娼婦
「困るのよねえ」
甘ったるい息を吐きかけてくる、高級娼婦。歳のころは三十近いが、それを感じさせぬ美しい肌とカラスの濡れ羽色の黒髪、そしてふっくらとした唇と整った顔を持つ。胸はこれでもかといわんばかりに出て、それでいて引っ込むべきところはちゃんとひっこんでいる。くわえて、異性を引き付けるために特別に調合してもらっている、甘ったるい香りの香水。これをマトモに吸い込むと理性があっという間に破壊されてしまう。
「アタクシの道具箱がないと、お商売に響いてしまうのよ。おわかりぃ?」
「わ、わかってる……」
甘ったるい香水と甘ったるい吐息でアーネストの顔がのぼせてきたところで、スペーサーが脇腹に強く肘鉄を食らわす。
「この阿呆が性欲のカタマリにならんうちに、さっさと仕事をしたい。その道具箱とは?」
高級娼婦は、綺麗にカールした髪を指先でクルクルといじりながら、なくなった道具箱の説明をした。
マホガニー製の小箱で、中には化粧道具が入っている。大きさは手のひらに乗るぐらいで、ポケットに入れる事も出来る。きれいな真珠でふちどりをしてあり、南京錠はルビーで作られている。
「鍵は持っているの。でも、肝心の道具箱が見つからないのではねえ」
高級娼婦は甘ったるい吐息を静かに吐きかけながら、綺麗に手入れされた長い爪の間からそれを見せる。ルビーの鍵だ。南京錠もルビーなら鍵もルビーなのだ。
「お商売の時間まであと三時間しかないの。急いで探して下さるう」
「も、もちろん」
ぼけっとしたアーネストの声。スペーサーはまたしても、肘鉄をくらわせた。
「あの娼婦のつけている香水、興奮剤や性欲増強剤もふんだんに使われてる。吸いすぎると中毒になるぞ」
娼婦の部屋を、許可を得て探し始める。スペーサーは、ぼけっとした顔のアーネストに言った。が、話を聞いている様子がないので、スペーサーは思いっきりアーネストの股ぐらを蹴っ飛ばした。
「な、なにずんだよ……」
悶絶したアーネストは、きれいな毛皮の絨毯の上で、胃袋から声をやっと絞り出した。スペーサーはそれを冷たい目で見降ろす。
「あんな安物娼婦の安っぽい香水に引っ掛かる色ボケにはふさわしい一撃だろうが、この大バカ者が!」
「や、安物?」
アーネストはきょとんとした。
「あんな豪華な服とか家具とか持ってるのに、安物かよ?」
「あれはな、下町の売春宿あがりの安っぽい蓮っ葉女だ。たまたま議員連中に見染められたからこんな豪華な生活が出来ているだけ。あんな香水をつけなければ客を引き留めておくことすらできんのさ。セックスアピールの不足を香水で補っているにすぎんが、仮にあったとしてもあんなのを抱きたいとは思わんな」
ズケズケと酷評するスペーサー。
「ほれ、さっさと探すぞ。こんな胸糞悪くなるところ、いつまでもいたくない!」
アーネストは探すのを手伝い始めたが、頭の中のどこかがしびれているような奇妙な感覚が残っているため、彼の手はどこか宙をさまよっている時があった。部屋の中にもあの甘ったるさがわずかに残されていたからだ。アーネストの手が止まるか、表情がぼんやりとしていると気が付くと、スペーサーは情け容赦なくアーネストをどついた。
依頼人が仕事を始める一時間前になり、問題の道具箱は依頼人のクローゼットの片隅で見つかったのだった。依頼人はマホガニー製の小箱を受け取り、嬉しそうな声をあげた。
「あぁら、これこれ! アタクシのだぁいじなお道具箱! うれしいわあ!」
またしてもあの強い甘ったるい香りがアーネストの頭をしびれさせる。吸い込み続けるにつれて、彼女を抱きたいという欲求が体を支配し始める。とても強力な薬だ。
「ところで」
スペーサーは、もう理性のカケラがわずかしか残されていないアーネストを横目で見て、次に依頼人を見る。
「報酬についてだが、金はいらんから、かわりにこのバカの相手をしてやってくれ。あんたを抱きたくて仕方ないそうだ」
「構わなくてよお。でもあなたはどうなの」
「混ぜ物だらけの安物の香水がなければ客をとれんような安物娼婦を抱くつもりはない」
依頼人はいささか腹を立てたらしかった。が、顔になるべく出さぬよう心がけた。
「辛辣ねえ。でも報酬は払わせていただくわあ」
アーネストの手をやさしく取って、奥へ連れていく。アーネストはそれに逆らわなかった。その後ろ姿を見て、スペーサーはため息をついた。
「娼婦は数多く抱いたかもしれんが、このテのオンナには慣れていないと見えるな」
たった三十分で、アーネストは戻ってきた。天にも昇るような顔。時間つぶしに本を読んでいたスペーサーは、大げさに肩をすくめた。
「帰るぞ、早漏」
「そーろーって、何だよお前は! 侮辱しやがって!」
「たった三十分で終わったんだ、早漏以外の何物でもないだろ、色ボケ」
基地へ帰還するための小型艇でも、まだ言いあった。
「あのな、三十分で終わったのは、その後で彼女の仕事が控えてたからで――」
「あの香水の香りに騙されてるんだ。君とヤるのがつまらんから追い払われたにすぎんよ。君は自分が主導権を握ってたつもりだろうが、完全に相手の掌で踊っていたんだよ」
「お前、覗いてもいないはずだろ。何でそう言えるんだよ」
「本物の高級娼婦を抱いてみればわかるさ。ひとり紹介してやろうか?」
「……」
部屋から出てきたアーネストは、やはり恍惚の表情。
「これが、ホンモノ……」
以前の依頼人の高級娼婦は、様々な薬を混ぜた香水を使っていたが、さっきまで彼が抱いた高級娼婦はそんなものを全く使っていなかった。そして、事後の快感もあの依頼人をはるかにこえるものであった。
「あんな香水を使わなければお客を呼べないなんて、あわれな女ねえ」
その高級娼婦は優雅に笑ったのだった。
「そんな女とわたくしを比べないで頂戴な」
アーネストが去った後、本物の高級娼婦は薄手の絹のローブをまとい、彼に話しかけた。
「あなたの連れてきた彼、経験はあるけれど、わたくしのような女を抱いた事は無いのね。ちょっとつまらなかったわあ。わたくしのようなオンナを悦ばせる事には長けてないみたい」
「やはり下手だったか」
スペーサーは革張りのソファの背もたれに体を預けた。高級娼婦はくすくす笑って、黒檀のような長い髪をかきあげた。
「あなたの足元にも及ばない。どう、久しぶりにやらない?」
「また今度。まだ仕事中なんでね」
スペーサーは立ち上がると、部屋を出た。
(後で金を千万クレジットほど振り込んでおくか。向こうは無料でいいと言ったが、《ファミリー》を抜けた私はただの《危険始末人》に過ぎないのだからな。しかし、《ファミリー》専属の高級娼婦なんだから、アーネストにはもったいなかったな。あれが抱く女は下町の娼婦がお似合いだ)
そして彼は自分の小型艇に乗って、基地へと向かったのだった。