Code:Mother 第3章

第3章 part2



 最悪の食事を終えてトレーを返した後、ターキアはスペーサーを引っ張って、この中央局一周ツアーを開催した。
「中央局ってのはねえ――」
 彼女の話を要約すると以下のようになる。
 中央局は町の行政機関であり、内部に二つの科が存在する。一つは研究科。荒廃した世界を少しでも元に戻すための研究を行うために設立されている。もう一つは技術科。この町を管理するコンピューターの修理や、警備ロボットの開発を行うために設立されている。この二つの科には、かつて五十人もの研究者たちが所属していた。だが奇病によってほとんどの研究者は倒れ、人数の少なくなった技術科を、研究科が統合した。
「今でこそ三人しか残ってないけど、昔、まあ六年くらい前のことだけど、その時は結構人数がいたわ。貴方が研究科へ配属された頃、両方の科の研究が最も進んでいた頃だったわ」
 ターキアは、中央局の入り口付近で左に曲がり、階段を下りる。階段を下りた先に金属のドアがある。ターキアはポケットからIDカードを出し、ドアの差込口に入れる。カードが返されると同時にドアが開いた。
 部屋の中は明かりがついていない。ターキアは入り口の側にあるスイッチを押し、電気をつけた。部屋の中は明るくなるが、光を発する電灯は薄汚れている。そろそろ取り替え時か。
「ここは、中央局の研究者のデータが入ってるの。私のは……これね」
 棚に詰まっているファイルのうち、一冊を抜き出す。サイズはA4で、外見の割りに軽い。というのも、ファイルの表紙が厚い素材で作られているからで、実際、その中身はわずかだったのだ。
「それから貴方のは……あ、これね」
 スペーサーは、渡されたファイルを開いてみる。「彼」の顔写真が、まず目に飛び込んだ。他の項目を見ると、生年月日、年齢、出身地が、彼と一致している。ただ違うのは、その生い立ちから研究科へ配属するまでの道のりであった。「彼」は十五歳のときに両親と死別し、その後独学によって得た生物学及び科学の知識を生かした、浄水器を発明した。その発明がきっかけとして、「彼」は二十歳で中央局に配属されたのである。
「貴方の作った浄水器、今も役に立ってるのよ。あれは試作型だったけど、技術科のみんなで改良を加えた結果、今まで以上に水が飲みやすくなったの。昔の水は、薬の味しかしなかったのよね」
「そうなのか?」
「そうなの。中央局の浄水機能が不十分だったのね。技術科の面々は、そこを何とか改善しようとしていたけれど、全然駄目だった。貴方が浄水器を発明するまでは、大量の薬品を投与しなければ到底飲めもしないような汚水ばかりだったの」
 ターキアは褒めているつもりだろうが、スペーサーは褒められているという気がしなかった。彼女が褒めているのはあくまで「彼」であり、スペーサーではないのだから。

