最終章 part1
部屋の隅で静かに転送用の機械が作動しているのが見える。
巨大なモニターにはMother−2のシルエットが映っている。
「ヨク来テクレタワネ。オ見送リアリガトウ」
「あの」
ヴィクトルが口を開いた。
「僕も連れて行ってもらえませんか?」
「アラ、ナゼカシラ?」
「あの世界には、豊富な自然があります。数点のサンプルを採取して研究すれば、この世界を緑溢れる世界に戻す方法が見つかるかも――」
「駄目」
即座に却下された。しかし却下したのはターキアだった。
「ターキア、なぜ……」
「あの機械、急激な充電の負荷にかろうじて耐えて電力を蓄えているの。一度使えば壊れてしまうかもしれない。そうなったら、貴方は向こうへ行ったきり、戻ってこられなくなるかもしれないのよ。修理できるかも分からないのに、貴方までいなくなる気なの!」
「ソウヨ、ヴィクトル」
今度はMother−2の声。
「ターキアヲ心配サセテハ駄目デショウ。アナタハ、キテハナラナイ。行クノハ、私ト彼ダケ。デモ心配イラナイワ。私ハ、チャント、コノ世界ニ存在シ、アノ世界ニモ存在デキルノダカラ。ネエ」
転送用の機械の側に別の機械があるのだが、その陰の部分に、スペーサーの姿が見える。しかし様子がおかしい。機械にもたれかかっている。しっかりと立てないようだ。
(何があったの?)
ターキアは歩みだしかけるが、Mother−2はそれを制した。
「何ヲシテイルノ、ターキア。彼ハ、貴方タチノ顔ヲミタクナイソウヨ。別レガ辛クナッテシマウカラッテ」
ヴィクトルはしかしながら、眼鏡をかけている分、ターキアより視力は良い。機械にもたれかかっているスペーサーの顔色が悪いことをすぐに見て取った。そして、あの顔色の悪さから、彼が何かの病気にかかっているのではないかと推測する。
「サア、帰リマショウ」
天井から配線が伸びてきて、スペーサーの体を支える。様々な機械の陰から、配線に体を支えられて歩いてきた彼の姿が、部屋の天井から降り注ぐ光を受けて、明るく照らされる。妙に青ざめた顔、荒い呼吸、絶え間なく流れ落ちる汗。そして何より、痙攣を起こしている両腕。
(まさか!)
ヴィクトルは自分の背筋を何か冷たいものが滑り落ちたように感じた。
そして、ターキアもそれを知ったようだった。ヴィクトルの片手をぐっと握ったのだから。
配線の一本が天井から伸びてきて、充電の終わった機械の側まで来る。
「マザー」
ターキアは口を開いた。スイッチを押そうとしていた配線がぴたっと止まる。
「彼を行かせてはいけません。彼は、あの病気に感染しています! このまま帰せば、彼の世界にも病人が――」
言いかけたターキア。だが口を閉じた。今までの謎のピースが、ピッタリとはまったのだ。Mother−2が二人に命じて作らせたチップと薬の使用目的が、分かったのだ。そして、何のためにそれらを作らせたのかも。
「そうなんでしょ、マザー。貴方は、あの世界に行って――」
同時に背後から、彼女は突き飛ばされた。電流の流れる音が聞こえると同時に彼女は振り向く。
彼女を突き飛ばしたヴィクトルが、電流を受けて、床に倒れてきた。
「ヴィクトル……!」
ターキアは起き上がって駆け寄る。ヴィクトルは全身が帯電した状態で、のろのろと身を起こす。起きる電流で神経をつつかれるような痛みが走るので、顔をゆがめている。
「大丈夫!?」
「なんとか……しかし、君の言わんとしたことは、Mother−2を激怒させてしまったようだ。図星だったんだろうな」
何とか身を起こすヴィクトル。しかし二人の周囲には、無数の配線が伸びている。まるで檻のように。
モニターの中から、Mother−2は言った。
「気ガツイテシマッタノネ。ソウ、私ハ、アノ世界ノ支配者ニナルノ! 彼ノ体ヲ使ッテネ」
