相談事
「相談事ぉ?」
書きかけの原稿用紙から顔を上げ、スペーサーは眉間に皺を寄せる。
「何だよ。俺がソーダン持ち掛けちゃ悪いってのか」
布団のきちんと畳まれたスペーサーのベッドに、遠慮も断りも無くどっかりと腰を下ろしたアーネストは、不機嫌に返す。
スペーサーはまた原稿用紙に目を落とし、万年筆を走らせる。
「悪いとは言っていないがね。で、何の相談があるって? あらかじめ断っておくが、懐が寒いから何とかしろというのは、無しだからな」
「それじゃ俺がお前をカツアゲしてるみてーな言い方じゃねえか」
「違うのか? 毎回毎回、くだらん事に使うためだけに金を無心しに来るくせに。家計簿をつける私の身にもなれ!」
アーネストは喉の奥で唸ったが、立ち上がるや否や、スペーサーの胸倉を引っつかむ。
「そんな事より、俺が言いたいのはだな!」
「そんな事だろうと思った……」
スペーサーは、目の前に置かれたモノを見て、苛立ちの声を上げる。
ボトルシップのセット。もちろん開封済みで、作りかけ。
これを、今日中に組み立てろというのだ。
友人に頼まれたはいいが、自分ではどうしても組み立てられなかった。だからやってもらおうというわけ。
「金をせびるのでなければ、何か厄介ごとを持ち込んでくるんだからな」
「何だよ、厄介ごとって」
「そのままの意味だろ!」
スペーサーはぴしゃりと返し、ボトルシップの残骸らしきモノを眺める。アーネストが散々手を焼いたのか、いくつかの部品は歪み、図面とかけ離れた形にまで変形したものもある。
「ボトルシップを作るのがどれだけ面倒な作業か、知らんのか?」
「知らなかったから、お前に頼む。相談はそれだけ。んじゃな」
アーネストの背中を見て、スペーサーは、デスクのインク瓶を投げつけてやりたい衝動に駆られたが、自制した。
ドアの閉まる音を聞いた後、スペーサーは、はーっ、と息を吐いた。
「こんな、部品のぐしゃぐしゃなボトルシップをどう組み立てろと……」
小説の原稿を脇へ押しやり、ボトルシップの図面を広げる。ウイスキーボトルの中に浮かぶ船。図面はなかなかカッコいいが、作りかけの実物を見てみると、完成図とは程遠い。ボトルシップは、昔、一つ作った事があった。南国の島と小船をミニチュアにしたもので、割と簡単なものであったが、今、目の前にしている船は、中世以降の大型帆船。構造は複雑で、組み立て素材もかなり細かい。スペーサーは、手先はそれなりに器用なほうだが、それでも、この帆船を完全に組み立てるにはかなりの時間を要するだろう。
(これの何が相談だ。ただの厄介ごとの押し付けだろうが! ああ全く!)
しばらく唸っていたが、彼はピンとひらめいた。
「これをどうしろっていうのよ」
ヨランダは、目の前の部品のいくつかを眺める。アーネストが散々手を焼いたのか、見事なまでに変形したそのボトルシップの部品の一部。
「これを、真っ直ぐに伸ばして欲しいんだ」
スペーサーは言った。その言葉に、ヨランダは仰天する。
「まっすぐって……どうしろっていうのよ、本当に!」
「部品は幸い、木製だ。竹ひごを曲げるのと同じ要領で、何とかなるはず」
「なるはずって、あなた無責任ね」
「その無責任の大本にも、そう言ってやってくれ」
スペーサーはそれだけ言って、自室へ戻った。ドアに「立ち入り禁止」の札をぶらさげ、カーテンを閉めて外の音をシャットアウトする。これでノック以外の音はほぼ聞こえなくなる。部屋のライトをつける代わりにデスクのスタンドをつけると、デスクだけ明るくなった。
「さて、やるか」
ヨランダは、スペーサーから渡された木製の部品を、ガスコンロと蝋燭を使って、少しずつ歪みを修正していた。
「全く、いったいどんな馬鹿力を加えたら、こんな風に曲がっちゃうのかしら」
熱を帯びた部品は、少しずつ歪みが直り始める。じっくりと時間をかけていくことで、確実に真っ直ぐに戻るのだ。少し前まで、竹ひごを使った工作にハマっていたため、彼女は木製の部品を扱うのに長けている。
「竹ひごとはちょっと違うけど、何とかなるわね、これなら」
「よし、出来た!」
スペーサーは、小さくだが歓声を上げた。ボトルシップ作成作業にとりかかって約三時間。一から組み直しを始めた帆船の船底が、ようやっと完成したのだ。ここから上は、足りない部品があるために、ヨランダに預けた部品を持ってきてもらわねばならない。
休憩もかねて席を立つと、部屋の外に出る。ちょうど、ヨランダが、修正の終わった部品を持ってきた。
「あ、終わったのか、ありがとう」
「ねえ、それ何に使うわけ? あなた工作にでもハマってるの?」
「違う違う」
スペーサーは拒否の意味で手を振ると、また部屋に入ってしまった。
「ま、どうでもいいけどね」
ヨランダはそのまま廊下を歩いていった。
「できたかー?」
夕方。夕飯の後、軽い調子でアーネストがドアを開ける。
「ああ、やっとな」
スペーサーはくたびれきった顔で、振り返る。そのデスクの上には、様々な組み立て用具や設計図が散乱している中、ちゃんと完成した中世の大型船のはいったボトルシップがあった。
「え、マジ? 見せろよ!」
アーネストは彼の頭を押しのけて、スペーサーの首がグキリと嫌な音を立てるのにも構わず、デスクの上のボトルシップを見る。
「すっげー! マジで完成してる!」
子供のように純粋に喜ぶアーネストを尻目に、押しのけられた拍子に嫌な音を立てた首の骨を、またグキグキと嫌な音を立てつつ元の向きに戻すスペーサー。
「で、それでいいんだろう?」
「ああ、これでいいんだよ。ありがとな」
アーネストはそのまま、ボトルシップを持って、軽い足取りで部屋を出て行った。
「……珍しい。礼を言ったな」
スペーサーは目を丸くして、閉じられたドアを見つめた。あの男が彼に対し礼を言ったためしなど無いからだ。
「……しかし、礼を言われるのも何だか気持ち悪いな」
スペーサーは呟いて、デスクにぐったり伏せった。
「疲れた……」