第7章 part1



 中央局の裏手には、小さな墓地がある。病に倒れた中央局員達のものである。墓標は、長方形の石の柱にその墓の主の名前を刻んだだけという簡素なものであった。

 死亡解剖の結果、「スペーサー」は例の奇病によって病死していたことが確定した。死亡時刻は昨夜の二時過ぎ。
 埋葬が終わり、墓地の隅に、新しい墓標が一つ、建てられた。

「一体どこへ行ってしまったの?」
 ターキアは自分の研究室で、資料の散らかった机の上に突っ伏していた。その傍らには、「彼」の懐中時計が置いてある。Mother−2の電撃によって意識を失ったスペーサーを運び出した後で、彼の着ていた白衣のポケットから見つけたのである。いつも「彼」の持ち歩いていた懐中時計であることは、彼女も知っていた。彼の手当てをしていたヴィクトルに内緒で、その懐中時計を密かに自分のポケットへ入れたのである。懐中時計は、二時五分を指したまま、全く動かない。針を動かすために電池を入れ替えたり、内部を直接覗いたりもした。だが、時計の針は全く動かなかった。
 そして、医務室から彼が消えてしまった。一体どういう方法であの拘束を解いたのか、中央局の中のどこへ消えてしまったのか、わからない。外部のカメラは、外へ出る彼の姿を映していないので、内部にいることははっきりと分かっているというのに。
 ヴィクトルが何としてでも彼を探し出そうと意気込んでいるのに対し、彼女は生気が抜けたようになっていた。
「彼」が埋葬されたその日は、ずっと泣いていた。今になって、やっと落ち着きを取り戻し始めていた。
 そして落ち着きの出てきた彼女にはもう一つ、気がかりなことがあった。
 一年ほど前に失敗作だからと処分場に置いたはずのロボットが、知らない間にどこかへ消えてしまったのだ。処分場へ行って見た時にはロボットの残骸はなくなっていた。ロボットのボディを溶解して他の型に流し込んで作り直そうと思ったときには、もう遅かった。
「一体どうしてなくなったの? マザーが持っていったのかしら? あんなもの、歩くくらいしか出来ないのに」
 カタン。
 研究室のポストに、通達が入った。

 ヴィクトルは自分の研究室で、日記帳を読んでいた。それは、「彼」の執筆した日記帳である。スペーサーの着ていた白衣の裏ポケットに入っていた日記帳。おそらく外部の紫の光に当たったためだろう、紙は痛んで変色し、紙魚だらけであった。読めない箇所が多く、何を書いてあるかすら全くわからない。
「こんなものが大切なのか? 肝心なことは何一つ書いてない、ただの研究のアウトラインじゃないか」
 日記帳を読み終わり、ヴィクトルはそれを自分のデスクの引き出しにしまいこむ。本当はこのままダストシュートへ放り込んでやりたかったのだが、それはやめておいた。日記を持ち歩いていたという事は、彼にとって日記が重要なアイテムだからだと考えたせいもある。
 ヴィクトルはまた椅子にかけなおした。
「奴が戻ってきさえしなければ……」
 両手をバンとデスクに叩きつける。厚いレンズの奥で、目が狂気じみた光を放つ。歯をぎりぎりと噛み鳴らし、握られた拳は震えていた。
「戻ってきさえしなければ……!」
 カタン。
 研究室のポストに、通達が入った。