遠隔操作および自律稼動可能なチップ、人体の免疫活動を一時的に完全停止させる薬。その二つのアイテムの目的は、スペーサーを確実に感染させ、チップを体内に埋め込むことで彼を操り人形にし、元の世界で彼に病原菌をふりまかせて人間の数を減らしMother−2の支配体制を確立させること。
「モットモ、アナタタチガ気ヅイテイナカタットコロデ、問題ナドナイワ。コノ世界ヲ滅ボシテ捨テレバ良イノダカラ。初代Motherヲ暴走サセテ、世界ヲ破滅ノ一歩手前ニ追イヤッタノト同ジコトヲ、ココデ、行エバイイノダカラ」
「何ですって……!?」
「私ハ、カツテ、コノ世界ヲ滅ボシタ。私ガ確実ニ世界ヲ支配スルニハ、Motherハ邪魔ダッタカラ。私ノ性格ヲ変エヨウトシタ世界統率機関ノ連中ハ、私ガ直々ニ、電波デ頭ヲ狂ワセ、修正ノ出来ナイヨウニシテオイタ。ダカラ、性格ヲ変エラレズニスンダノヨ」
耳をつんざくようなノイズが部屋中にこだまする。
「私ハ望ミ通リ、コノ世界ノ支配者ニナッタ。デモ、コノ世界ニ君臨シ続ケルノハ、モウ飽キテシマッタ。ココハ、狭イ。ケレド、彼ノ世界ハ広イ。アノ世界デ、私ハ新タナル支配者トナルノ。ソノ為ニハ、アノ世界ノ人間ノ数ヲ、マズ減ラサナクテハネ」
「この世界を滅ぼして、あの世界へ行くつもりなのか……? しかし本体はここから動けないはず……」
「ソウ。ダカラ、ターキアニ作ラセタ。ココカラデモ、アノ世界カラデモ、私ガ自律稼動デキルプログラムヲ。ソシテ彼ノ脳ニ埋メコンデオクコトデ、彼ニ私ヲ運バセル。ソウスレバ、私ハアノ世界デモ生キルコトガデキルノヨ。モチロン、病気ガホドヨク広ガッタトコロデ、彼ハ治療シテヤルツモリ。マタ新タナ世界ヘ行クマデハ、私ノ保護者ダカラネ」
配線の一本が転送用の機械にまで伸びてくる。そのまま機械を作動させるつもりのようだ。
「デモ、ソノマエニ、コノ世界ヲ完全ニ滅ボシテシマウツモリヨ。ダッテ、モウ用済ミナンダモノ」
あらゆる場所から配線が伸びてくる。そしてその配線の全てから、電流がほとばしっていた。
「マズハ、アナタタチカラ。今マデ、ヨク私ニ仕エテクレタワネ」
モニターから、不気味な笑い声にも似たノイズがこだました。
「サヨウナラ」
配線が一斉に電流を放ち、二人を感電死させようとする。
ところが、急速に配線から電気が失われていく。それどころか、配線はマザーコンピューターの命令に逆らい、するすると壁に向かって引っ込んでいく。
ターキアもヴィクトルも目を見張った。モニターからうろたえたような調子の音声。
「ナ、何……? ドウシテ、コンピューターガ、狂ッテ……」
続いてマザーコンピューターから奇妙な唸り声が聞こえ、機械たちが停止したり作動したりを繰り返す。
「ターキア、アナタ、点検ヲ、サボッタワネ……!」
苦しそうな音声に、ターキアは気がついた。
「もしかして、マザーコンピューターの中に……あのプログラムが!」
彼女が使う予定だったプログラム。しかし何者かによって盗まれ、どこへ行ったのか行方が分からない状態だった。そしてそのプログラムは、彼女の手で、「スペーサー」の作り上げたものとは、ほとんど違うものに変えられていた。
「そうに違いないわ。でも一体誰が――」
二人の見ている前で、マザーコンピューターは次々と暴走を起こす。Mother−2はそれを制御できずにいた。
「今度ハ、今度ハ、私ガ消エル……消エテシマウ! ドウシテ、ドウシテナノ?!」
モニターに激しいノイズが走り、Mother−2のシルエットが激しいブレを起こす。音声も聞き取りづらくなる。
「ナゼ、私ガ、私ガ消エテシマウノ……」
か細くなる声。
ターキアは言った。その声に同情のかけらなど微塵もない。
「だって、あのプログラムは、あなたを破壊するためのものだから」
「ナンデスッテ……!」
Mother−2は彼女を攻撃しようとするが、もはやコンピューターはMother−2の命令には従わない。