「今度は、部屋の中の機能を教えるわね」
 ターキアの案内はまだ続いた。研究室、地下書庫、器具室と続いて、最後にスペーサーの部屋へと戻ってきたのである。
 まず彼女は、壁に並んでいる四つのボタンを指差す。それぞれ浴室・洗濯場・物置・洗面所とトイレとなっている。ボタンを押すと、壁の向こうでギギギと何かが動くような音が聞こえ、それが終わってから壁のドアを開けると、目当ての機能の部屋が目の前にあるという具合。
「あんまり使われていないけど、ここが物置よ」
 物置のボタンを押してドアを開けると、確かに狭いながらも物置がある。中は暗く、狭い。トイレの個室をやや広くしたくらいの広さだ。
 床の上に、何着かの衣類が落ちている。
「あら」
 ターキアが床に目を落とす。彼女の横から同じ場所へ視線を落としたスペーサーは、彼女が何を見たのか分からない。そして、散らばった衣類を見つける。
「貴方、意外と――」
「あ、あとで片付けるから」
 スペーサーはとっさにごまかす。
「ふーん。まあいいけどね。それより、服はあんまり支給されないから大事にしてね。とりあえず案内は終わったから。先にお昼食べに行くわよん」
 ターキアはポニーテールを揺らしながら、部屋から出て行った。彼女の姿が見えなくなると同時に、スペーサーはほっと息を吐いた。やっと彼女から解放された。ゴーイングマイウェイな彼女に引っ張りまわされ、疲れたのである。
 一息ついた後、物置の中に散らばっている服を片付ける。服の山を抱えて背を向けたとき、カツン、と何かが落ちる音が聞こえた。
「?」
 ふりむき、手探りで音源を探す。物置は薄暗いので、部屋から差し込む明かりを頼りにしなければ何も見えないのである。それでも床を触っていると、手が何かに触れる。素早く手がそれを掴んだ。
 明かりの下へ持ってくる。
「これは――」
 IDカードだった。誰かのカードであることに間違いはない。だが顔写真の部分だけは何かで削り取られている。そしてナンバーも。しかし、角度を変えてよく目を凝らすと、ナンバーの部分が彫られていたと思しい跡がある。指先でなぞってみる。
「……68?」
 反射的に、胸のポケットに入れているIDカードを取り出す。このカードの番号も、68と彫られていた。

(なぜこのカードが、あの物置の中に……?)
 食糧配給所で、一人で食事を取りながら、スペーサーは手の中のIDカードを見つめた。顔写真とナンバーの削られたカード。そして彼が現在所持しているカードのナンバーも同じもの。
(では、これは「私」のものなのか?)
 この世界の「彼」が持っていたであろうカードではないか。スペーサーはそう推測した。しかし現段階ではこれだけしか情報がないのだから、「彼」のものと断定するわけには行かない。
「しかし、これはどうにかならないものか」
 考えながら食べれば不味さも少しは感じずにすむと思ったのだが、そうはいかない。トレーの中には、生煮えのようなパスタに、熱いばかりで味がないスープ、朝に飲んだあの栄養剤と名づけられた飲み物。カードのことを考えながら食べているのだが、不味さは容赦なく舌を刺激してきた。
(ああ、自分で作ったほうが何倍も美味いのに)
 何とか胃に収め、トレーを片付けてから、食糧配給所を出ようとする。ところが、ドアが勝手に開き、その向こうにヴィクトルが立っていた。
「!」
 スペーサーは反射的に後ずさりする。ヴィクトルも相手を見つめたまま体をこわばらせる。
 数秒間、二人は固まっていた。
 ヴィクトルの目とスペーサーの視線が、互いにぶつかる。敵意、憎悪、嫌悪、疑惑、それぞれの感情がぶつかり合った。
 張り詰めた空気が動く。
 先に動いたのはヴィクトルだった。スペーサーの脇を通り過ぎると、壁に設置された機械にIDカードを入れる。スペーサーは緊張の呪縛から解放され、急ぎ足で部屋に戻った。
 あの目で見られるだけで、背筋がぞくっとする。
 部屋に帰ってから、洗濯部屋に入り、乾燥機の中から洗濯物を取り出す。あの物置に入っていた服と、タンスの白衣とをまとめて洗濯したのである。一つ一つ畳んで、埃を払ったタンスにしまいこむ。衣類に触れて気づいたが、彼の着ている服に比べると、圧倒的に質が良くない。触るとわずかにちくちくする。そして、白衣以外の服全てに、異臭がかすかに感じ取れたのだ。
「何の臭いだ? カビでもないし、埃でもない」
 臭いは気になるが、その衣類を着られないわけではないので、彼はそのまま服をタンスに入れた。
 次に、デスクの中を覗いてみる。どの引き出しを開けても、何もない。だが、一番下の大きな引き出しだけは、鍵がかかっていて、開ける事が出来なかった。鍵を探したが、他の引き出しの中にも、デスクの裏にも、タンスの裏にも落ちていなかった。寝台の下を覗いていると、どこからか異臭が漂ってきたのを感じた。かすかに鼻を突く臭い。かいだ覚えがある臭い。
「……?」
 その臭いは、すぐに消えた。
 その後、彼はデスクの引き出しの鍵を探した。だが、どれだけ探しても、どこにも見つからなかった。探すのを諦め、寝台に腰掛けた。
 少し考えてみる。この世界には本物の「彼」が存在しているが、彼は「彼」と勘違いされている。ターキアはこう言っていた、『外部調査をしに出かけたきり、一年間も連絡してくれず、戻らなかった』。つまり「彼」は中央局に連絡もいれず、戻りもしなかったのだ。彼がこの世界に現れた後も、「そいつは偽者だ」と怒鳴り込んでくる「彼」はいない。
 ふと、頭の中に、一冊の日記が浮かび上がった。
「あの日記……」
 この世界に来たときに、廃屋となっていた自宅で見つけた、変色したノート。最後の部分を読んだだけで止めてしまったが、もしあれを「彼」がつづったとするならば、何ゆえにあの錆びだらけのデスクにしまわれていたのだろうか。
 あの日記を読まなければならない。
 なぜか彼はそう感じていた。

