第6章 part2



 全身に痛みが走り、スペーサーは意識を取り戻した。目を開けると眩しい光が目に飛び込む。慌てて目を閉じたが、目が慣れてきたので、改めて目を開ける。天井から光が降り注いでいるのが分かる。消毒薬の匂いがするので、どうやらここは医務室のようだ。
 体にはピリピリと軽い痛みが走る。ちょうど静電気でピリッとした時の様な感じだ。背中が冷たいので、どこかに寝かされているという事が分かる。しかし、頭がぼんやりしているので、なぜ自分がここに寝かされているのか、分からなかった。思い出そうと努めた。
(確か、Mother−2に呼び出されて……)
 管理塔のあの部屋で、Mother−2は彼に一体何をしたのか。思い出すにつれ、徐々に頭がはっきりしてきた。
 もしかしたらMother−2が自分に何かしたのかもしれない。そう思った彼は急いで起き上がろうとした。ところが、
「!」
 彼は改めて気がついた。
 彼の体は治療用の寝台に寝かされていたが、患者が暴れないようにするための拘束具で、四肢をしっかりと固定されていた。首すら横に動かせないほどきつく締め上げてある。
「な、何だこれは……!」
 状況の把握できない彼の近くで、足音がし、続いて声がした。
「やっと起きたのか」
 首を動かせないので、頭の向こうで聞こえた声の主の顔は見えなかったが、声の主の名前は知っていた。
 ヴィクトルは、静かにスペーサーの側まで歩んできたようだが、首を動かせない彼の側までは来なかった。
「マザーにひどくやられたようだからな、一応手当てはしておいてやった」
「それはありがたいな」
 スペーサーは相手に、嫌味たっぷりに返答した。
「だが怪我人にこの拘束を強いるとはどういうことだ。いささか扱いが手荒だな」
「当たり前だ。お前は怪我人でもあるが、危険人物でもあるからな。マザーから言われたぞ、お前を決して逃がすなって」
「なぜ」
「言っただろう、お前は危険人物だと。それに、マザーはお前に用があるそうだ。だからお前を逃がすわけには行かない。……そうだろ」
 ヴィクトルの言葉が誰に向けられたものなのか分からなかったが、別方向から聞こえてきた足音の主にその言葉がかけられたのだと分かった。あいにくスペーサーは首を回せなかったので、その足音の主がどこにいるのかは見えなかったが。
 入り口から入ってきたターキアは、青ざめた顔をしていた。
「私達、貴方の記憶を見たの……」
 いつもの明るい声ではない。震えて、弱弱しい声であった。
「美しい世界、緑溢れる素敵な世界……。滅びかかっているこの世界とは全然違ってる」
 見えなかったが、彼女の目は潤んでいた。
「空があって、太陽が照っていて、大地には緑が溢れていて……そんな世界に、あこがれていたの。だからあの映像を見てすぐにわかったの、貴方が、『本物』じゃないって……」
 もう、彼が偽者であることは知られてしまったようだ。
 スペーサーは話す事にした。なぜこの世界に来たのか、彼が一体どんな世界の人間であるのか等……。だが、Mother−2を破壊するように言われたことは伝えなかった。話を聞くうちに、聞き手の二人の表情が驚愕で変化する。
「お前が偽者だということはよくわかった。だが、本物はどこにいる!」
 ヴィクトルの質問に、スペーサーは静かに言った。
「……「私」の研究室の奥にいる」

「スペーサー」の研究室の奥には書棚しかない。だがその書棚を探っていくと、隠し扉が開かれた。そしてその先の階段を下りていくとドアがある。ドアはすでに開いていた。
 ドアの向こうの小部屋には、小さなモニターと机、寝台がある。そしてその寝台の上に、「彼」は横たわっていた。
「この腐敗臭……あの病気で死んだんだ」
 寝台の側で泣いているターキアの脇で、ヴィクトルは小さく言った。