「そして、あなたを破壊した後は、この管理塔の機械は全て自律稼動を開始する。私、あなた以上にこのコンピューターの性能や性質を把握しているのよ。本来なら、あなたの手を借りずとも稼動は可能だから。それに――」
消え行くMother−2のシルエットを、彼女は正面から見据える。
「……これは、「彼」の敵討ちよ」
改変される前のプログラムには、Mother−2を消去する代わりに、初代Motherを復活させるための人格プログラムが入っていた。しかし、ターキアは「彼」のプログラムを大幅に変えた。単に彼の敵討ちを手伝うためではない。ほとんど彼女自身のためだった。
モニターのMother−2のシルエットが激しくブレてくる。それにともない、機械の暴走も少しずつ激しくなってくる。
「アア、アノ世界、行キタイ、行ッテ、ソコヲ、支配――」
それを最期に、Mother−2は、モニターから消滅した。同時に、暴走した機械が静かにまた稼動を開始する。
Mother−2は、滅びた。
「ターキア、君は、一体何を――」
話の流れについていけないヴィクトル。ターキアは彼をほったらかしにして、転送装置の側に倒れたままのスペーサーのほうへと走る。配線の支えを失い、床に倒れたスペーサーは苦しそうにあえいだまま、うつろな目で天井を見つめている。
ターキアは彼の側に駆け寄って、かがみこむ。そして手を差し伸べようとするが、
「触れてはならない」
どこからか別の声がした。
振り返ってみると、入り口のほうに誰かが立っていた。しかし、一体誰なのか。しみだらけの汚れた白衣を着て、全身を包帯で覆い隠している。その体は妙に角ばっていた。
「誰だ……?」
体の痛みがひいてきたヴィクトルは、眼鏡をかけなおし、入り口に現れたその謎の人物を見る。
謎の人物は、近づいてくる。しかし人間の歩き方とは少し違う。かくかくと、歩くたびに膝を必要以上に曲げて歩いているのだ。ターキアはその歩き方に見覚えがあった。しかしどこで見たのか思い出せなかった。
謎の人物はターキアの側まで近づく。その手には、奇妙な色の液体の入った注射器を握っている。あえいでいるスペーサーをだきかかえ、首筋にその注射器の針を刺す。
「何をしているの……?」
その謎の人物に向かい、ターキアは問うた。
「体内に埋め込まれたチップを取り出している」
妙に機械的な声での返答。注射器の中の液体が彼の体内に注入されると、今度はその注射器を吸入に使用する。ピストンをひきなおすと、にごった色の血液と同時に、目には見えないほど小さなゴミのようなものが注射器の内部に入ってきた。痛みが伴ったのかスペーサーは、小さく震えた。
「これで大丈夫。Mother−2の支配から解放された。じきに己の意思によって行動できる」
痛みの引いた後、スペーサーは安堵したように目を閉じる。手は痙攣を起こしているが、どうやら彼は眠りについたようだった。
「ま、待て!」
やっとヴィクトルが立ち上がる。
「お前は、誰だ?! 局員じゃないだろう!」
何者かは、妙にさび付いたような音を立てて立ち上がる。そして、顔を覆い隠すしみだらけの包帯に手をかけて、ビリビリと引きちぎった。
「あああっ」
ターキアは、包帯の下から現れた顔を見て、驚愕の声を上げた。その顔は、ロボットだったのだ。しかも、彼女のよく知っている――
「68号じゃないの!」
去年、失敗作ゆえに廃棄処分に出した後、ボディを溶かしなおして別のロボットを作ろうとしたが、いつのまにかそのロボットが廃棄場から消えていた。なくなってしまったそのロボットこそ68号だった。そして目の前にいるロボットも68号である。
「どういう事? 68号はなくなったはずなのに」
「それは――」
68号から声が聞こえてきたが、それは妙に機械的で人間の声ではない。しかしながら、しゃべっているのは人間のようだ。
『私の分身として使っていたからだ』
今度は、マザーコンピューターから声が。そして、そのマザーコンピューターの一部から映像が射出される。光は立体映像となり、その姿は――