「外出したいの? 無理無理」
 ターキアは大げさに首を振った。向かいに座っているスペーサーは彼女の言葉と大げさな身振りに、思わず目を丸くした。
 食糧配給所で夕食を取っている時、たまたま同席したターキアに、彼は、立ち入り禁止区域となっている場所に行きたいと言った。目当てはもちろん、廃屋となっている自宅に落ちているままであろうはずの日記帳。しかしターキアはあっさりと首を振った。
「無理って、どうして?」
「だって貴方、昨夜ここに戻ってきたばかりでしょう。一度立ち入り禁止地区へ外出した後は、数日間そこへ行ってはいけない決まりなの。あの病気の菌を持ち帰っている可能性があるから、医療機械にかけた後で数日休むのよ。だってこれも決まり――」
「決まり決まりというが」
 スペーサーは彼女の言葉を遮る。
「この世界の法律はそんなに厳しいのか? この町に行政府はないはずだが」
 今度はターキアが目を丸くする番だった。
「ギョウセイフ? この町にそんなものないわよ。この町の規則は全て、マザーによって決められているの。それも忘れちゃった?」
「マザー(母親)? 誰かの母親が決めているのか?」
「違う違う。巨大なコンピューターよ。正式名称は、Mother−2といってね、かつての世界統率機関のマザーコンピューターに内蔵された、人格プログラムなの。初代Motherは五十年くらい前に突然故障してしまったの。その後を継いだのが2。私達は普通にマザーって呼ぶけどね。で、この町が建て直された後、マザーはこの町を治めるための法律を細かく決めたの。私達が生まれる前の話だから、これ以上は詳しく知らないけれどね」
「コンピューターが法律を決める? 馬鹿な。なぜ人間が自らの手で法律を作らないんだ。法律は、人間が人間を律するためのものだろう」
「あら、どうしてそんな事を言うのよ?」
 またターキアは目を丸くする。
「この世界はかつて世界統率機関によって管理されていたのよ。法律も全てMotherが定めてくれたの。今更人間が法律なんか作れるはずないじゃないの」
 スペーサーは口があんぐり開くのを感じたほどだった。この世界の人間は、支配される事に慣れきっている。世界統率機関という巨大なコンピューターに管理され続けたこの世界の人間は、自らの力で事を起こそうとは思っていないようだ。全てを機械にゆだね、逆らおうともしない。
「どうしたの、口開けちゃって」
 ターキアに言われ、初めて彼は口を閉じた。

