第2章 part2



 ロボットは、目的地に着くまでに、スペーサーに話をした。随分と長い話ではあったが、要約すると、以下のようになる。

 この世界は、滅びの道をたどっている。
 今から五十年ほど前に起きた、世界統率機関の突然の故障によって。
 この世界は、世界統率機関という、一つの巨大なコンピューターによって管理されていた。天候から生態系にいたるまで全てを管理し続けてきたこのコンピューターの故障によって、それの管理に頼りきってきた世界に深刻な大打撃を与えることとなった。各地で異常気象が多発したのを皮切りに、生態系は狂いだし、環境はほとんど破壊されて緑豊かな土地は失われた。動物、人間、植物は、その九割が死滅。それに追い討ちをかけるように、謎の病が猛威をふるった。人間にしか発病せず、発病すると体が黒ずみ、徐々に腐敗して崩れ、やがては死に至るというものであった。黒死病とはまた違う奇妙な病気。猛威をふるったその病によって、生き延びている人間の数はさらに減り、わずか数年足らずで、世界統率機関のコンピューターが故障する前の総人口の一割未満にまで減少したのである。
 もちろん、人間はただ病にやられ続けたわけではなかった。例え発病しても体が崩れ去る前にと、医療面で様々な研究が開始された。発病の原因たるウィルスの研究から、ウィルスの遺伝子解析、果ては研究途中に開発された試薬やワクチンの投入まで行われた。だが、いずれも空しかった。奇病は治せなかった。それでも、月日が経つうちに病は下火になり始め、感染者は何年かに一度現れるか否かという所に至った。その頃になると、生き残った人間はもう数えるほどしかなかった。そして今から三十年ほど前に、百人ほどしかいない、生き残った者たちは、一つの町を建て直し、かつての世界統率機関に代わる新たな機関・中央局を設立した。そして新しく作った町に移住した。うち捨てられたかつての町は廃墟となり、いつしか立ち入り禁止区域として指定され、中央局の許可なしに訪れる者はいなくなった。

「というわけだ。わかったか?」
「……ああ」
 無機質な声とは不釣合いに陽気に話すロボットの、色々な修飾語のついた長い話を、頭の中で自分なりに簡潔にまとめ、スペーサーは頷いた。
「それで、今の人間達は、どこに住んでいるんだ?」
「あっちだ、あっち。もうじき着くさ」
 ロボットがさしたのは、スペーサーの知っている世界で言うところの、商店街だった。そこだけ明かりがともっているのが、遠くからでも見える。だが、町の外観をよく見ると、薄い膜のようなもので覆われているようである。
「なぜ町が、その、膜みたいなもので覆われているんだ?」
「今の人間達はな、建物を改良して、そこに住んでいるわけだ。ただ、まだ病気が完全になくなったわけじゃないからな、町をバリアーで囲って病原菌をシャットアウトしようってんだ。発病する奴はまだいるから、こんなの気休め程度にしかならんがね。……それくらいは思い出せたかあ?」
「え、あ、いや……」
 彼ははっきりしない返答をしてしまったが、ロボットはさほど気にかけてはいなかったようだ。
 町の中に入る。家の並びは、スペーサーの知っている商店街の町並みそのものだった。その並び方を見て、どの建物がどんな店であったかを言い当てることが出来るほど。休日にはいつも買い物に行かされるんだよなあ、と、ふと思い出した。ただ、いくら似ているとは言えども、完全にそっくりというわけではない。黒ずんだ建物は、薄汚れた光の街灯に照らされている。窓やドアは金属製であり、厳重に閉ざされている。枯れ草が道の所々に生えているが、いずれもちょっと風が吹けば簡単に吹き飛ばされそうなほど儚げに見えた。町の隅からは、汚水の臭いが漂ってくる。
 舗装されていない道を、何人かの人間が歩いているのが見える。スペーサーはロボットの背から身を乗り出すようにして見た。出逢う人間はいずれも白い服を着て、顔すらもフードで覆っている。これから蜂の巣の駆除でもしに行くのか、あるいは緊急の手術でもするのかと思われるような服装に、スペーサーは、元々丸い目を更に丸くした。彼に見られている側の者たちは、彼に目をやったらしいが、いずれもすぐにうつむいたようだった。見られるのを嫌がっているのか。
「ほれ、ついたぞ」
 ロボットが急に停止したので、慣性の法則に馴染んでいた彼の体は、危うく金属板から投げ出されるところだった。
「ついたって、どこに?」
「決まってるじゃないか。お前が誰か調べるために、役場につれてきたんだよ」
 その建物は、彼の知っている世界で言うところの、市役所だった。外見はそっくりなのだが、三階建てであったはずのその建物は、この世界では一階建てになっている。
 ロボットは彼を背に乗せたまま、建物の中へ入る。広々としたロビーの奥に、受付と思しい金属のカウンターがあった。ロボットがそのカウンターへ近づくと、カウンターの向こうから、にょきっと、キノコを思わせる形のロボットが顔を出す。
「役場へようこそ。ご用件は?」
 甲高いが事務的な機械の声が、来訪者に対してお決まりの挨拶をする。ぎょっとした表情のスペーサーを背中に乗せたまま、警備ロボットは言った。
「こいつのIDを調べたいんだ。チェッカーを頼むぜ」
「了解」
 カウンターの上に、赤い色の四角いパネルが出現する。
「このパネルの上に、手を載せてください」
 言われるまま、スペーサーは右手を置いた。手の置かれた場所が明るく光り、カタカタと音がする。
(手のひらからの遺伝子情報か何かで調べているんだな。馬鹿馬鹿しい。私はこの町にきたばかりなんだ。IDなんかあるわけないだろう)
 スペーサーは手を置きっぱなしにしながら考えていた。やがて、結果が出たらしく、チンと音がして、機械の唸りが止まる。
(結果が出たのか。どうせ私の籍など――)
 受付ロボットは、結果を、淡々とした事務的な口調で告げる。
「この方のIDは、中央局員専用IDによって認識されました」
「何だって?!」
 スペーサーと警備ロボットは同時に声を上げた。受付ロボットは口調を変えずに続ける。
「間違いありません。提出済みのID情報をご覧になりますか?」
 受付ロボットは、キノコの石突のような体から、一枚の紙を取り出し、カウンターに広げてみせた。
 その紙の中には、受付ロボットの言葉を裏付けるかのように、様々な情報が載せられ、顔写真までもがあった。名前、出身地、年齢、生年月日、そしてその顔写真こそ、まぎれもなく、スペーサーのそれだった。
 口が利けるようになるまで、ずいぶんかかったらしい。
「お前、中央局員だったのか?」
 警備ロボットが先に口を開いた。
「……」
「局員IDは68か。所属は研究科。つまりお前は、中央局の研究者だったんだな。これは驚いたぜ」
「……」
「どうしたよ? 記憶が戻った嬉しさで、何もいえないのか?」
「違うんだ……」
 またしてもスペーサーは混乱し始めた。この世界に、もう一人の自分がいる。あの日記の筆跡の主、目の前に突きつけられた個人情報の主……。だが彼自身はその『自分』として認識された。つまりこの世界には『自分』が二人いるという事で……。
 何を考えているのか、全く分からなくなった。
「あっ、おいどうしたよ」
 警備ロボットの声が急に遠くなった。
 めまいがおそいかかり、何も分からなくなってしまった。


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