 安らいだような表情の「彼」の両手は、胸の上で組み合わされていた。

 二人が研究室へ「彼」を見つけに行っている間、寝台に縛り付けられたままのスペーサーは、何とかこの拘束を解こうと無駄な足掻きを繰り返していた。化学繊維で作られた専用の拘束具は患者の手足を捕えて放さない様にできているため、彼が力んだくらいではどうしようもなかった。おまけに首まできつく固定されているため、息が苦しくて仕方ない。
 もがき疲れて、少し彼が休んでいると、どこからか腐敗臭が漂ってきた。首が動かないので目だけを動かすと、左側の端に、しみだらけの白衣を着て包帯を全身にまいた謎の人物が見えた。昨夜、彼を「彼」の元へ連れてきた、あの謎の人物。光の下のため、相手の姿が見える。顔までもが包帯で覆われていたが、妙に角ばった顔をしているようだ。
 近づいてきたその謎の人物の手には、メスが握られている。部屋の光を反射して光るそのメスを見て、スペーサーはぎょっとした。
「ちょ、ちょっと、何をす――」
 言いかけたが、相手に口をふさがれる。メスを握った何者かは、そのカミソリのように鋭い切れ味のメスでもって、寝台の拘束具を全て切ってしまった。一番危なかったのは首付近であったが、メスは彼の首を傷つけることなく拘束具を切った。
「あ、ありがとう……」
 スペーサーはとりあえず礼を言って、起き上がる。起き上がって気づいたが、彼は服と白衣を脱がされていた。上半身が裸である代わりに、包帯が巻いてあった。謎の人物は何も言わず、起き上がったスペーサーの片手を掴む。冷たくて固い。これが本当に人間の手なのだろうか。相手は彼をそのまま引っ張る。ペースは速かったが、彼は何とかついていった。
 医務室を出ると、「彼」の部屋に急ぐ。研究室の並ぶ通路とは逆方向にあるため、二人に出くわす心配はない。部屋に入るとタンスを指す。着替えろといっているのだろう。タンスを開けて服を取り出し、寒いので急いで着る。着慣れたワイシャツと白衣の感触が彼に安心感を与えてくれる。欲を言えば、ワイシャツにアイロンをかけたいところだ。
 着替え終わるのを待っていた何者かは、すぐにスペーサーの腕を引っ張る。壁のボタンを押すと、ギギギと物音が聞こえ、ドアを開けた向こうには物置があった。物置で何をするつもりなのかと彼が奇妙に思っていると、何者かは壁の一部に触れた。
 壁が、スーと音もなく開いて、その奥にまた通路が伸びているのが見えた。何者かはその中に彼を引っ張り込む。すると自動ドアよろしくその壁はスーと音もなく閉じた。
 何者かは、薄汚れた白衣のポケットに手をいれ、四角い形の何かを取り出す。
「それは?」
 聞いた所で相手に口をふさがれたので、大人しく黙る。
 四角い形の何かから、声が聞こえた。
『何ヲシテイルノ!』
 Mother−2の声。明らかに憤っている。
『奴ヲ逃ガスナトアレホド言ッテオイタノニ、逃ガシテシマッタワネ! ドウシテクレルノカシラ。私ノ求メテイルモノノアリカヲ知ッテイルノハ、奴ダケナノヨ』
『マザー』
 ターキアの声が聞こえた。ずいぶんと怯えているように聞こえる。
『確かに彼はあの世界に行く方法を知っているかもしれません。ですが、彼は知らないと――』
『オ黙リナサイ! 奴ヲ逃ガシタノハ、貴方達ノ責任デス。奴ヲ急イデ探シ出シナサイ、元ノ世界ニ逃ゲ帰ッテシマウ前ニ!』
 耳障りなノイズ音と共に、Mother−2の声はそれきり聞こえなくなった。
『マザーは自棄になっているようだな』
 ヴィクトルの声。
『そうみたい。あんなに怒るなんて信じられないわ』
 ターキアの声は未だに震えている。
『ああそうだな。あいつはIDカードを持っていないからな、どこへ消えたのかマザーでは特定できない。それ以前に、どうやって逃げたんだ。身体検査はしたが、刃物なんか持っていなかったぞ』
