貫徹考案



 スペーサーは、自分の顎が外れるほど口を大きく開けていたらしかった。
 なぜって、おりいってアーネストが頼みごとをしてきたからだ。
 しかも、夜の九時を過ぎた頃に。
「何か一つレシピを考えてくれってえ?」
 不器用の頂点を目指せるようなこの男に対し、スペーサーは諦めの気持ちを抱いている。毎度毎度、包丁を持たせれば五分もしないうちに手に怪我をしているのだから。それが急に料理のレシピを考えてくれと言い出してきた。驚かないはずがなかろう。
「君でも作れそうなもの? レトルトのものくらいだろ……」
「だあーっ、そんなんじゃなくて、自分の手で作るマトモなやつだよ! どんなもんでもいいから!」
「マトモなもの、ねえ……」
 スペーサーはデスクに頬杖をつく。
「すぐには考えつかん」

 ノートのページを一枚破り、スペーサーは思いつける限りの料理を書き出していた。思いつくまでずっと待つと言ったアーネストは、すでにベッドに大の字になって寝てしまっている。大抵、彼は十時には寝ているのだ。今は、もう時計の針が十一時を回っている。
「人のベッドでいい気なもんだ、全く」
 スペーサーは愚痴をこぼしながら、十ほど書いた料理を見る。包丁を使う必要のない料理といえば代表的なものがサラダだが、アーネストがそれで納得するとは思えない。一体何の目的でスペーサーに料理のレシピを考えろといったのかは謎だが。スペーサーは、破ったノートをまた上から下まで見る。アーネストの調理の下手さ加減は底を知らぬほど。包丁を使わせれば短時間で怪我をする、火を使わせれば火加減の強弱ができない、水や粉を正確に測らずに注ぐ……。
(目玉焼き一つ満足に作れない奴が料理とは……)
 リストを見れば見るほど、スペーサーは頭痛がしてきた。
 小腹がすいたので、コーヒーを飲むついでに何か軽いものでも作ろうかと思い、階下へ降りる。
 やかんに水を入れて火にかけた後、彼は冷蔵庫の中をじっと見つめた。夕飯の残り物はない。残ったためしなどない。あるのは少々の果物と野菜、卵くらいなもの。
 卵を一つ取り出す。片手で卵を割りつつ、もう一方の空いた手を調味料の棚へ伸ばす。てきぱきと調味料をボウルへ入れ、別の片手で泡だて器を使ってかき混ぜる。口笛を吹きながらフライパンでそれを焼く。少し形をととのえた後、フライ返しを使わず、ひょいと空中に投げるようにしてひっくり返す。何度か繰り返すと、オムレツの出来上がり。ちょうどやかんの湯も沸いたので、火を止める。
 食べている間、考えていた。
(複雑に考える必要はないはずだ。炒めて煮て焼けばそれで出来上がるから。もっと単純なはずだ。レシピを考えようとするから難しくなりすぎる。もっと単純に、簡単に――)
 そこで、ひらめいた。
「そうか、あの手があるぞ!」
 勢いよく椅子から立ち上がった拍子に、コーヒーの入ったマグカップを倒してしまった。

 翌朝。
 スペーサーのベッドで眠ったままであったアーネストは、ベッドから落とされて、叩き起こされた。頭をゴンと打ち、痛みで眼が覚める。そして、寝ぼけ眼で周りを見る。
「あれ、なんで俺ここに……」
「人の部屋で勝手に寝たんだろうが!」
 スペーサーは開口一番、アーネストを怒鳴りつけた。
「ところで昨夜のことだが――」
「昨日の夜? あ? 俺何かした?」
 直後、アーネストは強烈な平手打ちを食らう羽目になった。
「何で朝からひっぱたきやがるんだ、てめえ!」
「単に目を覚まさせてやっただけの事。それより昨夜のこと、思い出せたか?」
 殺意すら感じさせるスペーサーの剣幕に負け、アーネストは必死で昨夜の記憶をたどる。そして、やっと思い出すことが出来たようだった。本気で怒ったスペーサーの暴挙が平手打ちだけではない事を、アーネストは一番よく知っているからだ。普段から感情的ではない分、怒りを爆発させたときの恐ろしさとそのねちっこさは尋常ではない。
「で、出来たのか?」
「ああ、誰でも確実に作ることの出来る料理が、ひらめいたぞ」

 キッチン。
「なんだこりゃ」
 アーネストは、目の前に出されたものを見て、顎が外れるほど口を大きく開ける。
「何って、見れば分かるだろう。誰でも、どんな不器用な奴でもできる料理――」
 スペーサーは言った。
「猫まんま」
 その通り。どんぶりの中の飯に鰹節をふりかけて、上から醤油をたらしたものだ。
「あのな、いくら何でも猫まんまはねえだろ。俺が作りたいと――」
「どんな料理でもいいから考えろといったのは、君だ。今更文句があるとでも?」
 遮るようなスペーサーの言葉に、アーネストは反論できなかった。反論すればその数倍の言葉で、ぐうの音も出ないほどにまで叩きのめされることが目に見えていたから。

 ヨランダは大笑いした。
「あははははは、あんたらしいわねーっ! 猫まんまなんて!」
「笑うんじゃねえよ!」
 アーネストは顔を真っ赤にしながら、ヨランダを怒鳴りつけた。ヨランダはその怒鳴り声に屈した様子もない。
「それにしても、あんたにぴったりな料理考えたわね、彼は。賭けはアタシの勝ちね。彼があんたにぴったりな料理を考え付くことが出来たんだから」
「俺にぴったりだってのかあ? 俺は認めねえぞ!」
「だって、あんたは包丁持っても火を使わせても粉をはからせてもダメじゃないの。猫まんまくらいがちょうどいいのよ、あははは」
 その会話を、廊下でスペーサーが立ち聞きしていた。
「ほ〜お」

 その日から一週間、三食全てが猫まんまになったのは、至極当然のこと……。