 隠し部屋の中での研究生活が始まってから一週間ほどたった。
 スペーサーは黙々と資料を読み、計算していた。こっそり部屋に着替えを取りに行ったりすることもあったが、大抵はこの部屋の中で過ごしていた。食事は、知らない間に部屋の外の通路においてあったので、わざわざ外へ出る必要はなかった。
 彼は、ほとんど寝ずに作業を続けていた。最初は眠っていた。だがそのたびに、夢を見るのだ。家に帰った夢を。家に帰って、それまで何事もなかったかのように、いつもの生活が始まる。何も変わらない生活が始まる。だが、目を覚ますたびに、その夢が現実ではないことを改めて知り、悲しくなる。そのため、彼は睡眠時間を極端に削って作業に没頭していた。徹夜作業には慣れているので、特に苦痛は感じなかった。だが、寂しかった。側に、知った人が誰もいない。ましてやこの世界では、彼は孤立した状態にあるのだ。寂しさを紛らわす術は、睡眠時間を削って研究に没頭し続ける以外に無かった。何かに熱中してさえいれば、寂しさを紛らすことが出来たからだった。そうでもしなければ、夢から覚めたときに感じる猛烈な孤独感に耐えられなかった。
 立体映像である「彼」は、スペーサーの呼びかけに応じて、彼の話し相手になってくれた。資料についての質問がメインだったが、時には雑談もした。話し相手が誰もいないというのは、寂しかった。誰もいないよりはましだったが、それでも何より生身の人間と話をしたかった。
 研究は、計算方法さえ間違えなければ、思った以上に捗った。やはり「スペーサー」は、最初の計算の段階で間違いを犯していた。間違っているXの値を修正すると、それから続く理論をいくつか修正するだけでも十分だった。ほとんど理論は完成している状態だったのだ。
 八割ほど修正作業が終わったとき、彼は「彼」を呼び出した。部屋の中で小さな音を立てて作動している機械が、呼びかけに応じて、人格プログラムを呼び出す。
 作動した人格プログラムは、生前のプログラマーの姿を作り上げ、立体映像となる。そして「彼」は、問うた。
『ん、どうした?』
 スペーサーは、資料の山を脇にどけて、「彼」の方を向く。
「ちょっと考えてみたんだが」
『うん』
「あの懐中時計の中に、Mother−2を破壊するための手段が入っているんだろう?」
『そうだ』
「Mother−2を破壊してしまったら、この世界のライフラインは人間の手に渡るのか?」
『人間の手で町を管理できるのかと心配しているのか? それなら心配いらない。あの破壊プログラムの中には、もう一つ別のプログラムが入っている』
「別のプログラム?」
『そう。オリジナルが外部調査中に組み立てた、初代Motherの人格プログラムだ。初代Motherを後釜にする事によって、Mother−2が失われた後の余計な混乱を招かずに済む』
「待ってくれ。それは、またMotherに町を支配させるという事なのか?」
『そうだ。何か問題でも?』
 さらりと言ってのける「彼」にスペーサーは思わず、椅子から立ち上がった。
「ちょっと待て、それはただの世代交代じゃないか! なぜ人間の手で町を統治しようとしないんだ。機械の支配から人間が独立する、そのための破壊じゃないのか?」
『いや、違うのだ。オリジナルが言ったのではないのか? これ以上の環境破壊と地上の汚染を防ぐためだ。Mother−2のふりまいた病原菌は、地上にも影響を及ぼしてしまった。病原菌を振りまくのをやめたとはいえ、まだわずかに、生き残っている病原菌がいる。Mother−2の指示によって活動を活発化させることが判明しているから、Mother−2を破壊すれば病原菌は皆死に絶える。これによって病は根絶され、これ以上の死人を出さずにすむ。そしてMother−2の降らせる、微生物の活動を抑制するあの紫の光を止めれば、Motherのデータを用いて、地中の有機微生物の増加を促進することが出来る。回復には長い時間がかかるだろうが、死滅を続ける土壌をよみがえらせることが出来る』
 相手は至極真面目な顔である。言っていることは正論なのだろう。だがスペーサーには、「彼」がMotherに依存しきっているようにしか思えなかった。この世界は、Motherなくしては、もう存在することも出来ないのだろう。
 椅子に座りなおし、スペーサーは話を変えてみた。
「で、なぜMother−2の破壊に、私が必要なのだ? 何が何でも私でなければならなかったのか?」
『オリジナルは、君の世界で言うところのパラレルワールドが無限にあると考えていた。だから世界を捕まえることが出来れば誰でも良かったんだろう。しかし、オリジナルの理論の限界があった。今の理論で捕まえられた空間は、君の住んでいる世界だけだった』
「つまり私は、その無限にある世界から、理論の限界上仕方なく選ばれたと? そうなると、この空間理論を完成させるための知識を持たない『私』がこの世界に呼ばれる可能性もあったのではないのか?」
『オリジナルは君を調べていた。何度も何度も。たぶん、オリジナルの空間理論を完成させる知識があろうとなかろうと、君を呼ぶつもりだったろう。空間を渡るための時間はかかるが、帰れないわけではないからな。……ところでオリジナルが君を調べていたとき、君の周囲では何かが起きなかったか?』
 周囲に得体の知れない気配を感じただけでなく、人影のようなものも見た。そして、悪夢を何度も何度も見続けた。
『ふむ。人体にも影響があったのだな、まさか夢にまで出てくるとは。しかし、何度も同じ夢を見続けたという事は、オリジナルは君を呼ぶことに決めたのだろう。そのために夢を見せていたのかもしれない。この世界に、来て欲しいと――』
「身勝手な話だな。なぜ自分ひとりで破壊しようとしなかったんだ。私をこの世界へ呼び寄せるまでに一年もの時間があったというのに、なぜ自分で破壊せずに、私を待ち続けていたんだ」
『この世界の住人では、Motherシリーズを破壊できないからだ。オリジナルは、破壊するためのプログラムを作り上げることは出来たが、自分で実行することは出来なかった』
「なぜなんだ? なぜ破壊できないんだ」
『人間達は管理されている。Motherシリーズは全ての人間を識別すべく、人間の体内にタグを埋め込んでいる。何か犯罪を犯せば、その犯罪を犯した人間をタグで特定して罰を与えるようになっている。これは初代Motherの頃からの名残だ。もちろんオリジナルにもタグが埋め込まれていてな、破壊プログラムを作り出すことは出来たが、実行に移そうとすればMother−2に気づかれる恐れがあったから、行わなかった。君はまだタグを埋め込まれていないはずだ。だからこの世界以外の人間に頼むしかなかったのだ』
「なるほど、私がMotherの支配下にない、とはこういうことだったのだな。しかし……」
 スペーサーは言葉を切った。
『なんだ?』
「……いや、何でもない」
 そして彼は話を打ち切ってしまった。「彼」は首をかしげたが、もう用はないのだと判断したのか、スーッと消失した。
 スペーサーは、静かに唸る機械を横目で見て、ため息をついた。
(あれだけ真面目に言われたら、正面きって言えるわけがないだろう……。Motherという人格プログラムに頼らずとも、人間が自ら機械を操作できるはずだ、と……)


