入梅
ここ一週間、雨が降り続いている。
理由は簡単。入梅だ。
「しけっぽいのは嫌いなんだよな。何かむらむらしてくる」
アーネストは、ぶつぶつ言った。根っからの汗っかきなのか、服がすぐ濡れる。
「明日は一時的に雨が止むんだって」
天気予報を見ていたヨランダが言う。しかしアーネストの表情は晴れない。
「どうせすぐ雨なんだろ」
「もちろんね。乾燥機を修理に出しておいて正解だったわね」
入梅の数日前、乾燥機が壊れたので、一旦修理に出したのである。一日後に修理後の乾燥機が戻ってきた。あのまま修理に出すのを伸ばしていたら、今頃洗濯物はたまる一方で、ほとんど乾かない状態だっただろう。もっとも、一部の洗濯物は乾燥機にかけることが出来ないのが悩みの種なのだが。
夕方近くになって、やっと雨の勢いが弱まり始める。それでも、季節の変わり目もあって蒸し暑さが増している。
「エアコンをかけているのに、なかなか乾かないから困る」
じめじめした蒸し暑さとは対照的に、乾燥したような暑さの部屋で、スペーサーは愚痴をこぼす。
自室のエアコンをドライに設定し、そこに自分の着るワイシャツを干しているのだが、なかなか乾いてくれないのだ。白衣と違って、こればかりは乾燥機にかけられない。すでに部屋の半分が、ワイシャツの暖簾で占領されている。実際、彼の部屋には大量の本がぎっしりと棚に詰まっているため、湿ったものは持ち込みたくないのだが、自室以外にワイシャツを干せる場所がないのだ。廊下に干すわけにも行かない。
「明日が週末でよかった。一晩つけっぱなしにすれば乾いてくれるかな」
電気代がもったいないが、四の五の言っていられない。
「スチームでアイロンをかけても、どうせ湿気てヨレてしまう。ドライでかけるか」
エアコンからの風をうけて、そよそよとワイシャツの暖簾がゆれた。
「よー、ちょいと」
ドアをノックもなしに開け、アーネストが入ってくる。同時に、
「なんだよこれ!」
干してあるワイシャツの暖簾に驚かされる始末。
「入るときにはノックしろといつも言っているだろうが! それと、干してある洗濯物を落とすんじゃない!」
作成中の原稿から顔を上げ、スペーサーは振り向いてアーネストに言う。しかし当の本人は涼しい顔。
「おせーよ」
長身のアーネストは、すでにワイシャツのいくつかを床に落としたあとだった。通行の邪魔だからと手で払った際に、ワイシャツを干してあるハンガーを落としたようだ。
「全く頭が痛くなる。それで何か用か?」
床に落ちた乾きかけのワイシャツをすばやく拾い集め、スペーサーはアーネストに問うた。アーネストは頭をかいていたが、言った。
「洗濯物が乾燥機に入りきらないから、そこに干させてくれってさ」
「はあ?」
スペーサーが呆れたのも無理ないことだった。乾燥機は確かにたくさんの洗濯物をつめることが出来るが、限界はある。その限界を拡大するためには、どこかほかの場所に、入りきらない洗濯物を干すしかないのだ。
「だからと言って、なぜ私の部屋に!」
不満たらたらのスペーサーに、ヨランダが言う。
「しょうがないもん。どうせ部屋をとんでもなくドライにしてるんだから、ついでよついで」
「その『ついで』でひとの部屋を洗濯干し場にされては困るんだ!」
「アタシは困らないけど?」
「困るのは私だ!」
廊下に干せば邪魔、洗濯干し場は雨に降られ続け、リビングは天井が高いので干す場所がないというのだ。
「それなら、リビングにロープを渡して、臨時の干し場にすればいいだろうが」
部屋の中が次々と洗濯物で占められていく。干し続けるヨランダに、スペーサーは呆れたような声をかける。しかしヨランダは首を振る。
「だって、あそこに干したらお客様が来たとき、困るでしょ」
言えなくはないのだが……。
「大丈夫だって、乾燥したら、撤去するから」
ヨランダは笑っているが、スペーサーには笑い事では済まされない。乾いた端から洗濯物が取り込まれていく。そしてその空いたスペースにまた新しく洗濯物が干されることになるのだ。
「大丈夫大丈夫、梅雨が終わるまでの我慢だから」
「それまで私の部屋を臨時の干し場にするとでも?!」
「他に方法がないもの。大丈夫大丈夫、そんなに、干す量は多くないから」
よくない。
梅雨が終わるまで待たなくてはいけないわけか……。
スペーサーはしばらく考えて、
「よし、承知した。その代わりこの条件を受け入れてもらおうか?」
「なあに?」
「なんでリビングに本持ってくるのよ!」
「ここしか置き場がないからな。湿った部屋に本を置いたら痛んでしまう」
スペーサーは涼しい顔で、主要な文献をリビングの隅にある小型の書棚の中へと引越しさせている。この書棚は主に雑誌を入れておくための場所だ。雑誌類は既に片付けられている。
「ああもう、今週発売された雑誌が読めないじゃないの……」
「私の部屋を臨時の干し場にしてやったんだ。これくらいの条件はのんでもらわなくてはな」
「そんなあ〜」
ヨランダは脱力した。自室には雑誌用の書棚を置いていないので、いつも雑誌はリビングで読んでいるのだ。それが今は、彼女の理解できない分厚い文献に書棚を占領され、肝心の雑誌はどこかへ片付けられてしまっている。
「安心しろ。梅雨が終わるまでだから」
「それまでこの状態ってこと?」
「そんなに量は多くないつもりだがね」
「十分多いわよ! ああーん、アタシの雑誌が〜」
梅雨はまだまだ、始まったばかりだ。