不眠の呪い
「あー、ごめんなさーい! また失敗しちゃった」
年のころは十歳。ピンクのリボンで栗色の髪を束ねた、いかにも魔法使いらしい服装の少女は、魔法陣の上に大の字に伸びてしまったアーネストに謝罪の言葉を投げかける。全身が、まるで焚き火で焼かれすぎた魚のごとくクロコゲになっているアーネストは、それでも、どうにか立ち上がる。
「いや、俺、タフだし……これくらいならまだ平気……」
少女が魔方陣の模様を確認している間、アーネストは、このまま失敗が続けば自分の命が危ないんじゃないかと思い始めていた。
アーネストが、呪いの専門家の家を訪れたのは、彼自身が、退治した亡霊の魔物から死に際に呪いをかけられたからであった。その呪いにかかったときから、彼は一睡も出来なくなってしまい、眠いのに眠れない状態が一週間ちかく続いていた。
町に帰ってスペーサーに聞いてみたところ、亡霊のかける呪いは強力で、その専門家にしか解呪できないとのこと。そのうえ、必死で修行すれば誰でもなれる魔術師と違って、呪術師には向き不向きがあるという。魔法使いなら何でも出来ると思っていたアーネストには絶望的な返答であったが、運よくスペーサーの知り合いの呪術師を紹介してもらえた。が、その呪術師は人のえり好みが非常に激しいため、行っても会ってくれない場合があるとの事である。スペーサーはアーネストに紹介状を持たせ、使い魔のカラスに彼をその専門家の家まで案内させた。
着いた所は町のはずれの外れにある、空き家に近いボロ家。ここが本当に呪いの専門家の住まいかといぶかるアーネストを、家の中から出迎えたのは、自分を呪術師だと名乗る少女であった。少女は紹介状を読むと彼を奥へ案内し、解呪にとりかかったのである。
「ええっと、この位置の呪文はこれであってるし、ここも大丈夫。あっ、ここ間違った!」
少女は白墨で、間違った部分を修正する。だがその消し方はきわめて雑である。足で踏んで文字を消しているのである。アーネストはそれをみて余計に不安に駆られた。
「じゃ、行きますよ〜、今度は大丈夫だから」
少女は分厚い本を片手に、呪文を唱え始める。今度こそ本当に大丈夫であってくれ……アーネストは切実に願っていた。
少女が呪文を唱え終わった。魔方陣から光があふれ、陣の上に立つアーネストを包み込んでいき――、
魔方陣の光が電流を起こし、バンと激しい破裂音を立て、続いて爆発した。
「あれ? また間違ったみたい。あの、お客さん、大丈夫ですか?」
「……まだ生きてるよ」
総身に静電気を帯びたアーネストは魔方陣の上に尻餅をついたまま、虚ろに答えた。
「つーか、ほんとに呪いの専門家なのか? 失敗ばかしして……」
少女が口を開きかけたとき、
「何をやっとるんじゃ、セラ」
部屋の奥から声が聞こえ、続いて、ひどく背の曲がった八十歳くらいの老婆が、樫の杖をつきながら姿を見せる。薄汚れた黄土色のローブを着て、フードを額まで深く引き下げている。
「あ、おばあちゃん」
セラと呼ばれた少女は、いかにも、いたずらが見つかったといわんばかりの表情になる。老婆は、帯電したままのアーネストを見る。そして少女を見る。
「セラ! あれほど言ったろう、未熟者が解呪に手を出すなと!」
「だって、ちゃんと知識はあるし――」
「知識だけの問題ではないぞえ! お前は呪文の真髄を理解できておらぬ。そのうえこの魔方陣のおそまつさは何じゃ! こんな消し方や直し方では術が狂って当たり前じゃ!!」
「おーい……」
アーネストが弱弱しく割って入った。老婆は、改めてアーネストに気がついたといわんばかりの顔になる。
「おんや、お前さん。孫に解呪を頼んだのかえ?」
「孫お? 俺は呪いの専門家に、頼みにきたんだぜ……」
アーネストがたどたどしく説明すると、老婆は目を大きく見開いた。そしてセラをにらんだ。
「セラ! お前は客人を実験台にしおったな!」
セラは大慌てで部屋から逃げてしまった。
「後でおしおきじゃわい。どれ、お前さん。解呪してやるから、まっとれよ」
十分後、新しく書き直した魔方陣の上に立つアーネスト。老婆は書物を置いて呪文を唱えた。魔方陣から光があふれ、それが消え去ったときには、彼にかけられた呪いは完全に解けていた。
「ほれ。終わりじゃぞ。あんたを紹介したあの男によろしく言っときな、『まだくたばりゃしない』ってな」
「わーったよ。あんがとな」
あくびまじりに答え、アーネストは急激に襲ってくる眠気と戦いながら部屋を出た。
薄暗い廊下の隅に、セラが隠れていた。
「あ、あの、ごめんなさい……自分の実力を試したくって……」
「もーいいって……今更、傷が一つ二つ増えたって構わねえよ」
アーネストは、セラの謝罪の言葉を背中に受けながら、家を出た。
一分もたたないうちに、アーネストが戻ってきた。もう今にも寝てしまいそうな顔で、しかも何やら深刻そうな目つき。
「何じゃと。背中が痛む?」
老婆はアーネストの背中を見てやる。同時に血相を変えた。
「こりゃいかん! 人体キノコ化の呪いがかけられておるわ。きっとセラが解呪の失敗でかけてしまったんじゃろう。はよ来い! 解呪せんとお前さんがキノコになっちまうぞえ」
眠いのを必死で我慢してアーネストは老婆の後についていき、またしても魔方陣の上に乗せられる。だが今回は、背を下にして仰向けの姿勢で寝かされることになった。
「呪いを解くには、背中に魔力を流すしかないんじゃよ」
老婆はそういって、呪文を唱える。柔らかな光がアーネストを包み込み、しばらくしてそれが消えた時には、アーネストの背中の痛みは消えていた。
「ほれ、呪いは解けたぞ若造。おや、どうした」
老婆は、全く動かなくなったアーネストの上にかがみこんだ。
様子をみて、ほっと息をついた。
眠気に耐えられなかったアーネストは、一週間分の睡魔に負け、この場で眠ってしまったのだった。老婆はアーネストの周りの魔方陣を丁寧に拭き消し、転送の魔方陣を描いて、彼を寝たまま送り返した。
研究部屋の奥にある転送用の魔方陣が光ったのを見て、スペーサーは何が届くのかと古文書越しに見ていたが、熟睡しているアーネストが送られてきたので、仰天した。
「送り返すなよ!」
あきれ返って思わず怒鳴っていた。が、怒鳴ったところで、寝つきの良すぎるアーネストが起きてくれるはずもない。かと言って、アーネストを運べるほどスペーサーは力が強くない。結局、彼の所属する戦士ギルドまでわざわざ足を運んで、転送用の魔法陣を描く許可をもらい、そこへ魔法陣を描いて自宅にいるアーネストをギルドまで呼び寄せたのである。
ギルドの仲間たちは、腕利きのアーネストがこれほどまでに無防備に寝ているのを可笑しく思ったが、笑われている当の本人は、一週間も続いた呪いから解き放たれた解放感を、睡眠という形で満喫していたのであった。