本の整理



「この阿呆!」
 スペーサーは思わず怒鳴りつけた。その拍子に頭上から本が一冊落下して、頭に当たった。

 休日の朝早く、書斎兼自室の本の整理を始めた。本が棚に納まりきれなくなって、しかも新しく棚を買うほど部屋が広くなかったために、仕方なくデスクの上に積み上げていたのだが、次第に仕事用スペースがなくなってきたので整頓を始めるに至ったのだ。
 朝七時半から、アーネストを、「手伝いの報酬として好物料理を好きなだけ作ってやる」というエサで釣って、書斎の整理を開始した。ヨランダは昨日から友人宅に泊まりに行っていて、帰宅するのは今日の夕方なので、手伝いに引っ張ってくることは出来ないのだった。
 まず、全部の棚の本を一気に床に下ろす。下の段から取り出し、床に積み上げる。アーネストの背でも届かない場所にしまわれた本は椅子に乗って取り出すしかないのだが、この時、アーネストがうっかり手を滑らせ、取り出しかけていた最上段の分厚い百科事典をことごとく落としてしまったのだった。

「わりーわりー。本がほこりだらけで、手がすべっちまった」
 椅子の上から、あまり悪びれた様子もなく、アーネストは言った。スペーサーは、本が頭に当たった痛みとショックで少し口がきけなかった。
「つーか、俺を阿呆呼ばわりするなら、お前がやれよな」
「う、うるさい」
 やっとスペーサーは口を開いた。まだ頭にジンとしびれがある。
「とにかく上段の本を全部下ろしてくれ。私が散らかったのを片付けるから。いてて」
 アーネストは特に逆らわず、本を下ろしていった。口では絶対に勝てないと分かっているのと、相手をぶん殴ってもいいが、代わりに報酬を失うのが嫌だったからだ。十五分ほどで全ての本を下ろし終わるが、そのときには床はもう足の踏み場も無いほど、本だらけだった。小説、辞書などジャンル不問でこの場にある本を数えれば、ざっと千冊を越えるだろう。長い間読まれていない本もあり、ほこりのにおいがした。そして、アーネストがうっかり落としてしまった百科辞典はいずれも、いくつかページが折れ曲がっていた。
 窓を開けてほこりを逃がしながら、次の作業に取り掛かる。ほこりにまみれた本を丁寧に拭き、続いて棚も全部拭いてほこりを取る。ついでに空っぽの本棚と、ベッド、デスクを動かす。床に大きなほこりが落ちたからと、スペーサーはアーネストを部屋から追い出して掃除機をかけた。

