かった。ケージの隙間を通して、ピンクの毛玉が見える。二つ。
「あれ?」
 目を凝らす。毛玉はひとつしかないはず。ニィは一匹しかいないのだから。慌てて彼はケージを開け、毛玉を二つとも取り出してみた。片方は、彼の手の上に乗ると、まるでタオルのように広がった。もう片方は、チイチイ鳴いた。が、その毛玉は生臭かった。
 ニィが増えた?
 よくよく見ると、生臭い毛玉のほうは、動いている。が、べろんと手のひらの上で広がった毛玉は動かない。動いているほうは本物のニィだ。では、もう片方の毛玉は……?

「あー、これがムルムルの成長なんだよ」
 獣医は、診察台の上に乗せられた生臭いピンクの毛玉とべろんと広がった毛皮を見て、鼻眼鏡を拭きながら言った。
「ムルムルはね、成長するときに脱皮するんだ。これまで身につけていた毛皮を脱いで、新しい毛皮を身にまとうのさ」
 獣医は、生臭いニィをつまみ上げ、水につける。ニィは大人しく水に浸かった。
「ムルムルは三十度以上の熱さを持つ液体が嫌いなんだよ。だから、洗ってやるときは、水を使うんだ。石鹸はヒト用のものでも動物用でも大丈夫だよ」
「へー。でも脱皮ってありえるのかよ。ヘビかトカゲじゃないんだぜ」
「ありえるとも。君が知らんだけの話。ムルムルの脱皮が見られなかったのは残念だが、これだけ綺麗に脱いでいるのは初めて見るよ」
 獣医は、うっとりした表情。水浴びを終えたニィは、シンクの傍でぶるっと身を震わせた。
「では、比べてごらん。元の大きさの毛皮と、成長したムルムルとを」
 並べてみると、確かに違う。毛皮は確かに、手のひらに乗る大きさ。つまり脱皮前のニィの大きさだ。風呂上りのニィは、アーネストの手と同じくらいの大きさ、つまり、一回り大きくなっている。
「ムルムルの最初の脱皮が、一番大きくなりやすい。それ以降だとあまり大きくはならないんだ。成長に必要な栄養を体の中に蓄えてしまうからね。不思議な害獣だよ、ホントに」
「で、もう餌も食うんだろ?」
「そうだよ。もちろん、食べる量も増えたからね。飼う時は気をつけて」
 獣医の言葉通り、ニィは金属の摂取量が増えた。これまではひとつかみで足りていたはずなのに、これからは両手いっぱいでなければ満腹できないようだった。また、体が大きくなったことで、作業着のポケットに入るのは窮屈そうであった。代わりに、アーネストの肩の上や道具袋を新しい寝床として確保した。頭の上で寝ないだけマシだ。
「ま、元気なら、それでいいさ。な?」
 いつもどおり、チイチイと小鳥のような鳴き声を出して頭をこすり付けて甘えてくるニィを、アーネストは撫でてやった。