たんぽぽ



 たんぽぽの原。
 ヨランダは目の前に広がる広大な原に、思わず目を奪われていた。
「きれいね……」
 目の前に広がる、広大なたんぽぽの原。
「まさかこの星にこんなにたくさんのたんぽぽが咲いているなんて思いもしなかったわ」
 土のあまり豊かではないこの星に、見渡す限りのたんぽぽの原があるとは。
 最近になって活動を活発化した、自然環境拡大委員会により、たんぽぽ運動なるものがこの星で行われて数ヶ月。気候は年中春なのだが、土壌がよくないため植物があまり育たない星。ここで行われたたんぽぽ運動は成功したと見てよいだろう。一面に咲いたたんぽぽは、とても綺麗だった。薄い紫の空にはあまり似つかわしくないが。
「馬鹿なことをやっている暇人もいるもんだな」
 隣で、スペーサーが水を差す。
「この星にはこの星なりの環境が形成され、生態系も環境に耐えられるように進化を繰り返してきたというのに。地球の植物を植えてどうする。これこそが外来種による生態系の破壊だと気づかないとは、おめでたい頭の連中だ」
「そんな事言わないでよ、もう」
 ヨランダはふくれっ面になる。
「委員会のトップから目をつけられるわよ?」
「それなら大丈夫。手ならいくらでも打てるとも」
 スペーサーは、自分の制服から一枚の赤いカードを取り出す。
「委員会の主要な連中の依頼をいくつも受けているし、その依頼はみんな、他者にはとても暴露できないものを探してくれと言うもの。知られたらそれこそ、権威の失墜、あるいはそれ以上のダメージになるものばかり。こちらで切れるカードは山ほどある」
「怖いわね……」

 たんぽぽの原の果てに、雑草の群れが生えている。除草してくれという依頼。
「除草くらい自分達でやれば良いのに」
 文句を言いつつ、行ってみた、雑草の群れ。
 絶句する二人。
 何と、たんぽぽの苗を食べ過ぎた食虫植物が、生えていた。
「確かに草だが、これは……」
 青ざめたスペーサーは、目の前の、体長三メートルにも達するであろう、血のように真っ赤なバラの群れを見つめた。
「食虫直物と言うのは聞いたことあるけど、これはちょっと……」
 血のように真っ赤な花びらを見つめ、ヨランダは思わず息を呑む。
 どうやら、たんぽぽ運動によって植えられてきた苗を、食事代わりにしていたようだ。虫を待つよりも、たんぽぽの苗がたくさん手に入るためだろうか。それに、この星ではたんぽぽの放つ香りが、この星の昆虫の放つ香りと同じ。虫と間違えて食べた可能性もある。
「なるほど、委員会の馬鹿がバラを植えて配合をはかったんだな。大人しくさせるつもりだったが見事に失敗して手に負えなくなり、除草ならぬ駆除の依頼というわけか」
 スペーサーのイラついた声に応えるかのように、外見はバラそっくりの食虫植物は、長いつるを伸ばし、手近なたんぽぽをちぎって、バラそっくりの花弁へ押し込む。なんと、花弁の下に、消化液の出る口らしき場所がある! 吐き気を催すような消化液の臭いがあたりに漂った。
「たんぽぽを食べるだけなら害はないわよね?」
 ヨランダは、育ちすぎた食虫植物を見ながら、スペーサーに問う。
「ああ、食べるだけなら、別に害はないとも。しかし、このたんぽぽ運動とやらの馬鹿げた活動のために餌が大量に供給されてしまっているからな、このままだと数を増やし続ける一方だろう。これがまさしく生態系の破壊だ。たんぽぽが植えられ続ける限り、この食虫植物は増える。たんぽぽを食い尽くせば数は減るだろうが……」
「駆除すべき?」
 こっくりと頷いた。

 食虫植物は、身の危険を感じた瞬間、消化液をあたり一面吐き散らして攻撃を開始した。消化液は強酸で、うかつに近づけなかったが、消化液の届かない遠距離から撃てば何の問題も無く倒す事ができた。
 最後の食虫植物を撃ち、焼き払った後、これから時間をかけて成長するであろう小さな苗だけは残して、二人は地元の委員会に報告しに行った。

 食虫植物の除草ならぬ駆除を終えた数ヵ月後の事。また自然環境拡大委員会から依頼が入った。
「また除草だって」
 ヨランダは、依頼内容の暗号文を解読し、溜息をついた。
「あんな星、二度と行きたくはないんだが」
 スペーサーは愚痴をこぼした。
「依頼とあらば、行くしかあるまい」

 一面に広がった、たんぽぽの原。
 委員会の依頼は一言だけ。
「たんぽぽを、全部除草して欲しい」
 植えられたたんぽぽが、この星のほかの植物を駆逐し始めたのだ。目の前一面に広がる、たんぽぽの原。二人の覚えている限りでは、たんぽぽの原はこんなに広くは無かった。たんぽぽの原の隅に他の植物が生えていた。だが今は、完全にたんぽぽに覆い隠されている。
「悪循環のお出ましか。いらぬものを駆除したら、次のものがいらなくなる。前回は食虫植物、今回は自分の手で植えたたんぽぽか。……自分達が何をやっていたのかわかったか、あるいは単に理想とかけ離れすぎてどうしようもならなくなったか。いずれにせよ、この原のたんぽぽを全て取り除いたところで、破壊された生態系が完全に復元される可能性はゼロに近いな」
 スペーサーは、目の前の黄色い原っぱを、不機嫌に見渡した。
「もったいないわねえ。ここまで増えたのに」
 ヨランダはどこか残念そうな顔になる。
「でも、除草しなくちゃいけないのよね」
「そうだ」
 二人が除草に取り掛かろうとしたところで、これから更に伸びるであろう食虫植物を見つけた。前回、駆除を頼まれたものの生き残り。地道にたんぽぽを食べていたらしく、すくすくと育っている。
「ふむ。こいつに賭けてみるか。時間はかかるかもしれないが、我々が手を下すよりはずっと安全だろうし」
 食虫植物を見つめ、スペーサーは呟いた。

 その後、委員会からの依頼は来なかった。
 不思議に思ったヨランダは、スペーサーに問うた。
「あの食虫植物を何に使ったの」
「何って、たんぽぽの除草に使ったに決まっているだろうが」
 何を今更と言いたそうな顔で、スペーサーは処理中の書類からヨランダに言葉を返す。
「あの食虫植物はすでにたんぽぽを餌として摂取するように自身の体を作り変えていた。そしてあの植物は既に受粉の時期を終えて、種を作っていたからな。種を取って、たんぽぽの原の所々に蒔いておいただけの事。今頃、大きく育って、周囲のたんぽぽを食べているだろうな」
「で、たんぽぽがなくなったら?」
「もちろん、食料が得られなければ枯れていくだけ。たんぽぽがだいぶ減る頃には、あの食虫植物の数も減っているはず」
「そんなことしていいの? 委員会からよく苦情がこないわね。委員会に報告に行ったとき、上の人が何だか怒ってたみたいだけど」
「君の言う『そんなこと』が何を指すかはわからんが――」
 処理を終えた書類を片付け、スペーサーは立ち上がった。
「私は、あんな、利権と自己満足の塊どもが大嫌いなもんでね。それに、もう手は打ったからな」

 後日、自然環境拡大委員会の幹部が総出で、収賄および寄付金横領による逮捕というニュースが紙面を騒がせたのだった。