大きなシシの木の上で



 最近、地球の植物園に、シシの木が輸入された。シシの木は、地球外銀河の、なおかつ酸素濃度が低めの星にしか生息しない、奇妙な木である。枝を全部取り除くと、木自体がロリポップキャンディを思わせる形をしており、低濃度の酸素とわずかな水分さえあれば、高さ五メートルほどまで成長できる。

「木の護衛をしてくれって?」
 モニターに映った依頼を見て、アーネストは、開口一番、あきれ返ったような声を上げた。
「何で木の護衛なんだよ! アミでもかぶせとけば鳥なんか来ないだろ!」
「シシの木は、ただの木ではないんだ。狙っているのは鳥じゃない。あの木から分泌される樹液を精製すると、純度の高い薬が出来る。効果は強いが、それだけ依存症も出やすい。麻薬のような成分を持つ」
 彼の肩越しに、スペーサーが声をかける。アーネストは振り向いた。
「薬が出来るのか? じゃあ、鳥じゃないなら、誰が木を狙うんだ」
「麻薬の売人だ」

 シシの木の輸入された植物園。指名されたのはアーネストだけなのだが、彼はスペーサーも無理やり引っ張ってきた。どこかおどおどした植物園の園長は、ちゃんとしたシシの木の警備システムが動作するテストが難航しており、今日だけでいいから木の護衛をして欲しいという。それから、どこか愛想のない副園長に、シシの木専用の部屋に案内された。シシの木は、他の植物と同じように、輸出された星の環境と同じ設定にした部屋に入れてある。
「へー。こいつがシシの木か」
 アーネストは、シシの木を眺めながら、言う。スペーサーは、息苦しそうに上着のボタンを外し、あえぐ。
「く、苦しい……。酸欠になりそう……」
 普段の戦闘訓練で、低酸素状態にも慣れているアーネストにとって、シシの木の生きられる環境に置かれる事は、一日だけなら何とかなる時間だった。が、スペーサーにとっては地獄のようだった。シシの木の育つ環境は、酸素濃度が低めなのだ。そしてこの部屋も。
 酸欠で倒れそうなスペーサーを部屋の外に追い出した後、
「登ったら、どんな葉っぱがついてるんだろ?」
 アーネストは、ふと、好奇心に駆られ、すべすべの幹から伸びる、比較的低い位置にまで生えた枝を足がかりにして、棒のように真っ直ぐ伸びた木を登り始めた。

 シシの木専用の部屋から追い出されたスペーサーは、すぐに酸欠を回復したものの、今度は異様な吐き気に襲われる羽目になった。シシの木の部屋の隣にある植物は、ニラ星の花・ジジマ。とても美しい色の花を咲かせる事で有名であるが、如何せん花のにおいは非常に臭い。ちょうど開花の時期を迎えており、その花が放つ異臭は地球人の嗅覚からすると、吐き気を催す悪臭なのだ。運の悪い事に部屋の隙間からその悪臭が漏れ出している。
 ちょうど近くにあったトイレに駆け込んで、用を済ませる。
「ああ全く。これなら地球の杉花粉のほうが何倍もましだな」
 愚痴をこぼしながら、トイレから出る。
 話し声。
 ちょうどトイレは廊下の角を曲がったところにあり、看板がないと見えない。そして、彼はちょうどトイレから出てきた直後。彼の体は角に隠れている状態。彼は廊下の角にピタと体をくっつけ、息を殺して気配を消す。そして、話を聞いた。
「これがあのシシの木か。現地の木の中では最大の高さを持ってるんだろ?」
「そう。一番育ちのよい木を厳選してきた。高い金を払って仕入れただけのことはある」
 片方の声は、植物園の副園長だった。スペーサーは素早く制服の胸ポケットから、虫に似せたマイクロレコーダーを取り出し、スイッチを入れる。そしてそのレコーダーを音源に向けてそっと放す。レコーダーは勝手に飛んで、音源の近くの壁にピタと止まる。
「虫一匹ついていない状態で輸入した。根元から採取してみたが、樹液も最高級だ。いいクスリができそうだ」
「だがなぜ《危険始末人》にこの木の見張りを頼んだ? 奴らがいると樹液が採取できない」
「なに、今日だけさ。技師を頼めば済む話だが、園長は臆病者だから――」
 そこで会話が止まる。
「ん? なぜ誰もいないんだ?」
 スペーサーは危うく、声を上げるところだった。シシの木の部屋にはアーネストがいるはずだ。だがこの様子から想像して、シシの木の部屋には誰もいないようだ。
(アーネストがいるはずではないのか?!)
「誰もいないなら好都合だ。少しばかり、樹液をいただこうか」
「そうだな」
 ドアが開けられる音が聞こえてきた。

