第6章 part1



 小部屋から出る前、スペーサーは、机の引き出しに入っているものを取り出した。錠剤の入ったシャーレ、鎖のついた懐中時計、鍵。シャーレから錠剤を取り出して飲むと、体中がすっきりとしたような感覚を覚えた。
 小部屋を後にして、研究室に戻る。彼の背後で、書棚は音もなく、閉まった。
 床に落ちたIDカードとペンライトを拾って、彼は部屋に戻った。時計は、朝の五時をさしている。まだ誰も起きていないだろう。全く光のない中を、ペンライトの光を頼りにして、彼は廊下を歩いていった。
 デスクの一番下の引き出しの鍵穴に、あの小部屋から持ってきた鍵を差込んで回す。カチリと音がした。鍵が外れたようだ。引き出しを開けてみるが、やけに重い。渾身の力で引っ張ると、ギギギとさび付いた文句を言いながらも、ようやく開いてくれた。その中には、紙の束が入っていた。
「紙の束?」
 束を取り出してみる。ずしりと重い。かなりたくさんの紙が引き出しの中に入っているようだ。だが、紙を見ても、いずれも何かでこぼこした跡が見られるばかり。文字も何も書かれていない。他に何かないかと引き出しを探ったが、何も見つからなかった。
「この紙の束のどこに、私が帰る方法が? どう見てもただの紙なのに。……待てよ」
 でこぼこした跡をなぞっているうち、彼はちょっと思いついたことを試してみることにした。ペン立てから鉛筆を取り、斜めに持って、色鉛筆で広い範囲を塗る時にやる方法で紙面を走らせる。横倒しになった鉛筆が、紙面を黒く染めていく。
「やはり」
 彼は鉛筆を紙から離す。鉛筆によって塗りつぶされた箇所には、文字が浮き上がっていたのである。
 ペン立ての中に、鉛筆の形をした金属の棒がある。おそらくこれで紙面に書いたのだろう。ただ、彼は筆圧があまり強くない。「彼」もそうだとすれば、鉛筆の塗りつぶしで文字が浮き上がるようにするには、それなりに力を込めて書かなくてはならないだろう。
 彼は、そのまま鉛筆を何度も紙面に走らせ、サカサカと塗りつぶしていく。そして、紙面に浮き上がった文字に、全て目を通す。時間が経っていくのにも気づかず、彼はずっと紙面をにらみつけていた。
 一時間ほどで、彼はその紙面を一枚だけ読み終わった。細かい字がびっしりとつづられているので、読むのに時間がかかる。それでもわかったことは、「彼」の組み立てた、空間をゆがめる理論に一部間違いがあるという事だった。紙面に書かれた文章と計算式から判断して、「彼」は計算方法を一部誤っていたと推測できる。まだ一枚目しか読んでいないが、彼は、この紙面に書かれた計算式を元にして「彼」が理論を組み立てたのではないかと考えた。空間の歪む比率を計算するXの数値が間違っていることが、彼にはすぐ理解できた。元々彼は宇宙空間の伸縮比率について教鞭をとっているし、それが来年の研究会で発表する研究内容なのだから、広大な宇宙の伸縮比率を計算することなど、研究過程では当たり前のことである。
「この空間の比率を変えてやれば、何とかなるかもしれないな」
 紙の束をわきに押しやり、机の引き出しの中を、もっとよく探ってみる。見かけに反してこの引き出しの底が浅いように感じたからである。触れたり、叩いたりしてみると、あげ底の蓋が被せられていることがわかった。さっそく引っ張ると、その下には、ファイルが一冊入っていた。手にとってパラパラとみると、それは、かつての世界統率機関が作成したものであり、Mother−2のプログラミング過程をつづってあった。
 じっくりと読みたいところだったが、時計が六時をさしたのに気づく。
(そういえば、一睡もしていないな……だが)
 時間の確認にともない、眠気が襲ってきた。徹夜作業以外では、彼は晩くとも三時には作業を切り上げて睡眠をとるが、今は、一睡もしていない。もちろん眠気を我慢できないわけではない。
(今はこの書類の解読こそ重要だな)
 欠伸をかみ殺しながら、白紙とファイルを全て引き出しにしまって鍵をかけ、彼は食糧配給所へ歩く。
 ポケットに入れた金の懐中時計。鎖がついている。蓋を覗けば彼の顔が写るほどきれいに磨いてある。時計は、失くさないように鎖までつけていた……ヴィクトルの言っていたことを思い出した。
「しかし、この時計にMother−2を破壊する方法が?」
 蓋を開けてみても、長針と短針と秒針、そしてローマ数字の入った文字盤だけが目に入る。どう見てもただの時計だ。時計の針は、二時五分を指したまま、動いていない。文字盤を外せるのかと、狭い隙間にIDカードの角を突っ込んでみたが、文字盤を覆うプラスチックケースは外れなかった。裏の蓋を開けてもみたが、円形の電池以外に何もない。
 相変わらず薬のように苦い朝食を取っている間、彼は懐中時計を眺めていた。もう動かなくなってしまった、何の変哲もない時計である。これの一体どこに、Mother−2を破壊するためのプログラムが入っているというのか。全く分からなかった。

