風邪をひく
「頭から毛布ひっかぶっていたい気分なのよね」
ヨランダは言った。
「当たり前だろ」
アーネストは呆れたように彼女を見ている。
「てーか、風邪なのにマジで毛布ひっかぶったまま歩くなよ。部屋で寝てろよ」
「だって喉渇いたんだもん……」
暖房のきいている部屋で寝ていれば、たとえ加湿器が作動していても、喉は渇くものだ。
「あんたはいいよねー、風邪ひかなくって」
「俺、健康優良児ってやつだから!」
(バカは風邪ひかないっていうからねー)
ヨランダは水を飲んでから、また部屋に戻った。
スペーサーが風邪かインフルエンザで倒れるのは毎年恒例の行事であったが、今年は珍しくヨランダも倒れたのだった。
「もぉ、やだ……」
先ほど熱を測ると、体温計は三八度をしめした。微熱と言うわけではないが高熱というわけでもない。だが気分が悪い。食欲がない。
「でも、胃腸風邪よりよっぽどマシだわ……」
トイレにこもりきりになるか水一滴喉を通らなくなる胃腸風邪よりは、ベッドにこもりきりになる風邪のほうがよほどマシ。彼女はそう思っている。
「はやく治ってくれないかしら……」
加湿器が、給水しろとアラームを鳴らした。だが、彼女はベッドから離れることすら面倒になっていた。呼び鈴でもあればアーネストを呼びつけてやれるのだが、仮にそれがあったとしても彼が来てくれるとは思えない。
「もう、こういうときは使用人がいてくれるとありがたいんだけどなあ……」
買い物に行くのを来週に延ばせばよかったなあ、と、彼女はふと思った。バーゲンセールへ行ったときにそこで拾ったに違いないのだ。
「何だよ、お前。もう起きてていいのかあ」
ソファで寝転びながら雑誌を読んでいたアーネストは、驚きの声をあげた。
「お前、いつもだったらまだ寝てるんじゃねーのか?」
動き回れるほど熱が下がったと見える。スペーサーが部屋から出てきたのだから。
「二人も倒れっぱなしだったら、誰が家の事をやるんだ……」
「それもそうだな。じゃ、ちょうどいいや、昼飯作れ」
遠慮なくアーネストは病人をこき使う。スペーサーは軽くせき込みながらも、冷蔵庫を開け、いくつか食材を取りだした。だが、まだ熱っぽいせいで頭がしっかりしていないので、包丁を使う料理は避けたいものだ。ふらついた拍子に手を切っては困る。
(これでいいか。味はともかく、量があれば、こいつは満足してくれるから……)
「ほれ、できたぞ、オムライス山盛り」
「さんきゅー」
スペーサーにとって、一番簡単でなおかつ一度に大量につくれる料理が、オムライスだった。卵を二つか三つと、後は山盛りの飯と冷凍野菜さえあればなんとかなるのだから。
「やばい、コンロの熱でまた頭が……」
二日が経過した。
「ううー、きもちわる……」
ヨランダはベッドの中で寝がえりを打ち、つぶやいた。風邪はちっとも良くならない。スペーサーはもうとっくの昔に完治して、いつも通りに家事をやっているのに……。
(でも、家事をやってもらえるなら、このまま風邪をひいたままでもいいかもね〜)
とはいえ、ほとんど何も食べられないような状態が長く続くのは困る。
(やっぱりだめだわ……)
吐き気がまだおさまらない。熱もなかなか下がらない。ちゃんと薬を飲んでいるのに……。こじらせてしまったのだろうか。
「やっぱり、もう一回病院行こう……」
夕方、アーネストをつかまえて、病院へ連れて行けと言った。夕飯前なのにとアーネストはぶつぶつ言ったが、大人しくヨランダに従った。
……。
大勢の患者がひしめく待合室。
診察室から出てきたヨランダに、アーネストは声をかけた。
「待たされた割に早かったなー、で、どうだったんだよ」
「……こじれたって……」
「で、まだ寝てるのか」
フライパンの上で焼けているオムレツを上手に空中に放り投げてひっくりかえすスペーサーは、アーネストの報告を聞き、呆れた声をあげた。
「もう四日目だぞ」
「毎年倒れてるお前と違って、免疫ができてねーんだろ」
「君のような、いわゆる健康優良児でもないしな」
「うん。俺、丈夫だしさ」
(バカは風邪ひかないと言うからなあ)
七日目の水曜日、ヨランダはやっと部屋から出る事が出来た。
「あー、やっと風邪が治ったわ!」
そして最初にやったことは、家の掃除と洗濯であった。彼女が寝ていた間はずっとスペーサーがやっていたのだが、完治した今は彼女の役目になった。平日、彼は大学へ出てしまうので、彼女以外に家事をする者はいないのだ。三日もほったらかしにされたため、家の中はやや埃っぽくなっている。
「もー。病み上がりのアタシをこきつかうなんて! でも風邪ひいたから悪いのよね、ホントは」
家中に掃除機をかけながら、ヨランダはため息をついた。