「へー。結構葉っぱって固いな」
 アーネストは、シシの木のてっぺんに登って、葉っぱの感触を確かめていた。ちょうどロリポップキャンディ状の、丸く葉をつけた枝の一本の上に座っているので、彼の姿は無数の葉っぱに覆い隠され、外からは見えない。
 葉はひいらぎに似ていたが、固い。乾物のようだ。
 彼が葉っぱに触って遊んでいると、ドアが開く音が聞こえた。同時に、制服のポケットに入れた小型通信機から通信が入る。まず通信をオンにする。
「どこをほっつき歩いてるんだ!」
 いきなり通信機から怒鳴り声。怒鳴っていると言っても、相手が声を抑えているらしく、それでも精一杯怒鳴りたいのをこらえているのがわかるくらいだ。
「どこって、俺ずっとこのシシの木の部屋にいるんだけど――」
「はあ? その部屋のどこにいるんだ?!」
「木の上」
「木の上って――と、とにかく緊急事態だ! 今、その部屋の中に、樹液を採取しようとする奴らが入ったんだぞ! 私もすぐ行くから、何とかして食い止めるなりしてくれ!」
 相手から一方的に通信を切られた。見てたんならお前が行けよと思いながら、アーネストは地面を見る。副園長ともう一人。見覚えのある男だ。記憶力は悪いが、相手の人相をすぐ覚える方法だけはきっちり叩き込まれているので、アーネストは記憶を手繰って思い出す。
 指名手配A級の、麻薬密売人の一人だ。
(なるほど、副園長とグルってわけか)
 距離が離れているので、会話は正確に聞き取れないが、相手が、シシの木の根元にかがみこみ、刃物のようなもので幹を傷つけたのは見えた。そして水のように流れる茶色の樹液が、コップのようなものに汲み取られた。
 アーネストは飛び降りた。突然飛び降りてきたアーネストに仰天する二人。相手に逃げる間も与えず、着地と同時に身をひねり、肘鉄砲で副園長のこめかみを強く殴打する。下手すれば昏睡状態に陥る一撃だが、アーネストは容赦なかった。
「貴様っ……」
 密売人が銃を取り出す暇も与えず、片足を軸にして体を半回転させたアーネストは、そのまま後ろ回し蹴りを相手のみぞおちに叩き込んだ。
 その一分後に警備員や警察を伴って、スペーサーが戻ってきたときには、もう終わった後だった。

 副園長は、軽度の症状しか出ないが依存性はきわめて強い特殊な麻薬の所持者だった。いくつかは植物を自分で精製して作り出したものではあったが、園内の植物を使いすぎたのと、依存性の強さゆえにいくら金を使っても薬を買い足りないのとで、シシの木から取れる樹液を密売人に売ることで金を得ようとしたのである。
 スペーサーの録音したレコーダーのテープと、木の幹を傷つけて出てきた樹液を回収したコップを証拠とし、副園長と密売人は逮捕された。

 後日、植物園の園長から、アーネストとスペーサーにお礼の品が一つ届いた。十万クレジットをそれぞれ謝礼としてもらった後だったが、とりあえず二人はそのプレゼントの紐を解いてみる。
「うっ……!」
 開けた途端、二人は胸元まで一気に吐き気がこみ上げ、先を争ってトイレに駆け込んだ。
 それもそのはず。「園内いちの人気植物の苗です」と書かれたカードのついた小さな鉢植えには、ちょうど開花の時期を迎えたジジマの小さな花が、可愛らしいピンクのリボンを茎に巻きつけて、植えられていたのだった。