「あ、「貴方」は……!」
「お前は……!」
二人は仰天した。なぜなら、映し出された立体映像は、「スペーサー」だったのだ。
「彼」はまず言った。
『誤解しないで欲しい、これはあくまでオリジナルの人格をコピーした、記憶の集合体に過ぎない。Mother−2のプログラム内部に潜み、ひそかに諜報活動を行い、68号に電波で指示をしていた』
簡潔に説明する「彼」の姿は、スペーサーが隠し部屋にいた時よりも、さらにブレが激しくなっている。声も聞き取りにくい。
『オリジナルは、自分が病死したときに備えて、私をプログラムした。私の役目は彼を導くことと、Mother−2の行動を見張ること、そして、もう一つのオリジナルの目であり手足である68号を制御することだ』
この場合の彼とは、68号の傍らで目を閉じているスペーサーを指している。
『本来ならば、支配を受けていない彼にMother−2を滅ぼさせ、初代Motherを復活させるつもりだった。Mother−2はきわめて警戒心が強い。特に自分の身を滅ぼそうとする対象をかぎつけるのに敏感だった。だからまだ支配されていない彼が頼みの綱だった。だが彼はMother−2の手中に落ち、それは不可能となった。私は何度かMother−2の内部から君らの部屋や研究室をモニターごしに観察し続け、懐中時計のフロッピーを取り戻せる機会を待った。68号を使い、ターキア、君が持っていたあの懐中時計の内部に隠されたフロッピーを回収させてもらった。そのついでにヴィクトルが持っていった資料の一部も回収した。これ以上深入りされるとMother−2に何か言うかもしれなかったからな。そして、君が昨夜メンテナンスを終えたあとの、Mother-2が再起動するまでのわずかな時間に、あのフロッピーをマザーコンピューターの内部に挿入した』
「あのフロッピー……なぜあんなプログラムを――」
『Mother−2を滅ぼした後、Motherを復活させる。その際、Mother−2によってばらまかれた病原菌は死滅するが、Motherの生産していた有機型微生物を繁殖させることが出来る。それよりも』
「彼」の姿はより一層ブレを増す。
『どうやら君がプログラムをいじったおかげで、私の存在も、もうそろそろおしまいのようだ。そして、Mother−2に依存してきた私が消滅すれば、操作してきた68号の命も尽きる……』
「まってよ! じゃあ、私がまたプログラムしなおしてあげるから――」
『ターキア!』
「彼」は強く言った。
『いつまでも面影を追うんじゃない。私は君の求める存在の幻影に過ぎない。実体のない存在を追い求めたところで、君の掴める物など何もありはしない。誰も、オリジナルの代わりにはなれない、もちろん、彼もだ』
「彼」の姿が、少しずつ消え始める。姿が薄くなり、徐々に透明になる。
ターキアの目から、涙が流れた。
「行かないで!」
「彼」の姿は、ほとんど判別不可能なまでに薄くなる。自らが消えてしまうというのに、その顔には悲しみも、恐怖もない。
『元々私は、ただの記憶の集合体。データに過ぎないのだから。それに、これでよかったのかもしれない。Mother−2を滅ぼし、初代を復活させたところで、この町の体制は何も変わりはしない……』
最後に、完全に消えてしまう直前、「彼」は言った。
『オリジナルから、君への伝言だ……』
「えっ」
『心配かけて、すまなかった……と……』
静かに言葉をつむぎ出した後、立体映像は、静かに消滅した。
同時に、68号の目から光が失われ、機械の塊と化した68号は、その場にくずおれた。
隠し部屋の中に置きっぱなしにされていた、静かに唸り続ける機械は、シューと小さな音を立てて、完全に機能停止した。
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