 本も棚も部屋もほこりを取られてきれいになったのは、十時過ぎ。整理を開始してから約三時間も経っていた。
「で、どうすんだ、この本の山」
 うんざりした口調で、アーネストは問うた。対して、何をいまさらとスペーサーは答える。
「どうするって、出した本は全て棚に収めるに決まっているだろう。もちろん、ちゃんと分類して、だ! 勝手に入れるんじゃない!」
 適当に持ち上げた本の山を棚に突っ込もうとするアーネストに、釘をさした。アーネストは苦々しげな顔をしてしぶしぶ本を床に下ろした。
「分類? メンドくせーな……」
 文句を言いかけるが、睨まれたので、黙る。報酬があるときは、スペーサーに逆らわないのが一番だと、身にしみて分かっているからだ。そしてスペーサーの方も、報酬を失いたくないアーネストがあまり逆らわないのを知っているので、存分にこき使ってやるつもりだった。
「わーったよ、やりゃいいんだろ」
 もちろん、アーネストが細々とした作業を面倒くさがることを、スペーサーは十分承知している。そのため、本の分類をさせるつもりはない。彼にやらせるくらいなら自分ひとりでやるほうがマシだから。
「では、私が本を分類するから、君は棚の中へ突っ込んでいってくれ。もちろん、適当に突っ込まずに本の大きさをちゃんとそろえて、尚且つ私の指定した場所へちゃんと入れるんだ」
「ぐえ」
 注文の多さに、アーネストはうんざり。が、スペーサーはアーネストの事など眼中に無いかのように、さっさと床の上の本の分類に取り掛かった。適当に下ろした本は、彼の手に移ると、次々に分類されていき、新しい本の山を作っていく。分類後は作者の名前順に、再び本を分類して山を作る。慣れた手つきでトランプを配るような速度だ。
「ほら、これを一番右下の棚に入れてくれ」
 アーネストに、持って行かせる本の山を指示する。アーネストは図鑑の山を軽々と持ち上げ、指示された棚に突っ込んだ。
「向きが逆だ。背表紙を手前にして入れるんだ。でないとページが痛むし、何の本が入っているか分からないだろ」
 せっかく入れたのに、とアーネストは内心で文句を言いつつ、入れた本を引っ張り出し、向きを変えて棚に突っ込んだ。振り返ると、彼の目の前には、すでに分類を終えて棚の中に納まるのを待つ本の山が! 本を入れて取り出して向きを変えてまた入れなおした、一分足らずの時間で……。
「ほれ、ぼさっとしていないで、次。そいつは棚の左側へ入れてくれ」
 スペーサーは手を動かしつつ、アーネストに指示を出す。アーネストは、図鑑、百科辞典、辞書を所定の場所に突っ込んでいったが、そのたびに、向きが違うだの、本の高さをそろえろだの、必ず一言もらっていた。本の価値などどうだっていいアーネストにとっては、本をどんな風に突っ込んで棚に納めようがどうでもよかったのだが、スペーサーはそうはいかない。仕事柄、文献が大量に必要なのだ。たいがいのものは図書館でも手に入るが、彼の書斎に納められた本は、今では絶版になっているほどの古いものすらあるのだ。古本屋に行っても置いていないかもしれない品物ばかり。アーネストにはそれらを丁寧に扱って欲しいものだが……。それになにより、きちんと整頓されていないと気持ち悪い。
 その一方で本を収めるたびに小言をもらい続けるアーネストは、腹が立って仕方ない。腹が減ってきたせいもある。こんな分厚い本、自分が読むわけじゃないから、どこにぶち込もうが勝手だろうが。もらうもんもらったら、ソッコーでぶちのめしてやる!
「あ、言っておくが」
 背後から、スペーサーの声がかかる。
「手伝いの報酬である好物メニューに加え、特別褒章として君の好きなチームの試合のチケットを三回まで立て替えるつもりなんだが?」
「ぐ……」
 手を出せないようにおさえこまれてしまった。いつもこうだ。口では勝てないし、スペーサーは一度言った事を違える事など絶対にしない。それがわかっているから、逆に手玉に取られてしまうのだった。
 作業が全部終わったのは、昼をだいぶ過ぎた頃。
「やーっと終わったああああ」
 アーネストは脱力して、ベッドに体を投げ出した。が、すぐ飛び起きて、スペーサーの襟首を引っつかんだ。
「休んでる場合じゃねえや。早く作れ」
 抗議の言葉を上げる暇も与えず、アーネストは彼をキッチンまで引きずっていった。こき使われたのだからと、好きなものを「遠慮なく」注文したが、ちゃんと全部作ってくれたことには改めて驚きを表した。冷蔵庫の中身を全部使ったのだろうか。それとも、昨日のうちからあらかじめ材料を山ほど買い込んで今日手伝わせたのだろうか。
「ま、いいか」
 アーネストは、考えごとを五秒で頭から追い出してしまった。

 きれいに本の片付いた部屋に戻ったスペーサーは、引き出しから小説の原稿を引っ張り出して、執筆の続きを始めた。
(部屋も片付いたし、アーネストも満足してくれた。部屋の模様替えもドサクサまぎれでやらせたから、その分の報酬もかねていることには、気づいていないようだな。こき使うには、エサで釣るに限る)