「くそっ、奴は一体どこへ行ったんだ!」
 ヴィクトルは壁を握りこぶしで叩いた。バンと叩かれた冷たい鉄の壁は、彼の拳を受け止めたまま。
「局内にいることは分かっている。だが、どの部屋を探しても見つからないなんて……。奴は煙じゃない、人間なんだ!」
「わかってるわよ……」
 ターキアが静かに言った。
 ここは彼女の研究室。広々としたデスクの上には、警備ロボット180が、現在電源を切られてメンテナンス中である。しかし、彼女はメンテナンスを行うと同時に、ある部品を180の内部から取り出していた。取り出しても180の稼動には影響がない。
 部品を取り出し終わった後、ボディの蓋を閉めて電源を入れる。すると、180が稼動を始めた。
「いよう、メンテナンス、終わったのか?」
「ええ、さっきね。ついでだから、壊れかけのプロペラも取り替えておいたわ。応急処置みたいなものだから、あまり長くは持たないけどね。前のプロペラは直しておくわ」
「そうか、ありがとうな。じゃ仕事に戻るか」
 180が部屋から出て行った後、ターキアはその部品をすこしいじり、小型のバッテリーを取り付ける。すると、部品が小さく唸りながら稼動した。
「これで使えるわ」
「ありがとう」
 ヴィクトルはその部品を受け取った。そして、ターキアの顔を見る。
 ターキアは、未だに沈んだ表情のままであった。この一週間、彼女の表情は晴れることがなかった。
 ヴィクトルは言った。
「あいつに情が移ったのか? あいつは偽者じゃないか。それに本物は病死したし――」
「わかってるわよ……わかってるけど」
 それでもターキアの表情は晴れなかった。
 ヴィクトルは、彼女の両肩をがしっと掴む。ターキアが驚いて彼を見る。
「僕じゃ、駄目なのか……?」
 彼女の眼を覗き込むように、ヴィクトルは真剣なまなざしを彼女に向ける。ヴィクトルは彼女の顔を真正面から見たが、彼女はすぐに眼を伏せた。
「どうしてなんだ!? どうして……」
 だがターキアは何も言わなかった。ヴィクトルの腕をそっと振りほどくと、背を向けて、研究室を出て行ってしまった。
 ヴィクトルは彼女の背中をじっと見つめていた。
「ターキア……」


