倉庫の再会



「そ、そんな馬鹿な……!」
 古びた倉庫の群れの中に、密かに麻薬の蓄えられているものがある。その倉庫は、裏社会を牛耳りつつある《ファミリー》の持ち物であり、現在、下っ端が見張りをしている。
 銃を持った下っ端は、思わず身を震わせる。なぜって、目の前にいたのは、《危険始末人》だったのだから。
「合言葉は言ったろう、『光ある大地への跳躍』と」
 下っ端に対し、答えた《危険始末人》は、手に持った熱線銃を正確に相手の急所へ突きつけている。そして、
「通るぞ」
 瞬時に膝を相手のみぞおちにめり込ませた。

「……『光ある大地への跳躍』」
《ファミリー》の中でのみ使われる合言葉。倉庫には、たまたま幹部の一人が様子を見にきていた。麻薬のたくわえが減っていないかを確認し、本部へ戻ろうとしたとき、誰かが合言葉を言って入ってきた。
「誰だ?」
 合言葉を言ったのは見張りではない。幹部はとっさに懐に手をいれ、他の下っ端たちはライフルを構え――
「止めろ、シーグリス」
 名前を呼ばれてギクリとする。暗がりから歩いてくる誰かの声には聞き覚えがあったからだ。幹部の名前を呼ばれた下っ端たちはぎょっとした。幹部の名前を知るものは、下っ端には存在しない。
 暗がりからゆっくりと歩いてきた何者かの姿が、天井から降り注ぐ日光の下にさらされたとき、幹部シーグリスの目は更に大きく見開かれた。
「あ、あ、あなたは……!」
 幹部の狼狽振りに、下っ端たちは驚き、姿を見せた《危険始末人》と幹部を交互に見比べる。
「何年ぶりだろうな、シーグリス。ちょっとは昇進したのか?」
 スペーサーは熱線銃をホルスターにおさめたまま、冷たい笑いを浮かべている。その笑みは《ファミリー》特有の冷たさを持つそれであり、その冷たい目に射抜かれた皆は、背筋を冷たいものが走るのを感じた。
 下っ端の一人が銃を構えると、
「や、やめ、やめろ!」
 三十路を越えた幹部は、額の汗をぬぐいながら慌てて止めさせる。
「そ、その方は、ボスのたった一人のご子息なのだぞ!」

《ファミリー》のボスのたった一人の息子。かつて有力な跡継ぎとして英才教育を施されるものの、その地位を自ら捨てて《危険始末人》の一人となった。それは《ファミリー》を騒然とさせた。跡継ぎとして育てられてきた彼の復帰を望む声もあるが、一方で《ファミリー》を捨てた彼を非難する声もある。裏社会には暗黙のおきてが存在するものの、幹部の八割は彼の復帰を望んでいる。幼い頃から才能にあふれ、《ファミリー》の頂点にたったあかつきには、いずれ他の勢力を完全に掃討して《ファミリー》による完全な裏社会の支配を可能にするかもしれない、とまで言われていたのだ。

「そう。だが、跡継ぎだったのは過去の話。別に私に敬礼する必要なんぞない」
 スペーサーはおおげさに肩をすくめて見せた。だが相手はこわばった表情のまま、体を動かすことすらままならない。きている上等のスーツが汗でびっしょり濡れて、顔色は悪くなっている。
「そ、それで、何の御用で――」
 既に組織を抜けた身とはいえ、相手が悪すぎた。下っ端ふぜいならば撃ち殺せば済むのだが、目の前にいる相手は組織のボスの一人息子。しかも将来《ファミリー》を裏世界の支配者の地位にまで引っ張っていくとまで言われていたほどの才能の持ち主。裏切り者や無能者は容赦なく切り捨て、あるいは自らの手で殺害していた彼が《ファミリー》にいたころは、あらゆる幹部が彼の氷のような目を恐れたものだ。そして彼が組織を抜けてもなお、幹部たちは未だに彼を心のどこかで恐れている。
 シーグリスの目を射抜く、氷のような目。
「用? ああ、そうだったな」
 ふいにその視線が別の場所へ移る。シーグリスはほっと息をはいた。
「六時間後に倉庫の一斉検査が行われる。『積荷』を今すぐに移せ」
 どよめきが走った。
「な、なんだって?!」
「一斉検査!? い、一体どうしてばれた?!」
 下っ端たちのどよめきはすぐに消された。
「急げ! 『積荷』を全て本部に輸送するんだ!」
 シーグリスの半ば裏返った声が命令を飛ばす。下っ端たちはしばし戸惑いを見せたが、すぐに命令に従った。
「なぜ、そんなことを教えるのですか? あ、あなたはもう、我々とは――」
「……《ファミリー》には表に出てもらいたくないんでね。それに――」
 つかつかと歩みより、スペーサーは相手の胸倉を掴んだ。
「これほどまでに簡単にお前たちの居場所を警察に知られるとは、《ファミリー》の幹部の名も地に落ちたな。組織の昔の方針を忘れるほど耄碌したか、あ?」
「そ、そんなことはっ……!」
 幹部の顔から一気に血の気が引き、声が裏返った。スペーサーはしばらく相手をにらみつけたが、やがて手を放した。
「東の地区に、Eライン沿いの脱出経路が一時的に開いている」
「わ、わかりました……!」
「ああ、それと」
 シーグリスが振り返ると、スペーサーは肩越しに、氷のようなまなざしを向けた。そして、彼がまだ組織にいたとき、よく口にしていた言葉を投げつけた。
「次にヘマをしたら、貴様の命はないと思え」

 六時間後、警察が雪崩を打って倉庫へ飛び込んだが、そこはすでにもぬけの殻だった。

「麻薬取引所がもぬけの殻だったんですってー」
《危険始末人》の基地に届いたニュース。基地に設けられた小さな休憩室で、ヨランダはほかの《危険始末人》とこのニュースについて喋っている。
「警察の目をかいくぐって脱出したみたいだけど、ほんのわずかな時間で追跡不可能な場所へ逃げたみたいよ?」
「あの警察の目をかいくぐる? そいつはすげえなあ。あの地域の警察は麻薬取り締まりのエリートだぞ? 奴らにかかったら大抵の連中は全部とっつかまるっていうのに」
 皆が話している間、スペーサーは依頼の書類を整頓し続けている。処理の終わった書類の山を別の棚に放り込み、次の書類にペンを走らせる。
(逃げおおせたか。少しはマシな指揮を執ってくれたということか。しかし、幹部補佐の中でも慎重さに欠ける奴だったからな、幹部になったのに相変わらずバカをやってくれる)
 倉庫に置かれていた麻薬は全て運び出され、警察の手がのびる前に安全な場所へと移された。《ファミリー》の連中がそれからどうしたかは、スペーサーの関知するところではない。
(麻薬取り締まり連中のトップを走る警察の目もかいくぐれない奴が幹部に昇進するとはなあ。地位にうかれてボケたか、あの間抜け)

「全ての『積荷』は無事に捌けたようだな」
《ファミリー》のボスは、報告書を読みながら、別の手に小さな紙を持っている。
「まさか息子が手助けをしてくれるとはな。しかしシーグリスも間抜けなところがある。当地の警察の情報を掴みきれていなかったのだから。今回は助かったが、次は――」
 二枚の紙をデスクの上に放り投げる。
「奴の首をとらなくてはな」
 小さな紙には、きれいなペン字で、短い言葉が書かれていた。

『光ある大地への跳躍』