 食後、部屋に戻らず、地下のファイル保管部屋へと行った。これまでに中央局に所属していた研究員達が、何かMother−2に関する研究をしていたのではないかと半ば期待して。
 IDカードでドアを開け、電気をつけると、まっくらな部屋は明るくなった。
 棚からファイルを片っ端から引っ張り出す。技術科、研究科両方のファイルを見た。技術科所属であったが現在は研究科に所属するターキアは、配属当時は空気清浄機や浄水器のプロトタイプを作っていたようだが、今は警備ロボットの開発を行っていると同時に、Mother−2のメンテナンスも行っているようだ。ヴィクトルは最初から研究科に属しており、彼の研究内容は、枯れた大地に栽培している食物の収穫量を少しでも増やすための遺伝子改造であった。結果として収穫量は増えたが、味はひどいものになったようだ。町の人間達が味の悪ささえ我慢すれば腹を満たせるのは、彼の研究の賜物なのだ。
 他の研究員のファイルを見ていった。大地の荒廃を少しでも食い止めようと有機微生物を作り出す研究、少ない電力で町の明かりをより長く明るく点灯させる研究など、見ていて面白そうなものも多かったが、あいにく誰もMother−2について研究している者はいなかった。「彼」は言わずもがな。
 半分失望して保管部屋を出る。そして、八時ごろに部屋に戻った。
「ん?」
 入り口に、通達が差し込まれているのが見える。取って読んでみる。
 今すぐ管理塔へ来いというMother−2の命令だった。

 管理塔の部屋に入ると、すぐに巨大なモニターにシルエットが映る。Mother−2だ。
「昨日、ドコニイタノ?」
 唐突な質問だったが、スペーサーは慌てなかった。
「貴方、昨日ハ一体ドコヘ行ッテイタノ? カードヲ持タズニ出カケタノネ」
 ノイズが耳を強く刺激する。非常にとげとげしい声が部屋に響く。どうやら相手は怒っているようだ。スペーサーはその反応を見て、Mother−2が、IDカードを持っていない人間を探知できないことを知った。昨日、彼は出かける前に、部屋にカードを置いていった。結果、Mother−2は彼が外で何をしていたのか分からなかった。彼と一緒にいた警備ロボットがMother−2に報告をしたのだろうが、それでも彼がIDカードを置いて出かけていったことに、Mother−2は怒りを隠さず表している。
「昨夜、貴方ガ地下デ調ベモノヲシテイタコトハ知ッテイルワ。ケレド、午前中ハドコニイタトイウノ。一体何ヲ企ンデイルノ、サア、オ言イ!」
 モニターにビリリと非常に嫌なノイズが走る。
「企んでいる? 濡れ衣もいい所だ。最近忘れやすくてな、失くすのがいやだからカードは置いていったんだ。それより、私をそれほどまでに疑う貴方こそ、何を企んでいるんだ」
 彼の言葉は、相手を激怒させたようだった。
「何デスッテ? コノ私ガ何カヲ企ムデスッテ? コノ私ニナントイウ口ヲ利クノカシラネ、コノ子ハ……」
 モニターに映った女性のシルエットがぶれる。
「私ハ貴方ヲ疑ッテナドイナイワ! ソノ証拠ニ、私ハ貴方ノ言葉ノ真実ヲ知ロウトシテイルノダカラネ!」
 それを疑っているというんだよ。
 スペーサーは口に出しかけるも、自制した。これ以上相手を刺激すると、何をされるか分かったものではない。
 突然周囲の壁から配線が伸びて、彼に向かってくる。彼はそれに気づき、反転して部屋の出口まで走る。
 配線が追ってくる。
「待チナサイ!」
 Mother−2の音声。彼がエレベーターに飛び乗る一瞬前、足に配線が絡みつき、転倒した彼を無理やり部屋の中へと引きずり戻した。
「ツカマエタ!」
 Mother−2の不気味なノイズ。笑っているのだ。
「大人シクシナサイ。死ニタクナケレバネ」
 パチパチと小さくはじけるような、配線にわずかな電流が走る音。四肢を縛る配線を何とかしようともがいている彼は、その音を聞き、心臓が跳ね上がったように感じた。
「聞キ分ケノ悪イ子ニハ、オ仕置キガ必要ネ」
 相手の言葉と同時に、配線に強い電流が走る。同時に全身を引き裂くような激痛が幾度も走り、彼は悲鳴を上げた。
「私、貴方ノ記憶ヲ覗イテミタ。アノ二人ニモ、モチロン見セテアゲタ。二人トモ驚イテイタワ。ソレニ、私、アノ素敵ナ世界ガ欲シクナッタノ。アノ世界ヘノ入リ口ガドコナノカ、教エナサイ」
 意識を失わないギリギリの電圧で、全身に電流を流されているスペーサーは、痛みに耐えながらも口を開く。
「知るものかっ……!」
 その言葉で、電圧が上がる。全身の激痛が更に増した。
「たとえ、知っていたとしても、話しはしない!」
「強情ネエ」
 配線がまた一本伸びてくる。
 電流に耐え切れなくなった彼は、電圧が上がると同時に、意識を失った。そして、半ば目を開けたまま気を失っている彼の頭部に、配線が巻きついていく。
「ジャア、記憶ヲ覗カセテモライマショウカ」
 部屋に、笑っているようなノイズがこだました。


part2へ行く書斎へもどる