梅雨の時期は



「もう梅雨になっちゃうじゃないの、時間が経つのって早いわね!」
 ヨランダはぐちぐち言いながら、テレビを消して、窓の外を見る。ああ、確かに外は曇り空。いつ雨が降ってきてもおかしくないではないか。
「夏にはいると気温も上がって蒸し暑くなるし、しかも! 汗だくでベチョベチョになってすごく気持ち悪くなるし! ええ、梅雨が大切だってことはわかるわよ、でも夜の間だけ雨がざんざか降ってくれていたらありがたいのよ、アタシとしては!」
 ざかざか廊下を歩いて、物干し場を見る。
「今日は干すのやめとこーっと」
 そうしろと肯定するかのように、湿気を含んだ風が彼女の顔を撫でていったので、ヨランダは洗濯機から洗濯ものを取り出すと、乾燥機の中へ突っ込んだ。

「ああ、もう梅雨か……」
 書きかけの原稿用紙から顔をあげ、スペーサーはうめいた。原稿用紙が空気中の余計な水分を吸いこんで紙面が必要以上に柔らかくなってきたのだ。
 万年筆にインクを補充しながら、後で原稿用紙をドライヤーで乾燥させようかと悩む。毎年この時期に悩まされるのが、原稿用紙の湿気なのだ。紙が柔らかくなりすぎると、万年筆が紙面を走りにくくなってしまう。
「一枚ずつかわかすのは面倒だが、かといって、エアコンでドライに設定すると私の方が喉をいためてしまう。どうしたものかな」
 ぶつぶつ言いながら万年筆を原稿用紙に走らせたが、早くも万年筆が紙面を深くひっかいて、文章をまるごと一つ書き損じる羽目になった。

「ふーん。もう梅雨か」
 アーネストは窓の外を眺め、煙草を一服吸いこんだ。空は曇りで、まだ雨は降っていないのだが、鼻をつく雨のニオイで、そろそろ降り始めるだろうことは分かる。
「ジメジメしてイヤな時期なんだよなあ。さっさとカラリと晴れてくれねーかな」
 長ければ半月、短ければ二週間程度。雨の多い日が続く。夏だから汗をかくのは当たり前だが、すっきりできる汗かきではなくべったりしたものになるため、アーネストはこの時期が嫌いだった。
 その上に、だ。
「買い物のとき山ほど荷物持たされるのはいつものことだけど、毎回俺ばっかり傘なしで車まで行かなきゃならねーってのは、正直納得いかねぇ」
 彼の愚痴は煙と一緒に換気扇の中へと吸い込まれていった。

 梅雨入りして間もなく、雨が降り出した。さらさらと降るか、バケツをひっくり返したような豪雨が降るかはその日次第であったが、暑さもあって不快指数はあっというまに急上昇。こんな日には家にこもっているのが一番だけれど、日常の仕事や買い物があるからそうはいかない。
「あー、ありがとねー」
 適度にクーラーのきいたリビングで、ソファに腰をおろしていたヨランダは笑顔で手を振った。いっぽう、リビングに入ってきた方は苛立ちと疲れで不機嫌そう。なにしろスペーサーとアーネストが、夕方の買い物に出かけていたのである。スペーサーは、今日は大学の会議が早めに終わったので雨がひどくなるより早く大学を出ることができた。しかし、帰ったら帰ったで、アーネストを連れて食料と日用品の買い出しに出かけさせられる羽目になった。ヨランダは一週間分の食料まとめ買いをさせたのだが、住人のひとりが大食漢であるため、持ち帰る荷物の量は普段よりもずっと多かった。
「夕方の、しかも雨で道が混雑している時に買い物とは――」
「あら、夕方の雨の日こそ、食材が安くなるお得な時間帯なのよ。そのときこそ買い時!」
「買い時と分かってるならお前が行けよ!」
「アタシひとりでそんな大量の荷物を持って帰れるわけがないじゃないの。女の細うでを馬鹿にしないで頂戴」
「バカにするもナニも、非力を自慢にするくせにビンタだけはすげー威力持ってんだろうがよ、お前の場合は」
「……夕飯抜きにするわよ? ただでさえアンタいっちばんたくさん食べるんだから」
「ぐ、弱い所ついてきやがる……」
 アーネストが黙ったところで、ヨランダはソファからすっくと立ち上がる。
「と行きたいところだけどー、今日は勘弁してあげるわね」
「ラッキー!」
「だから、今日はあんたが夕飯つくりなさいよ」
 予想だにしなかった言葉に、アーネストの目が点になる。それまで黙っていたスペーサーの顔が一気に青ざめる。
「よ、ヨランダ。アーネストに料理ができるとでも――」
「出来るわけないことぐらい知ってるけど。夕飯抜きは嫌だ、ってアーネストが言うんだもの。だったらアタシの代わりに作ってくれなくちゃ」
 めちゃくちゃな理論を返され、スペーサーは二の句を継げない。アーネストはしばらく黙った末、頭を掻いた。
「わかったよ、やればいいんだろ、やれば! その代わり」
 スペーサーの襟首を引っ掴む。
「お前も作れ」
「は? 何故私が? 君が任されたのだから君が全部作ればいいだろう!」
「俺、作れねーもん。だからお前がメインで、俺はその手伝いな」
「何を馬鹿なことを言っている! 君がやれと言われたのだから当然君がそれを担当すべきだ!」
 男ふたりの言い争いが始まったところで、ヨランダが強引にふたりの間に割って入った。
「どっちでもいいから、さっさと作りなさいよ。おなかぺこぺこなんだからさ」

 梅雨の時期になるとささいないさかいが増えるのであった。