「終わった……!」
 スペーサーは、椅子の背もたれに、体を預けた。
 山積みになった資料は、全て修正が終わっている。いちから全部読み直し、必要な箇所は修正した。そして今、彼は「彼」の研究理論を完成させたのである。
『完成させたのか』
 出現した人格プログラムが、彼にねぎらいの言葉をかける。
『これで、君は、君がこの世界にきたその日に、帰ることが出来るだろう。よくやってくれた』
 後は、この理論から導き出される空間をゆがめる比率を変更するための機械を操作すればよいだけなのだが、あいにくまだ充電中。
『充電は時間の問題だ。Mother−2に見つからなければ、の話だが』
「水を差さないでくれ……」
 スペーサーの悩みがまた一つ増えてしまった。Mother−2に見つかったら、彼が一体何をされるのか分かったものではないのだ。充電が終わるまでは見つかりたくない。そして彼は、「彼」から託された懐中時計を取り返さなくてはならない。
『まあとにかく、疲れているんだろ。少し仮眠を取ったらどうだ?』
「彼」は言った。確かにスペーサーは疲れていた。食事はちゃんととっていたものの、睡眠時間を削って研究に没頭していたのだから。
「ああ、そうだな。じゃ、三十分位経ったら起こしてくれ」
『わかった』
「彼」が消えた後、スペーサーは欠伸をかみ殺しながら、寝台に歩いていき、そこで横になった。

『大変だ、早く起きろ!』
 人格プログラムが彼を起こす。しかも非常に切羽詰った表情で。
 どんなに深く眠っていても、呼ばれればおきるスペーサーは、その声で目を開けた。
「もう時間か〜?」
『それどころじゃないぞ! この部屋が見つかってしまった! すぐ起きろ!』
「見つかった?!」
 スペーサーは飛び起きた。
「ど、どうして?」
『わからない。とにかく資料を持って、ここへ隠れるんだ』
「彼」が指したのは、壁。スペーサーは素早く机の上の資料をまとめ、その壁のほうへ歩み寄る。
『壁に触れるんだ。指紋認識システムになっているから』
 スペーサーが手を触れると、壁が光ってスーと横に開き、その先に非常に小さな部屋があった。
『その中に隠れてやり過ごすしかない。まさかこんなに早く見つかるとは……』
「彼」はぼやきながら、消えた。
 スペーサーがその部屋の中に入ると、壁はまたスーと閉じた。壁が閉じられると、この小部屋は暗闇に閉ざされた。
 直後、あの部屋の方で、チーという音が聞こえた。続いて、何かが倒れるような音も聞こえてきた。
「こんな所に部屋があったとはな」
 壁の向こうから声がする。ヴィクトルの声だ。
 スペーサーは心臓が早鐘を打っているのを感じた。鼓動の一つ一つが、小部屋に響き渡るような音量に聞こえてくる。心臓は肋骨を破って彼の体から飛び出してくるのではないかというほどの勢いで、ドクンドクンと早鐘を打っている。資料を握る手にじっとりと汗がにじんでくる。壁一枚を隔てているのだ、いつ見つかるかと、彼は息を殺していた。
 足音が聞こえる。ヴィクトルはこの部屋の中を歩き回っているようだ。
「寝台が暖かいという事は、さっきまでここで寝ていたのか。ということは、奴はこの部屋の中にいるはずだ、間違いない……」
 壁一枚を通じ、足音が伝わってくる。足音が大きくなってくるにつれ、スペーサーの焦りもだんだん募ってくる。
(頼む、こっちへ来るな……!)
 もはや自分が呼吸しているかすらも分からない状態。資料をしっかりと抱きしめた腕は震えて、冷や汗が背を流れ落ちていく。
「……いるはずだが、なぜ姿が見えない」
 ヴィクトルの足音が一番大きく聞こえると同時に、足音が聞こえなくなる。立ち止まったのだ。
 この壁の前で。
 しばらく、沈黙があった。
「いないようだな、僕が来る前に感づいて部屋から出て行ったのかもしれないな」
 足音が聞こえ、徐々に音が小さくなっていく。そして、全く聞こえなくなった時、スペーサーの、緊張の糸が切れ、彼はその場に座り込んでしまった。全身が汗だくになり、息が自然と荒くなる。
(い、行ってしまったのか……?)
 呼吸が収まってからも、なおもしばらく待った。だが、何の音も聞こえてこなかった。どうやら行ってしまった様だった。
 ほっと息をつき、彼は壁に手を触れる。すると、壁が光ってスーと横に開いていく。そして――
「!!!」
 スペーサーは凍りついたように、動けなくなった。
 目の前に、ヴィクトルが立っていたのだ。この壁からある程度はなれた後、足音を忍ばせて、また戻ってきたのである。
「やっと見つけたぞ、この偽者め」
 スペーサーが衝撃から立ち直る前に、体に衝撃が走り、目の前が真っ暗になった。
 床に倒れたスペーサーを、ヴィクトルは冷ややかな目で見下ろした。
 その片手には180から取り出した生体探知機、もう片方の手には、電気の走るスタンガンが握られていた。


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