新米



「……総務課、経営課、事務課、管理課、これで終わりだな。計四課とも、異常なし」
 医務室で、スペーサーは、健康診断のデータとにらみ合いをしていた。本日の健康診断の結果を、これからデータを規定どおりの形にまとめて、地球の本部へ向けて送らねばならない。これが一番時間のかかる作業なのだ。
「ふん、面倒くさい」
 ぶつぶつ文句を言いながらも、資料まとめに取り掛かった。
 データを送信してから一時間後、地球の本部から通信が入った。しばらく読んでいたが、スペーサーは目を丸くした。堅苦しい文面を全て抜きにすると、通信は次の一文で事足りた。
 地球の本部へ帰還せよ。

 スペーサーは一時的に地球へ戻ることになった。総務課に通知を出し、地球時間で言うところの半日後に、彼はステーションから地球行きの船に乗った。
 医務室では、アシスタントロボットがしばらくの間、患者を診る事になった。
 医務室に貼り出された通知を見て、通り行く者たちは口々に言い合った。
「あの医者、地球に戻ったんだ」
「でも一時的にでしょ。どうせすぐ戻ってくるわよ」
「いっそ別の、もっとマシな性格の医者と交代してもらえないもんかねえ」
「地球も人手不足なんじゃないかえ。腕は良いんだが、性格は最悪だからのお」
 口々に言われていたとおり、地球時間で言うところの二日後、代わりの医師がステーションにやってきた。
 歳はスペーサーと変わらないぐらいだが、明るい髪の色を首の後ろでアバウトに束ねた女で、背丈は百七十センチくらいはある。旧式の、べっこう縁のメガネをつけており、それが彼女を若干老けてみせていた。
 さっそく医務室に荷物を置いて診察を始めた彼女を、好奇心に負けて医務室に集まってくる、ステーションの住人達。
「あ、わたし地球本部から代理として派遣されましたの。イルシアと申します。先月、研修期間を終えまして、正式な医師免許を発行してもらったばかりなんですの」
 新米のようだ。
「前任者の方がステーションへ戻ったら、そのままお手伝いするようにと、本部から言われてますの。まだ、わたし経験不足なものですから」
 なるほど、どうやら彼女はスペーサーの後任ではなく、あくまで彼の側で経験を積むための助手であるらしい。
 イルシアの、医師としての腕前は、スペーサーと比べるとかなり悪い。ただのかすり傷を何らかの感染症で起きたものではないかと言い、重病であるかのようにたくさん薬を出す。スペーサーなら、恐ろしくしみる事で有名なメーカーの消毒薬をべったりと傷口に塗った後に止血剤つきのバンドエイドを乱暴に貼って、嫌がらせたっぷりの治療はおしまいになる。正しい治療だが、そのやり方は乱暴。医師としての腕は良いくせに診察が大嫌いというのだから、何のために医師免許を持っているのか分からぬ男だ。
 イルシアの腕の悪さは新米という事もあって許せるのだが、なにより、止血剤と下剤を間違えるなどのミスが多いので、診察を受ける側は不安になる。うっかり修理器具で腕を怪我してしまった管理課の一人など、消毒薬と止血剤の代わりに、軟膏と痛み止めを出された。指摘されると彼女は驚いて謝り、正しい薬を出してくれる。たまに、量を間違うが。
 それでも医務室に進んで患者が訪れるのは、医師の機嫌を損ねても機械で拷問される事がないからだ。また、なかなか美人である事から、訪れる患者は男だらけであった。

 そうして、地球時間で二週間経過した頃。
 地球本部からステーションへ、必要物資を運んできた船が停泊した。積荷を降ろす作業中にうっかり機械の操作を間違ったのか、作業員の一人が、荷物運搬用のフックに体を引っ掛けて大怪我をした。作業は一時中断され、他の作業員達が、重傷を負った同僚の周りに集まった。あいにく誰一人として手当する術を知らず、何の道具も持っていなかった。誰かが医務室へ連れて行こうと言い出し、他の皆もすぐそれを実行に移そうとした。
「何かあったのか?」
 背後から声が聞こえたので、作業員達は振り向いた。

 医務室に、怪我をして血塗れの作業員が担ぎこまれてきた。イルシアは、重傷の患者を診て、目を丸くした。これほどひどい怪我をした患者を診るのは初めてだった。
「うう、本当は血だらけって苦手なのよね」
 アシスタントロボットはてきぱきと患者の体を、温かな湯でぬらした布で拭い、服を脱がす。イルシアは怪我を見たが、もう一度驚きを示した。
 応急手当されている。
「こ、これならわたしでも何とかなりそう――」
「なりそう、では困る!」
 突然聞こえた声に、イルシアは顔を上げた。そして、医務室のドアに立つその人物を、穴が開くほど見つめた。
「せ、せんぱ……」
「私を見つめる暇があったら、さっさと手当の続きをするんだ! 応急麻酔の効果はそんなに長くないんだぞ!」
 スペーサーは開口一番、怒鳴りつけた。

 スペーサーが戻ってきた事は、五分足らずでステーション全ての住人に伝わった。驚きと、ある意味での安堵感が広がった。
 医薬品を届けるために管理課の何人かが箱を持って医務室に訪れたところ、戻ってきたスペーサーは早速、重傷の作業員を実験台にして、イルシアを指導しているところだった。見た所は、指導しているというより、いらついて怒鳴っているというほうが正しかったが。
「何度言ったらわかるんだ、それじゃない! 大学時代からの薬間違いをまだ繰り返してたのか?! ああ、それだそれ。その薬をこの患部へすりこんでおけば、痛みを減らせるし、傷の治りも早いから――」
 イルシアはあたふたと先輩の言葉通りに薬を塗り、患部に包帯を巻いて、手当を終えた。
「先輩、これで、いいですか……?」
「うん。合格ラインぎりぎり。まさかお前、私のいない間にステーションの住人をあんなやり方で手当していたんじゃないだろうな?」
「え、ええ……」
 彼女の返答に、スペーサーの喉から、うめき声がもれた。
「カルテをよこすんだ。お前の診察を受けた住人全員をもう一度診なおさなければならん」

 イルシアの診察を受けた住人全員が医務室に呼び出され、スペーサーの診察を受ける羽目になった。
 診察が終わって住人達が医務室を出た後、不適切な治療や薬の分量間違いなどにより、イルシアがスペーサーから長々と説教されたのは、当然の事だった。