週末



「それで?」
 書きかけの原稿に万年筆を走らせ続けたまま、振り向きもせず、スペーサーは冷たく言った。
「それでって……おまいには情けってモンがねえのかよ!」
 アーネストは思わず、スペーサーの肩をがしっと掴む。その拍子に万年筆が原稿用紙を走り、まだ何もかかれていない箇所に無意味な線を一本引かせてしまった。
「何するんだ! せっかく締め切りに間に合いそうな原稿が――」
 思わずスペーサーは怒って振り向いた。が、
「原稿だろーが線香だろーがどうでもいいんだよ! ちょっと来い!」
 アーネストは有無を言わさず、スペーサーをずりずり引きずった。力技では、スペーサーの負けだった。

 事の起こりは三十分前。つまり、週末の夕方四時。週末はいつも朝から、とある出版社に出す小説を綴っているスペーサーだが、今日はそうも行かなかった。
 アーネストが、また厄介ごとを持ち込んでくれたのだ。久しぶりに友人と会ったアーネストが口を滑らせ、「俺は作家と同居してる」と言ってしまった。スペーサーがペンネームを使って小説を書いていることは、外に漏れないようにしていたつもりなのだが……。とにかく彼の友人がその「作家」が誰なのか知りたがったため、連れて来ることになってしまったのである。
「全く、とんだ週末だな」
 スペーサーは、愛車に乗り、文句を言う。アーネストはハンドルを取り、宥める様に言う。
「まあまあ。俺が運転してやっから」
「そういう問題ではない」
 アーネストの友人の家は、車で三十分ほどかかる場所にある。
「でさー」
 信号待ちで一旦停止する。その時、アーネストは口を開く。
「お前、俺のことどう思ってる?」
「大飯喰らいでトラブルメーカーで無神経で腐れ縁の、幼馴染」
「きっつー……」
 にべもなく言い返された言葉に、アーネストはぐさりと胸を痛めた。同居人ではあるが、元々、三人は幼馴染同士なのだ。そうでなければ、自分の家が下宿屋でもないのに赤の他人を自分の家に同居させることは無い。昔の縁があったからこそなのだ。逆に、彼がその気になれば追い出すことも出来るが、彼はそれほど薄情な男ではない。
 しかしながら、三人しか住んでいないのに、かかる食費は六人分。家計を預かっている彼が、エンゲル係数を下げるために小説を執筆しているのも無理からぬこと。作家としての収入を全て食費に当てることで、家計にかかる負担を減らしているのである。
「……って、無神経ってなんだよ!」
「何だ、私が何か間違ったことを言ったのか?」

 さて、アーネストの友人の家に着く。そこはスペーサーの通っている大学から少し離れた所にあった。
 機嫌の悪いスペーサーをひっぱって、アーネストはてくてく歩いた。そして家の呼び鈴を押す。
「よー」
 ドアが開くが早いか、アーネストは声をかける。
「連れてきた」
「おっ、どれどれ……」
 家の中から姿を現した彼の友人は、彼が腕をつかんで逃げられないようにしているスペーサーの姿を見る。スペーサーも同時に、機嫌の悪さを露骨に表明しながら、相手を見る。
「!」
 同時に、二人の目が、皿のごとく大きく見開かれ、
「あーっ」
 二人は同時に声を上げた。

 アーネストの友人は、スペーサーの小説の編集者だった。原稿の打ち合わせのため、たびたび二人は顔をあわせているので、二人とも顔を知っていたというわけ。
 二人を家に通し、編集者は言った。
「で、先生、どうなんです。原稿の進み具合。締め切りは来週の火曜日ですよ?」
「順調に進んではいるけれど、こいつのおかげで無駄な時間を食ったよ」
 スペーサーはアーネストの耳を引っ張った。痛がるアーネストを尻目に、編集者は言う。
「いやあ、まさか、先生とアーニーが同居してるなんて思いませんでしたよ」
「プライベートなことを話すのは、好きじゃない」
 実際、必要以上に情報を相手に与えたり、私生活を干渉されることを、スペーサーはことのほか嫌っている。
「それより、原稿の続きがあるから、もう帰らなくては」
「そうですか。それでは、先生、火曜日までに原稿を送って下さいね。おいおいアーニー、いつまで子供みたいに痛がってるんだよ。もう手は放してもらったろ?」

 帰りは、スペーサーが運転していた。アーネストは助手席で、引っ張られた耳の痛みで機嫌を悪くしている。
「ったく、とんだ週末じゃねえか」
「お互い様だ」
 スペーサーはぴしゃりと言葉を返した。
「余計な時間を使った分、君には手伝いをしてもらうからな」
「は? 何で俺が。やだぞ、そんなの!」
「へー、残念だな。手伝いの報酬の分割払いとして、今夜は特別に君の好物メニューを作ろうかと考えていたんだが?」
「……うぐぐ。わかった、やるよ! やりゃいいんだろっ!」
「そうこなくては」

 さて、帰宅後、確かにアーネストの好物メニューが、珍しくたんまりと出された。アーネストが喜んだのもつかの間、食後すぐにスペーサーの部屋に引っ張られ、小説執筆の手伝いをさせられることになった。失敗原稿の片付けを初めとして、原稿のページ揃え、万年筆のインク補充など、本来ならスペーサー一人でも出来そうな事を、ほぼ全て押し付けられたのである。やっと就寝の許可をもらえたのは、深夜二時を過ぎた頃だった。その頃には原稿もあらかた完成しており、後は執筆者がチェックを入れるだけとなっていた。
 夜中より早く寝る習慣のあるアーネストが目を覚ましたのは、昼前。いつもは朝からスペーサーに叩き起こされるのだが、今日はずっと寝かせていたようだった。眠い目をこすりながら部屋を見渡すと、雑誌で散らかった机の上に何かおいてあるのを見つけた。料理の載せられたトレー。よく見ると、メモが添えてある。
 メモには、癖の無い書体で『手伝いの報酬』としか書いていなかったが、アーネストには何のことか分かっていた。
「ま、たまにはいいか」