『……』
『どうした?』
『うん、これでいいのかなって……。私達があの世界に行けたとしても、もし彼の話が本当なら、向こうの世界にも別の私達がいるってことになるわ。それに――』
『それに?』
『……ごめんなさい、もういいの。行きましょう』
『え、ああ……』
 足音が聞こえ、やがてドアの閉まる音と共に静寂が訪れた。
 何者かは、手の中の四角いものをポケットへ戻る。そしてスペーサーの手を掴んで歩き出す。彼は大人しく従った。なぜか彼はこの人物が危険ではないと判断していた。
 やがて行き止まりが見えてきた。だが何者かは彼の手を乱暴に引っ張り、手のひらを壁に触れさせる。
 壁が音もなくスーと横に開く。ここも自動ドアらしかった。そして、その壁が開ききった向こうには、小部屋があった。
 部屋はあまり広くはないが、片側に寝台とデスクがある。そのデスクの隣にある棚には、部屋の引き出しの中に入っていた資料が山積みされていた。一番上には、彼が鉛筆で文字を浮き上がらせた紙が乗っている。更に別の壁には、複数の機械が置いてある。その中には、研究室の奥の小部屋で見た機械も混じっている。
「この部屋は一体……」
 彼が目を丸くしていると、何者かは彼の手を放して、壁のスイッチを入れる。すると、その機械の群れの一つがうなりをあげ、その隣にある筒状のものが光る。光は何かの形を成した。
「あっ!」
 スペーサーは思わず声を上げた。筒状のものが作り出した光は人の形を成したが、それは、「彼」そのものだったからだ。
『ようこそ、研究室へ』
 その「彼」は、口を開けたまま何もいえないスペーサーに、言った。Mother−2と同じ作り物の、彼そっくりの声で。
『私はオリジナル・スペーサーの人格を移植されたプログラム、簡単に言えば分身のような存在だ。オリジナルの死後、このプログラムが働き、この部屋へのロックが開いて、私が稼動した。私は、管理塔のMother−2の内部に潜入してその動きを逐一監視する役目を持っている。そして必要な時期がきたから、君をここへ連れてこさせたのだ』
 彼を連れてきた何者かは、いつのまにかどこかへ行ってしまったが、彼はそれに気づかなかった。
「け、研究といわれても、一体……」
『君の世界と、この世界とをつなぐ、空間をゆがめるための研究をして欲しい。だからここには、君をこの世界へ転送させた機械を運ばせてある』
「彼」の指差した先にある、見覚えのある機械。
「これを使えば、私は帰れるのか? 本当に帰れるのか?!」
 スペーサーは、顔が上気していた。明らかに興奮している。相手は表情を変えずに淡々と言った。
『そうだ。だが、今使っても君が戻れる日は、君がいなくなってから二年後になる』
「どんなに時間がかかってもいい、私は帰りたいんだ!」
『わかっている。だが、オリジナルが君に言ったはずだ、空間をゆがめるための研究の完成のほかにもうひとつ』
「……Mother−2の、破壊」
『そうだ。そして君にはもうしばらくこの機械を使うのを待ってもらわなくてはならないんだ』
「どういうことだ?」
『この機械は、充電をしているんだ。Mother−2に気づかれないように少しずつ電力をためている。この分だとあと一ヶ月くらいはかかってしまうだろう。それでも構わないか?』
「構わない。帰れる見込みがあるなら、それでいい」
 実際、スペーサーは、帰ることが出来るという可能性が残っていれば、時間など問題にしていなかった。本当に、彼は帰りたかったのだから。そして、「彼」から託された研究を完成させれば、彼がこの世界へ飛ばされることになったあの日に、帰ることが出来るのだから。


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