 食後、部屋に帰ったスペーサーは、まずトイレに駆け込む羽目になった。食べなれないものを胃に入れたため、耐えかねた胃袋が拒絶反応を起こしたのである。
 やっと収まった後、部屋に戻る。ドアを閉めたとき、部屋の入り口のノブがガチャリと下ろされ、扉がゆっくりと開く。
 ヴィクトルがいる。
 スペーサーは相手の方向を向いたまま、固まった。
「やあ」
 ヴィクトルが口を開くが、スペーサーは何も言わなかった。ヴィクトルはそれ以上言わぬまま扉を閉め、急につかつかと歩み寄ってきた。
「何者だ?」
 その問いが、スペーサーの背筋をこわばらせる。
「お前は「スペーサー」じゃない。奴の名を騙る偽者だ」
 ヴィクトルはスペーサーの胸倉を引っつかむ。恐るべき腕力で、スペーサーはたやすく相手のほうへ引き寄せられた。
「なぜそう思うのか教えてやろうか。まずは習慣だ。一度身についた習慣が、記憶をなくした程度で変わる事はない。いつも奴は大事なものや小物をズボンのポケットに入れていた。だがお前は、胸のポケットから出し入れしている。そして次に――」
 スペーサーの白衣の胸のポケットに、目をやる。そしてまた相手の顔に視線を戻す。同時にその腕力で、スペーサーを壁に押し付けた。
「懐中時計はどうした? 親の形見だと言って、いつも持ち歩いていた金時計。失くさないように鎖までつけていた。それに――」
 ヴィクトルが続けようとすると、扉が乱暴に開けられる。
「何してるの!」
 ターキアの声だった。彼女は急ぎ足で寄ってきた。ヴィクトルはスペーサーを壁に押し付けたまま、静かに言った。
「君が口を挟むことじゃない」
 そして、手を放す。壁に押し付けられていたスペーサーは、相手の強力から解放されると同時に、せきこんだ。
「話はまだ終わっていないからな」
 ヴィクトルは眼鏡の奥から、スペーサーに、敵意とも憎悪とも受け取れるような突き刺さる視線を向ける。そして彼は、静かに部屋を出て行った。
「大丈夫?」
 咳き込みの収まったスペーサーに、ターキアは声をかける。スペーサーは何とか、大丈夫と答える。
「何を話してたの? というか、脅されてたの?」
 どうやらスペーサーが脅されていたように見えていたらしい。
「なんでもないんだ。それより、何故ここに」
 スペーサーが問い返すと、ターキアはポンと手を叩いた。
「そうそう、マザーが貴方に会いたいそうよ」
 マザー。Mother−2のことか。
 ターキアは有無を言わさず、スペーサーの腕を引っ張った。
「マザーは、この中央局の奥にある管理塔のてっぺんにいるの。結構きまぐれな所があってね、怒ったりすると本当にどうしようもないの。あれでもこの町の管理者で、かつて世界統率機関のメインコンピューターであった、初代Motherの管理プログラムを一部組み込まれているの。でも、性格に問題があるのよね」
 二人は、中央局の最奥にあるエレベーターに乗り、六階まで上がる。そしてエレベーターを降りて、薄暗い廊下を歩いていく。廊下は狭く、二人並んで歩くのがやっとである。天井から光が降ってくるが、その明るさは、周囲の確認をする程度にしか役に立たないほど、弱弱しいものであった。
 廊下の先に、光の漏れるドアが見えた。
「この先は貴方一人で行ってね」
「何故?」
「マザーは、貴方にだけしか会いたくないの。私には会いたくないの。それだけのことよ。だから私が一緒に入ったりしたら、それこそマザーは怒るわよ。だから入ってね」
 ターキアがついていないと多少不安であったが、スペーサーは、促されるまま、思い切って、ドアを開けた。ドアの向こうからは眩しい光が溢れ、目が眩んだ。それが治って目が光に慣れてくると、彼は、ターキアに見送られ、部屋の中へと進んでいった。


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