特訓をやり直す



 せっかく披露した塩スープの感想は、ヨランダが思っていたよりもよろしくはなかった。
 そんなわけで、彼女はいつも通り郊外の呪術師の老婆の住む家へ出かけ、
「でねー、おばあさん! みんなひどいのよ、せっかくこれまでの成果を見せようと思って塩スープ作ったのに塩気が強いだなんていうの! アタシとしてはこの味でちょうどいいと思ったのに」
 老婆相手に、老婆特製の薬草酒の水割りを片手に愚痴をこぼしていた。現在、老婆の孫のセラは昼間の修練の疲れで早くも夢の世界旅立っていたので、さいわいにもこの愚痴につきあわされることはなかった。逆に、聞き手となった老婆は、麦殻の多い自家製の酒をすすりながら、相手の話を黙々と聞いている。
「そりゃあ、アタシは盗みのことならこの町一番を自負してるんだけど、料理とお裁縫はダメっていう自覚だってあるのよね。だからおばあさんにいろいろ教えてもらってるの。そのお披露目としてみんなにスープをふるまったんだけど、感想が……」
 薬草酒の酔いもあってヨランダの愚痴は長々と続いた。そして彼女のコップが空になったところで愚痴も終わり、自分のエールも飲み干した老婆がやっと口を開いた。
「そうじゃのう。わしとしても塩スープでこれほど量を増やしてしまうお前さんの腕前、不安じゃわい」
「ひどいわ! おばあさんまでそんな事言って!」
 老婆の言葉を聞いて、ヨランダは木のコップをドンと乱暴にテーブルにたたきつけた。夜の闇に、大きく響く音。
「ひどいも何も事実じゃ」
 老婆は、酔ったヨランダの剣幕におされることなく、壷を傾けてエール酒を器に注いだ。
「味を見るのは確かに大切。それは何度も言うてきたことじゃ。しかし、それを繰り返せば舌が味に慣れてくるのも当たり前のこと、水を入れすぎれば当然味も薄くなるわい」
「もう!」
 別の壷から薬草酒をコップに注いだヨランダは、その言葉で頬を膨らませた。
「じゃあどうすればよかったのよう!」
「ドバッと水を適当に入れたのが失敗なんじゃ、小娘! そんなことでは味が異常に薄まる上に量が増えすぎて当然じゃ!」
 老婆は空いた片手で杖を握り、ヨランダの頭をポカリと叩いた。老婆の力とはいえ杖は木製、痛みはそれなりにある。
「なんでぶつのよう!」
 酔っている勢いもあってヨランダは老婆に突っかかるが、老婆は涼しい顔をしている。
「わしの目の届かないところでそんなしくじりをやらかしおって、これは単なる仕置にすぎんわ!」
 ハアと大きくため息をついた老婆は、杖を降ろした。
「何のためにわしが口をすっぱくして『分量を測れ』『味を薄めるときは少しずつ』と言うとったのか……お前は全然理解もしておらんし、身についてすらおらん! こんなことでは薬の調合はおろか料理すらマトモにできん娘っこになるぞい!」
 そして、エール酒をぐびっと一息に飲み干して、一喝した。
「特訓は、イチからやりなおしじゃ! この大バカ者!」

「――なんてこと言われちゃったのよ、あのおばあさんに!」
 翌日の朝、ヨランダは、開いたばかりのシーフギルドの酒場にて、マスターを相手に愚痴をこぼしていた。
「せっかくここまで上達したのにまたイチからやりなおしだなんて、ひどいと思わない? そりゃあ、おばあさんの作るお料理とお酒は全部、薬草くさいのを除いたら、ほっぺが落ちるくらい美味しいけど! 大バカ者はないでしょ、大バカ者は!」
 長々としたヨランダの愚痴が終わると、マスターと、飲みに来ているシーフたちは苦笑いをした。
「いやいや、その呪術師のばあさんの言葉が正しいね」
「マスターまで?!」
「おおっと、そう怒りなさんなって」
 マスターはヨランダをなだめる。
「だってそうだろう。思い出してもみなよ、スープの味が濃いからって水を遠慮なくドバドバ入れてたろう。そしたら味も薄くなりすぎるだけじゃなくスープの量も増えすぎる。だから、味を薄めるために水を入れるときは、小さなコップに一杯とか、その程度の量から始めていくものなんだよ」
「そんなに少なくてもいいの?」
「そういうもんだ。ばあさんはどのぐらい入れてたかい」
 そこでヨランダは、老婆の調理を思い出す。
「そういえばそうね、コップ一杯とか……」
「そのぐらいでいいんだよ、入れすぎは味を壊すんだから」
 しかしヨランダは不満そうだった。
「しかし、そのばあさんの作る酒には興味があるな。どんなもんを作ってるのか、ちょっと味を見てみたいもんだよ」
 ヨランダの不機嫌をそらすためのマスターの言葉に、彼女はすぐに乗った。
「じゃあ、おばあさんに頼んでみる。薬草を漬けて作るお酒だからなのかクセが強いんだけど、割ると案外呑みやすくてたくさん飲んじゃうのよねえ」
 彼女の機嫌が直ったのを見たシーフたちは、このまま呪術師の老婆がヨランダの料理の腕を貴族おかかえの高級シェフなみにひきあげてくれることをひそかに、しかしとても強く願っていた。

「なに、わしの作る酒がほしいとな?」
 そして翌日、ヨランダの頼みを聞いた老婆は眉根を釣り上げた。
「おばあさんの作る薬草のお酒、どうしても味わってみたいって、私の知り合いが言うの! コップ一杯でいいから、わけてもらえる? アタシもそのお酒好きだし!」
「樽をまるごと持っていくような真似をせんかぎりは、まあ構わんがの」
「ありがとう!」
「その代わり!」
 老婆はヨランダに一喝した。
「これより特訓を始める! わしを頷かせる味付けができない限り、酒はやらんからの! なんじゃその不満そうな顔は。お前は盗人じゃから、わしのおらん間に酒を盗めばいいと思うとるじゃろうが、そうはいかんぞい」
「失礼ね、そんなことしません!」
 ふくれっ面をするヨランダに、老婆は意地悪く笑った。
「そうかのう。……まあ、今までもこの家で盗みなど働かなかったお前のことじゃ、そいつは信じてもよかろうて」
「当たり前でしょ」
「しかし! お前の知己がそれをやらかさんとも限らんからのう。いちおう、釘は刺させてもらうわい」
「大丈夫よ、みんな、おばあさんのこと半分怖がってるもん」
 ヨランダはしれっと言ってのけた。実際、お宝にかかっている呪いを解いてもらうために老婆の力を借りねばならないシーフたちとしては、逆に彼女を怒らせると呪いをかけられるかもしれないというおそれも抱いている。しかしヨランダは、怒らせなければ大丈夫とわりきり簡単に打ち解けてしまい、今に至っているのだ。
「そこはアタシが保証するから!」
「そうかい」
 老婆は、ふかいしわの刻まれた顔をさらにくしゃくしゃにした。
「まあ、ええじゃろう。ではただちに特訓にはいるぞい。セラはやっぱり特訓疲れで寝ちまっておるから、やるのはお前だけじゃわい」
「はあい」
 老婆手作りの酒のためにも、そしてもっと素晴らしい感想をギルドの仲間からもらうためにも、ヨランダは意気込んで特訓のやり直しを始めることにした。